62話 【ゼニス歴1074年 ニール視点】
ファランとマルグリットがわずかな手勢を連れて部屋を去り、教皇バルトロメウス3世が残される。
逃げようとはしなかった。
ただ、気味の悪い薄ら笑いを続けていた。
グレアム様が交渉の場を設ける。
俺はその場の後ろの方に立っていた。
教皇は——静かだった。
椅子に座り、膝の上に手を置いて、正面を見ていた。
怒りも、恐怖も、表に出さなかった。
「終わりだな」とグレアム様が言った。
「そのようですな」と教皇が言った。
「抵抗するか」
「しません。
——最後に愛娘マルグリットとも会話が出来た。
こんな幸せな人生はなかった。
これから闇に召されるのです。
こんなに素晴らしい事はない。」
グレアムは教皇を見た。
「民に謝罪する気はないか」
「謝罪、ですか。
——儂の行いは、常に主への奉仕です。
謝罪する理由が見えない」
「子供たちに謝罪する気はないか」
「子供たちの魂は、主の元に届いた。
それは尊いことです」
部屋が静かになった。
グレアム様は何も言わなかった。
俺も言わなかった。
言っても届かないと分かっている場所で、言葉を使う意味はない。
教皇は俺を見た。
「薬師」
「はい」
「あなたは——何者だ」
「しがない薬師です」
「薬師が、国を動かした、と」
「動かしたのはグレアム様です。
設計したのは先程のテオです。
俺は——薬を作ったまでです」
「謙遜、ですな」
「そのつもりはありません。役割の話です」
「あなたの知識は——どこから来たものですか」
「学んだものです」
「どこで」
俺は答えなかった。
教皇はしばらく俺を見ていた。
「転生者、か」
静かに言った。
部屋がわずかに静まった。グレアム様が眉を動かした。
「……確認できる材料はあるのか」
「今となってはないですな。
転生者かどうかを確認できる力を持っているのはマルグリットだけです。
儂は転生させる力をファランに渡すことで失った。息子もその術をもたない。」
「……」
「ただ——その薬師の知識の質。この世界で積み上げられるものではない。
数十年では得られない種類の知識であるということ。それは分かりますな」
「そうかもしれない」
「我が主へ敬虔に仕えているものは、まれにそういった術を手に入れる場合がある。
転生者をこの世界に招く術、人の頭の中を覗くことができる術等、です。
そしてその術を使い、多くの異世界からの訪問者がこの世界で生きている。
あなたもその一人なのでしょう」
「その転生者の——知識を吸い取り使い捨てにした」
「それはあの婿の話でしょう。
私ではない。またエルバート王国が使ったのではなく、活用しただけです。
彼らの力と知識を、主への奉仕に用いた」
「子供も含めて」
「主は年齢を選ばない」
俺は少し考えた。
怒りがある。
ある程度計算に変換できているが、全部変換できているわけではない。
「教皇バルトロメウス3世」
「何でしょう」
「あなたは長く生きた。多くのことを成し遂げた。——でも、一つだけ間違えた」
「何ですかな」
「人の命を手段にした。
——手段として使ったものは、いつか使い尽くされる。
使い尽くされた時、土台がなくなる。
だから——あなたはここで終わった」
教皇はしばらく俺を見ていた。
「……あなたには、信仰がないのですか?」
「ありません」
「そうですか。
いや、勿体ない。実に勿体ない。
こんなに素晴らしいものを知らないなんて。
まあ、それが——あなたを、ここまでさせた」
「そうかもしれません」
「だが、それがあなたの弱さでもある」
「それもそうなのかもしれません」
教皇はかすかに笑った。
「あなたは面白いお人ですな」
「ありがとうございます」
「ほっほっほ。今回、あなたは敵を作りすぎた。
断言しますが、あなたもいずれ信仰により身を滅ぼされます。
信仰の持たないものは魂の拠り所がない。
すなわち死を恐れるのです。
それは人の弱さに繋がる。
せいぜい気を付けられるがよいでしょう」
「ご忠告どうも」
グレアム様が立ち上がった。
「教皇の身柄をバルドール帝国に引き渡す。処遇はバルドール帝国の判断に委ねる」
「そうですか。では参りましょう」
教皇バルトロメウス3世は頷き、立ち上がる。
バルドール帝国の兵が入ってきた。
教皇は自らの足で歩き始める。
希望に満ちた足取りだ。
まるで新しい土地への布教活動へ殉ずるかのように。
一通りの見送りをした結果、俺達は部屋を出た。
廊下を歩きながら、教皇が最後に言った言葉を反芻する。
——敵を作りすぎた
勢いでここまで来たが、本来俺がやりたかったことなのか?
デイルが殺され、頭に血が上った状態で冷静な判断が出来ていなかったのではないか?
今、俺の中に怒りと安堵が混ざっている。
どちらかに整理できない。
そしてふとある人を思い出す。
俺は今、イルルに会いたかった。
だが、今イルルはここにはいない。
整理できないなら、無理にしなくていい。
今日は——それでいいだろう。
全ては俺の自由だ。
教皇の身柄がバルドール帝国に向け出発したのは翌日のことだった。
正式な手続きで、バルドール帝国の法務官が立ち会った。
ファランは意識を取り戻したが、ほぼ廃人に近い状態だ。
「回復に長い時間がかかる。完全に戻るかどうかは分からない」と医者が判断している。
マルグリットはファランと共にバルドール帝国の保護下に入ることを選んだ。
去り際、一度だけ振り返って、何かを言おうとした。
言葉にはならなかった。
それでよかった、俺はそう思った。
言葉にならないものを、無理に言葉にする必要はない。
「終わったわ」とテオが来て言った。
「……ああ。戻ろうか」
「うん。——少し、待って」
「何だ」
「ちょっとだけ、ここにいたい」
俺は何も言わずに、隣に立った。
建物の外の広場に出ていた。
バルドール帝国軍の兵が整然と並んでいる。
冬の空は低い。灰色で、遠い。
テオは俺にもたれかかってきて言う。
背の低いテオの頭は俺の腹の真ん中にポフッと収まる。
「ニール」
「何だ」
「ワタシ、ちゃんとできたかな」
「ああ」
「マルグリットに——言うべきことを言えた?」
「ああ」
「それで、よかった?」
「分からない。ただ——お前にしかできなかったことを、お前がやった。それは確かだ」
テオは少し間を置いた。
「……ありがとう」
「礼はいらない」
「いる。——ニールに言いたかったから言った」
俺は何も言わなかった。
「日本への帰還のことは」
「……もういい」
「…そうか」
「…ええ」
「あなたはデイルのことは?」
俺は少し間を置いた。
「……一度、広場に行く。王都に戻った時」
「一人で?」
「いや、イルルとだ」
「——一緒に行く」
「別に来なくても…」
「行きたいから行く。それだけ」
この時、俺はテオがなにを考えているか、まだ理解できていなかった。
馬車の準備が整ったとグレアム様の部下が来た。
俺たちは動き始めた。
リオネッサへの道は——長い。
でも、行き先が分かっている道は、怖くない。




