第三章 8
走るゲンジロウの脇に、マヒルは抱えられていた。
まるで馬が走っているかのように、ゆるやかな下り坂をはさむ森の木々が、次々と後方に流れていく。先ほどから降り出した大粒の雨が、桃色の着物をぬらし、身体にまとわりついてひどく不愉快だった。目を細めながら、マヒルは言った。
「放しなさいよっ」
「黙っておれ、実験体がっ」
ゲンジロウが怒声を発した。
背後で爆音。音に釣られて、マヒルは顔をそちらに向ける。
遠くのほうで薙ぎ倒された木々が傾斜し、森の中に沈み、衝撃で土塊が舞い上がっていた。しかも木々や土塊は、マヒルたちを追いかけるように段々と近づいてきていた。
ユルヨとデピュルが戦っているのだろう。
おそらくはデピュルがマヒルを追い、それをユルヨが阻止しようとしている。
(あたしは、どうする?)
このままではまた牢屋行きだ。それが無理なら、デピュルに殺されるかもしれない。
なにもしなければ、このまま死ぬ。
(だったら――なんかしてやろうじゃない)
自分にはその、なんかしてやる力があることを、マヒルはわかっていた。何もせずに死ぬなんて真っ平だ。自分は生きると決めていた。
牢屋の外で乱雑に土葬されていた仲間を思い出せ。
籬で死んでいる遊女たちを思い出せ。
そして、瓦礫にまみれて消えたジュウセンのことを思い出せ。
(あたしはまだ、やりたいことだっていっぱいあるのよっ)
マヒルは歯を食いしばり、目をつぶった。あの感覚、トヨヒサの石化を中和したときの感覚を思い出し、肺の近くにある竜管から中和の毒を取り出そうと試みる。
しかし本来、人間には備わっていない器官だからだろうか、これが中々に難しい。
だがやるしかない。
(肺がもう一つ増えたって考えるのよ……吸って、吐いて、吸って、吐いて)
マヒルは落ち着いて呼吸をくり返す。何度かつづけるうちに、肺とは別の器官の動きを感じる。イケる。そう思った直後、マヒルは鼻から吸った息を、一気に吐いた。
マヒルの口から中和の息吹が吐き出され、ほどなくして拘束する糸状の力場が溶けた。
「なにっ!」
驚愕した顔で、ゲンジロウがこちらを見下ろした。
その顔めがけて、マヒルは練習で培った感覚を思い出し、意思の力を物理に変え――念力をがむしゃらに放った。
「うっしゃっ!」
念力というにはあまりにもお粗末な出来だったが、しかし不意をついたことで、
「おごっ!」
ゲンジロウの頭がのけぞった。その隙にマヒルは地面に足をつけ、横手の森へと一目散に駆け出す。足元の木の根を飛び越え、やや下り気味に傾斜したそこを走る。
うなじのひりつく感覚に任せて、マヒルは前方跳躍。
おくれて、マヒルが先ほどまでいた地面が爆発し、泥の間欠泉が吹き上がった。追ってきたゲンジロウの念力だ。威力が抑えられていたとはいえ、当たれば痛いはず。
「逃がさんぞ、実験体っ」
「逃げるわよ、バカっ」
着地と同時に一度前転してバランスを保ってから、再びマヒルは疾走。着物も金髪も泥だらけだが、気にしている余裕はなかった。
平地ならばすぐにつかまっているだろうが、森の中は木や岩といった障害物がある。それらをうまく使うことで、マヒルはなんとか逃げおおせていた。
しかし相手は、腐っても竜人。
障害物など屁でもないように、透明の弾丸で次々に破壊して、こちらに迫ってくる。
だが、それでいい。
物が壊れれば、それだけ大きな音が鳴り、気づかれやすくなるのだから。
マヒルは賭けていた。自分が生き残るには、一つしかない。
(お願い……気づいてっ。トヨヒサっ!)
必死に走る。自分の行為が、もしかしたら彼を死に追いやるのではないかとわかっていながら。彼に知らせるために、気づかせるために、マヒルは走りつづける。
(ごめん、許して、でも――助けてっ)




