第十話 C式南洋委任統治地域
1919年1月30日 ホテル・ブリストル
南洋群島の扱いの大枠が決まったのは、その数日後のことだ。
旧ドイツ領の植民地は、どこかの国に併合させるのではなく、国際連盟から統治を「委任」される形にする。それがウィルソンの主張だった。英国の自治領や日本は、実際に占領した土地をそのまま自国領にしたかった。数日間の綱引きの末に、南アフリカのスマッツが妥協案を出した。委任統治を三つの等級に分け、いちばん下の「C式」の土地は、受任国がほとんど自国の一部として統治してよい。南洋群島はそのC式に入った。
つまり、名前は委任統治でも、中身はほとんど領有と変わらない。日本は、南洋では実質的に欲しいものを手に入れたことになる。
その日の会議の様子を本部に持ち帰ってきたのは、吉田さんだった。牧野次席の随員として部屋の中にいたらしい。
「ヒューズがウィルソンと喧嘩をした」
食堂に入ってくるなり、吉田さんはそう言った。前置きはない。
「どういう喧嘩ですか?」
「ウィルソンが全世界の世論に逆らってでもオーストラリアはニューギニアを併合するつもりか、と聞いた。ヒューズはあの大きな補聴器を耳に当てたまま、だいたいそういうことです、と答えた」
食堂の何人かが噴き出した。吉田さんは笑っていない。
「それからウィルソンが、それならニューギニアでの宗教の自由を宣言してくれと言ったらヒューズはもちろんです、あの原住民はしょっちゅう腹を空かせて肉を欲していますから、宣教師が来てくれれば喜ぶでしょう、と言ったんだよ」
食堂が軽い笑いに包まれる。
「それで、うちの南洋は」
「C式だ。ヒューズのおかげで、C式がほとんど併合と同じ中身になった。あの男が暴れなければ、ウィルソンはもっと締め付けたはずだ......皮肉な話だが、南洋については、日本はヒューズに一つ借りができた」
吉田さんはそれだけ言うと、食堂のテーブルからパンを一つ取り、顔をしかめて、それでも齧った。
その夜、本部の会議室で全権と主だった随員の打ち合わせが開かれた。
南洋の件については、誰の顔も明るかった。問題は山東だ。顧維鈞の演説から二日が経ち、各国の空気ははっきりと中国の側に傾いている。ウィルソンは日中間の文書の提出を正式に求めてきた。中国代表団はそれに応じて、一九一五年の条約がどれほどの強迫のもとで結ばれたかを、秘密の交渉記録まで持ち出して証明しようとしているらしい。
「法は我々の側にある」
珍田大使が言った。いつものように短く、それ以上は付け加えない。
「英仏伊とは、一九一七年に了解を取りつけてある。三国とも、講和の席で日本の主張を支持すると約束している。約束は守られるはずだ」
「守られるでしょう。守られはするでしょうが」
松井大使が言いかけて、言葉を切った。その先を誰も続けなかった。
約束は守られる。英仏伊は日本の側に立つ。ウィルソンは孤立し、最後には折れる。私は、それが実際にそのとおりになることを知っている。四月の終わりに、山東は日本の主張どおりに決着する。
しかし、その直後に北京で学生たちが立ち上がり、中国はヴェルサイユ条約に署名せず、アメリカの上院は中国への裏切りと呼んで、アメリカの世論は日本を同盟国の顔をしたアジアの泥棒として覚える。
三年後のワシントン会議で、日本は結局、山東を中国に返すことになる。そのとき一緒に日英同盟が消え、アメリカの排日移民法が通り、日本はだんだんと、世界の中で一人きりになっていくという歴史だ。
会議室では、誰も打開策を口にしなかった。一九一五年の条約と、一九一八年の交換公文と、一九一七年の英仏伊との了解。その三本の柱を守り抜けばいい、というところで話はまとまっていく。牧野次席は最後まで、ほとんど何も言わなかった。
会議が終わって部屋に戻ると、上着のポケットに何か入っているのに気がついた。取り出してみると、二日前の朝に食堂の床から拾った、あの漫画の切り抜きだった。
着物を着た出っ歯の男が、辮髪の老人の懐に手を突っ込んでいる。
私はそれを机の上に広げて、しばらく眺めていた。この絵を描いた男は、たぶん条約の条文なんて一行も読んでいない。読む必要もないのだ。この絵を見たアメリカ人の誰一人として、条文なんて読まないのだから。
法では勝っている。けれど、この戦いは、法で戦っているのではないのかもしれない。
私は切り抜きを机の引き出しにしまって、ランプの火を落とした。




