78話 【ゼニス歴1079年 ニール視点】
最初の綻びが見えたのは、テオが消えてから十二日後だった。
情報を持ってきたのはユーリだった。
いつもと違って、朝一番に来た。
「ニールさん」
「何だ」
「新生アステリズム神聖国の北部輸送路で遅延が出ています」
俺は手を止めなかった。
朝の薬草煎じをしながら答えた。
「どのくらいだ」
「二日遅れです。現時点では小さな遅延ですが——」
「原因は」
「表向きは天候不順との報告です。ただ…」
ユーリは少し間を置いた。
「同じ街道を通るバルドール帝国の商隊は、遅延していません」
俺は鍋から目を上げた。
「そうか」
「はい」
「他には」
「はい。南部食糧備蓄の配分に、小さな計算誤差が出ているという話も入っています。
現地の担当者が修正しようとしているようですが、判断が遅い」
俺は鍋を火から下ろした。
「グレアム様に伝えろ」
「もう伝えてあります」
「そうか。お前は仕事が早いな」
「ニールさんに怒られたくないので」
ユーリは相変わらずの半眠り顔で言った。
俺は少し笑った。
「グレアム様は何と仰っていた?」
「様子を見よ、と。ただし行動する時の最終判断はレオムル様が行う、と。
続くようなら動くだろうとのことです」
「わかった」
ユーリが出ていった。
俺は鍋を見た。
薬草の煎じ汁が静かに冷めていく。
北部輸送路が最初に綻びる、とテオは言った。
十二日で出た。
予測より三日早い。
テオがいなくなって、現場の人間が代わりに動いているのだろう。
個々には優秀だ。だが全体を繋げて見る頭がない。
局所的な判断が積み重なって、ずれが生まれている。
俺は煎じ汁を瓶に移した。
今日も往診がある。南街区の老人と、北区の子供三人。
それから治療院の薬草在庫の確認。
仕事をした。
午後になった。
夕方になった。
夜、グレアム様から使いが来た。
明朝、面会を求めるとのことだった。
グレアム様の別荘応接室は、いつも通り静かだった。
窓から庭が見える。
手入れの行き届いた芝。
石畳の小径。
庭師の老人が今日も掃除をしている。
「座ってくれ」
グレアム様が言った。
俺は椅子へ腰を下ろした。
グレアム様は地図を広げる。
新生アステリズム神聖国領とバルドール帝国領の境界線。
そして南部から北部へ延びる輸送路が細い線で引かれている。
「輸送遅延が出だした」
「聞きました」
「天候不順ではない」
「ないでしょうね」
グレアム様は俺を見る。
「お前がテオから聞いた通りだ」
グレアム様は短く息をつき、地図へと目を戻す。
「あの女が抜けた穴は、どのくらいで表に出る?」
「もう出ています」
「本格的な影響が前線に出るまでは、という意味だ」
俺は少し考えた。
「テオが消えて十二日で北部輸送路に遅延が出ました。
次は南部食糧備蓄の配分がずれるでしょう。
それが前線に届くまで、早ければ一週間。
遅くとも二週間」
「合計で三週間前後か」
「そのくらいです」
グレアム様は腕を組んだ。
「フィデルが直接指示を出し始めたという話がある」
「それは悪手ですね」
「なぜ」
「国家規模の兵站を、一人の人間が肌感覚で動かせるものじゃない。
テオが育てた職員がいますが、全体を繋げて見ていた頭がなければ、局所最適化が始まるでしょう。
フィデルが直接介入すればするほど、混乱が生じます。
そして現場の判断が止まります」
グレアムは静かに聞いていた。
「テオはそれを計算した上で抜けたのか」
「はい、恐らくテオはフィデルを見限ったのでしょう。」
「見限った? 我々が見た時は見ていられない程、心酔していた様に見えたが?」
「ええ。なにかがあったのでしょうね。テオを現実に引き戻させる様な、何かが。」
「テオも女という事か」
「ええ」
「あの状態から一気に夢が醒めるとは、女というのは恐ろしいな」
「そうなのかもしれません」
「お前も精々気を付ける事だな。イルル嬢とは仲良くやっているのか?」
「ウチは大丈夫ですよ。」
「ふふっ、今日、家に帰ると急にイルル嬢の機嫌が悪くなっているかもしれんぞ?」
「……土産でも買って帰ります」
「それがいい。少しこちらでも用意しておこう」
「ありがとうございます」
「構わん。儂もなにかとイルル嬢には世話になっておる。」
窓の外で庭師が小径を掃いている。
ゆっくりとした動きだ。
グレアム様が低く言った。
「ラドゥルが動きたがっている」
「そうでしょうね」
「だが帝国としては、もう少し泳がせるつもりだ」
俺は少し驚いた。
「なぜですか?」
「兵が死ぬ」
グレアム様は静かに言った。
「まだ新生アステリズム神聖国の前線には力がある。
正面からぶつかれば、確実に双方に被害が出る。
どちらにも死者が出る。
それを避けたい」
「では」
「補給が完全に止まるまで待つ」
俺は黙った。
「腹が減った軍は戦意を失う。
戦意を失った軍は弱い。
戦わずに終われるなら、その方がいい。
まあ、指揮官が有能であれば、それも幾分かは保たせられるのだがな」
グレアム様の言葉は静かだった。
だがその言葉の裏に、四代にわたって辺境で戦ってきた男の重みがあった。
「ニールよ」
グレアム様が言った。
「はい」
「前線が崩れた時、医療支援を頼めるか」
俺は少し間を置いた。
「やります」
「無理はするな」
「あなたこそ。もう若くないのですから」
「ふっ。どいつもこいつも、隠居だ。年寄りだ、とジジイ扱いをしよる」
「事実ですから」
グレアム様は少し笑った。
珍しい顔だった。
「お前は相変わらず口が減らんな」
「すいません。性分なもので」
「まあ、よい。長い付き合いだ。これに懲りずに、またジジイの話し相手になってくれ」
「自分で言われますか」
「自分で言う分にはいいのだ。人に言われると、なにか、こう、腹が立つのだ」
「厄介な性格ですね」
「自覚はある」
二人で笑いあった。
辺境のご隠居老人と転生薬師。
変な組み合わせだと思う。
面会はそれで終わった。
俺は治療院へ戻る道を歩いた。
夕暮れの街道。風が冷たい。
頭の中でテオの言葉を繰り返した。
前線への補給が三週間以内に遅延し始める。
十二日で北部輸送路が綻びた。
残り、一週間から二週間。
俺は足を速めた。
治療院に戻ったら、薬草の在庫を増やしておく必要がある。
包帯も。
消毒用の薬液も。
戦争が近い。
戦争は怪我人を作る。
怪我人には薬師が要る。
それが俺の仕事だった。
エルバート王国を倒した後も、新生アステリズム神聖国が崩れていく今も、結局俺は薬師だった。
自分が出来る事を精一杯やる。
それでいい、と俺は思った。
リオネッサの灯りが見えてきた。
治療院の窓に明かりがある。
イルルがまだ働いているはずだ。
俺は巷で話題の焼き菓子の店『チューイの焦げバター』に寄り道をする。
…目当てのものが残っていてほしい、と願うしかない。
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ラストスパートに向け、やる気があがります(^^)




