第三章 7
左右を林にはさまれた林道を、焦げ茶色の馬が歩いている。
その馬上で、トヨヒサは曇天の空を見上げていた。
「なんだかのう」
視線を下げてみるが、トヨヒサの前には馬の後頭部があるだけだった。そこには馬の尾のような金毛も、やたらとしゃべる口も、こちらを見上げる青い目もなかった。
(……よう、十年もこうやって一人でいられたな、俺は)
ほんの数日前までは、今のように鳥のさえずりや虫の声などを聞き、黙々と歩いているのが普通だった。それがマヒルと会ってからは、やかましい限りだった。
四六時中しゃべる彼女に付き合わされて、トヨヒサも同じくらいしゃべった。はじめはうっとうしいと思っていたのに、今では少し物足りないと思う自分がいた。
「すっかり毒されてしまった、というわけか」
この感情は、以前の自分なら考えられないことだった。
ヒサヨを亡くしてから、出来るだけ人との関わりをもたないようにしてきた。人を背負うことの重みと責任に、耐え切れないと思ったからだ。
赤の他人が死んでも、何も思わない。しかし身内や親身にしていた相手が死ぬと、その情と関係の深さだけ重みとなって跳ね返ってくる。妹が死んでそれがわかったから、もうあの悲しみを味わいたくなくて、孤独に生きることにした。
――いや。
本心と言うならば、そうやって自分に罰を与えていないと、耐えられなかった。自分一人がのうのうと生きている事実に、押し潰されそうだったのだ。
そんなとき、マヒルに出会った。妹によく似て、元気でまっすぐであほうな女だった。最初はうっとうしくて、おまけに妹を思い出すから、絶対に関わりたくないと思った。しかし彼女の用心棒になり、一緒に旅をしていくうちに、気持ちが変わった。
トヨヒサは苦笑する。
「あのやかましさが、少しだけ、恋しいのう」
そのおり、うなじに冷たさを感じた。見上げると、空を覆いつくす灰色の雲から、雨が降ってきた。しとしとと降る小雨が、段々と強くなってきて、大粒の豪雨となった。
黒髪や小具足が水滴を弾き、着物や野袴に水がしみこむ。
「ちいっと、頭でも冷やすか」
なんて言ったとき――雨音を押し退けるように遠くから鐘の音が聞こえた。方向はヨンノ村。頭にひらめくのは火の見やぐらの存在。何かが起きている、ということだ。
そして起きるとしたら、きっとマヒル絡みのことだ。
竜の牙で身体を貫かれるヒサヨのイメージが浮かび、その姿がマヒルに置き換わった。
弾かれたように、トヨヒサは馬をひるがえし、横腹を蹴ってヨンノ村へと走らせる。ペースなど考えず、全速力で来た道を戻る。走っている間にも鐘の音は聞こえ、それどころか何かが爆発する音が連続して聞こえてきた。戦争でも起きているかのようだ。
焦燥感に駆られ、水滴に冷や汗が混じり、目を細める。
五分もしないうちについたが、その五分がひどく長かった。
「なんじゃ……こりゃ」
ヨンノ村は、まるで廃村のようになっていた。
畑や田んぼの土が抉れて、大根や稲が泥にまみれて台無しになっている。平屋のほとんどが竜の尾が叩きつけられたように倒壊し、囲炉裏や水がめなどが粉々に砕けている。さらに村人たちが、頭をざくろのように砕かれていたり、身体を石に変えられたり、全身が細切れにされていたり、砂に埋もれていたり、と様々な死に様をさらしていた。生きている村人もいるが、麻の服は泥にまみれ、その顔には一様に怯えの表情が張りついていた。
視界の端で、マヒルにタックルしていた少年が倒れていた。
トヨヒサは馬を飛び降りる。
「おいだいじょ――」
伸ばしかけた手で、トヨヒサは拳を握りしめた。
雨にぬれてズブズブの地面に顔を埋める少年は、右腕を失って死んでいた。その光を失った双眸に映った最後は、いったいどんなものだったのだろうか。
