第十一話 国際連盟規約第二十一条
1919年2月13日 パリ・オテル・ド・クリヨン 国際連盟委員会
国際連盟の規約をつくる委員会は、コンコルド広場に面したオテル・ド・クリヨンの一室で開かれている。アメリカ代表団が丸ごと借り切っているホテルで、会場になっているのはウィルソンの側近ハウス大佐の部屋だ。部屋と言っても、日本の官舎がそのまま二つ三つ入りそうな広さがある。そこに長いテーブルを据えて、十か国あまりの代表が毎晩のように顔を突き合わせ、条文を一つずつ削ったり足したりしていた。
日本からは牧野次席と珍田大使が委員として出ていて、ここでも私は二人の後ろで記録を取る役目をもらっていた。以前の執務室ほど暑くはないが、話が細かい条文の言い回しになると、十か国分の通訳が一斉に囁き始めるので、今度はうるさくてかなわない。
その日、牧野次席は規約の第二十一条について修正案を出した。宗教の自由を定めた条文だ。それに一文を付け加えて、連盟の加盟国は、互いの国民を人種や国籍によって差別しないことを約束する、という原則を書き込もうというものだった。
牧野次席の説明は、例によって丁寧で、短かった。日本はこの戦争で連合国の一員として戦った。連盟が諸国民の平等の上に築かれるものであるなら、その国民が肌の色によって差別されないという原則もまた、そこに含まれるべきである。
最初に口を開いたのは英国のロバート・セシルだった。背の高い、骨ばった顔の貴族だ。セシルは、日本の提案の趣旨には深く同情すると前置きしてから、しかしこの問題は極めて論争的であり英帝国の内部に重大な混乱を引き起こす、と言った。どこのことかはおおかた予想がつく、オーストラリアのヒューズ首相だろう。
それから話は、奇妙な方向に転がっていった。そもそも宗教の自由の条文そのものに、各国から異論が出始めたのだ。宗教を条文に入れるなら、あれも入れろ、これも入れろという話になる。いっそ第二十一条ごと削ってしまえばいい。結局、宗教の条文は丸ごと削除されることになり、そこに付け足すはずだった日本の修正案も、一緒に行き場を失った。
採決すらなく、議事録には日本代表が本件を後日改めて提起する権利を留保したという一行だけが残った。
会議が終わってクリヨンの廊下に出ると、牧野次席は窓の外のコンコルド広場を眺めながら、しばらく立ち止まっていた。広場のオベリスクの周りには、戦争で鹵獲したドイツの大砲がずらりと並べられている。
「八幡君」
「はい」
「今日の記録は、今夜のうちにまとめておいてくれたまえ......今日はここまでだ」
今日は。牧野次席はそう言ってから、珍田大使と連れ立って階段を降りていった。
私はその後ろ姿を見送りながら、手元の記録用紙を見下ろした。今日のこれは一度目のはずだ。二度目は四月半ばに採決があり、十七票のうち十一票が賛成するがウィルソン米大統領が全会一致を持ち出して、通らない。
山東は取るが、世界中から嫌われ、人種平等は多数の賛成を得ても通らないという歴史はそのまま進もうとしていた。
同日夜 ホテル・ブリストル
部屋が足りないせいで、パリに着いてから私は重光さんと同じ部屋に押し込まれている。重光さんは夜遅くまで本部の書類部屋にいることが多く、その晩も、私が記録をまとめ終えた時にはまだ戻っていなかった。
記録を清書し終えると、私は新しい紙を一枚、机の上に広げた。
書こうと思ったのは、二週間前の夜からだ。机の引き出しには、まだあの漫画の切り抜きが入っている。日本は法では勝っているのに、この戦いは法で戦っているのではない。
じゃあ日本は何を武器にして戦えば良いのか、現代ならすでに提唱されているソフトパワーだ。
軍事力や経済力で相手を従わせるのではなく、その国の理念や振る舞いそのものが、他国に「この国の側に立ちたい」と思わせる力のことだ。一九一九年のパリには、まだその言葉はないが、顧維鈞が毎晩アメリカの記者たちとやっていることは、まさにそれだった。
だから、日本もそれで戦えばいい。問題は、日本が何を差し出せば、世界の側が日本の話を聞くかだった。
無論、山東だろう。どうせ三年後には返すことになる山東を、今、自分の手で返してその代わりに今日流れたばかりの人種平等の原則を取る。ウィルソン米大統領は、中国を見捨てたと言われずに済む。英国は、一九一七年に日本と交わした約束と、アメリカへの気兼ねとの板挟みから解放される。そして日本は、戦利品を要求する泥棒ではなく、自分から戦利品を手放して、諸国民の平等を求めた国として記録に残る。
私はペンを取って、書き始めた。書き出しは、八幡光真の記憶が勝手に文体を選んでくれた。
『山東問題ト人種差別撤廃問題トノ関連ニ関スル卑見
一、山東問題ニ付テハ、帝国ノ主張ハ法理上何等欠クル所ナシト雖モ、目下世界輿論ハ挙ゲテ支那ニ同情シ、帝国ヲ目スルニ戦利ヲ貪ル者ヲ以テス。仮ニ英仏伊ノ支持ニ依リ帝国ノ主張貫徹セラルルトモ、其ノ代償トシテ支那国民ノ永キ怨恨ト、米国輿論ノ根深キ猜疑トヲ買フニ至ルベシ』
そこまで書いて、手が止まった。
この先に山東利権を獲得しても三年後には結局返すことになる、とは書けない。山東利権を取るのは今や難く獲得しても列国の圧力が続けば、帝国は早晩、何らかの形でこれを還付せざるを得なくなる恐れがあるとだけ書く。
二、三、と項目を進めていく。人種差別撤廃の提案は、帝国がそれと引き換えに差し出すものを持たない限り、実を結ぶことはない。三つ目の項目で、私は一番言いたいことを書いた。帝国が自ら進んで山東の主権を支那に還付し、そのことをもって人種平等の原則への各国の支持を求めれば、帝国は法理上の権利に代えて、『道義上の威信』という、より長く続く資産を得るだろう。
道義上の威信。それが、一九一九年の言葉で言える精一杯のソフトパワーだった。
自室の扉が開いたのは、四項目目を書いている途中だ。
「まだ起きてたのか」
重光さんは上着を椅子の背に掛けて、私の机の上を覗き込んだ。隠す暇はなかった。
「......見てもいいか」
返事をする前に、重光さんはもう最初の一枚を手に取っていた。立ったまま、例によって一行も飛ばさずに読んでいく。二枚目、三枚目。読み終えるまでに、ずいぶん時間がかかったような気がした。
「面白いが、通らんな」
最後の一枚を机に戻すなり、重光さんは言った。
「理由は三つある。一つ、これはただで返すと書いてある。引き換えがあるとはいえおいそれと山東を返したら、東京で首が飛ぶ。お前の首じゃない、原首相の首だ。青島じゃ日本の兵隊が千人以上死んでる。その遺族に、山東は理想のために差し上げましたと言えるか? 言えないだろう。二つ、鉄道と鉱山のことが書いてない。膠済鉄道には、ドイツが敷いた線路と日本が占領してから出資した金がある。あれを置いて出ていくなら、少なくとも代金はもらわなきゃならん。中国に払わせるんだ。三つ、青島に住んでる日本人がどうなるのか書いてない。今あそこには、商売をしてる日本人が何万人もいる。そいつらを放り出すのか。居留地として残すのか。そこまで書いて、初めて東京が読む紙になる」
私はしばらく黙っていた。重光さんの言ったことは、三つとも正しかった。私が書いたのは、現代から歴史を眺めていた大学生の理屈だ。重光さんが足したのは、この時代の日本で、実際にこの紙を通さなければならない人間の理屈だった。
「......じゃあ、それをつければ」
「つければ、読む奴は出てくるだろうが、通るかどうかは知らん」
重光さんはそう言うと、ようやく椅子に腰を下ろして、ネクタイを緩めた。それから、少しだけ妙な顔で私を見た。
「八幡。お前、これどこで思いついた」
「どこって......ここ二週間、ずっと考えてましたから」
「そうじゃない。道義上の威信、と書いてあるな。こういう言い方は、うちの省じゃ誰もしない。あいつらが国の力として見るのは土地と金と、あとは兵隊の数だけだ。お前、何か隠してることないか?」
私は答えられなかった。答えようがなかった。二十一世紀の講義で聞いたんです、とは言えない。
重光さんはしばらく私の顔を見ていたが、やがてふっと息を吐いた。
「まあいい。俺がお前の立場でも、たぶん言わん」
それきり重光さんは寝台に横になって、壁のほうを向いてしまった。私は修正するために、新しい紙をもう一枚、机の上に広げた。