少年の死に顔は、恐怖にゆがんでいた。
「クソ……クソッ!」
怒りがこみ上げてきて、思わず毒づいてしまう。他人のはずなのに。
「クソガキっ! どこじゃ!」
叫びながら、竜巻に巻き込まれたような村の中を走る。その一角で、崩れた士道場を見つけた。ジュウセンとかいう道女と一緒にいたことを思い出し、その廃墟に近づく。
トヨヒサは目を見開いた。
瓦礫の中に、頭から血を流すジュウセンが埋もれていた。崩落に巻き込まれたのか、腹には尖った建材が突き刺さっており、下半身は瓦礫に押し潰されている。
(あの傷じゃ助からん……が、放っておけん)
彼女のそばに寄り、瓦礫をどかそうとして、ジュウセンに腕をつかまれた。
「いいのです……もう、私は、無理ですから」
「あんたは死んだらダメじゃろうが……っ! クソガキを、おいていくつもりかっ」
「私は、彼女を裏切ってしまった……合わせる顔が、ありません」
「どういうことじゃ?」
「私は、マヒルが連れて行かれるのを、黙って、見ていました」
呼吸を荒げ、血を口の端から垂らしつつ、ジュウセンは言った。
連れ去られた、ということは、やはりイシダの残党がやってきたということか。
(どうしてここが? つけられていた? ……いや、そんな気配はなかった。まさか、知っていたのか? ここにくると。この村にくると。ヨンノ村にくると)
それに石化していた村人がいたことから、おそらくデピュルとかいう女もきている。
トヨヒサはジュウセンに問う。
「クソガキは、どこへ行った?」
「おそらく、セキガ平原へ。そちらのほうで、音が、聞こえました」
セキガ平原方向を見る。雨の帳のせいでゆるやかな下り坂は隠れ、火の見やぐらの輪郭がおぼろげに見えるだけだった。しかし耳をすますと、木々が薙ぎ倒される音が聞こえる。
トヨヒサの横顔に向かって、ジュウセンが息も絶え絶えに質問をしてきた。
「助けに、いくのですか?」
するとトヨヒサは、彼女の手をにぎって、
「……俺は、あいつの用心棒じゃからな」
「あなた、手が震えて……」
「武者震いじゃ」
おどけたように言うと、ジュウセンがまぶしいものを目にしたように、目を細めた。
「私は……マヒルを、助けられなかった。……なにもできず……あまつさえ、目を背けてしまった。なのに、彼女は……大丈夫だと、私に、気を使って……情けないです。子供一人守れず……それどころか、逃げてしまう、自分が。私は……っ!」
彼女の独白が、トヨヒサ自身の言葉に聞こえた。
妹を助けられず、逃げてしまった。
そのときからずっと、ジュウセンと同じように、トヨヒサは自分を責めつづけていた。
無念であろう。そんな気持ちを抱えたまま――死ぬことになるなんて、ダメだ。
トヨヒサはジュウセンの細い手を、両手でにぎり、彼女の黒瞳を見つめた。
「俺が、俺が必ずクソガキを助ける。俺を信じて、心底信じて、信じ抜いてくれ」
「……はい」
ジュウセンは微笑んだ。
そして、目を閉じた。
雨が彼女の顔を打ち、血を洗い流した。
その死に顔は、おどろくほどに美しかった。
トヨヒサは冷たくなった彼女の手を放し、セキガ平原方面を見据えて立ち上がる。
視線の先に、マヒルがいる。それに自分より強いユルヨにデピュルもいる。脇腹の傷は完治していない。前よりは和らいだが、それでも断続的に痛みを発している。
万全の状態でも勝てるかわからないのに、傷を負った状態でその二人と戦う。
死ぬかもしれない。妹のように、ジュウセンのように、死ぬかもしれない。
逃げたい。あの日のように、逃げ出したい。
だが――。
「捨てがまり損ねたこの命、今、捨てがまらずして、いつ捨てるっ!」
そういって、トヨヒサは死地へと走り出した。




