↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
68/96

63話 【ゼニス歴1074年 ニール視点】

王都に戻ったのは、アステリズム神聖国から引き上げた二週間後だった。


バルドール帝国の統治が、王都にも広がり始めていた。

旧貴族の多くが方針に従うと表明し、従わない者は端に追いやられていた。


グレアム様はレオネル様への引き継ぎを進めている。

ユーリが書類を整理していた。

クロノが新しい行政の流通図を描き、そこに集まる商人のまとめ役をしている。

これを機にみんな商魂たくましく動いている様だ。

且つての王都では見られなかった、正しい経済活動の兆しが見て取れる。

そんな気風だった。


みんな、それぞれの仕事をしていた。


俺とイルル、そしてテオが広場に行ったのは、夕方だった。

広場は——変わっていなかった。

石畳は同じで、中央に古い噴水がある。

人の往来もある。

市場が立っていた頃の名残で、端に屋台の跡がある。

商人が二人、荷物を片付けていた。子供が走っていった。


普通の夕方だ。

「ここだね」とイルルが言った。

「ああ」

「処刑は——公開だったの?」

とテオが聞く。


「ああ。反逆罪の名目だった。多くの人間が見ていた。見世物にされた、というべきかもしれない。

この街の人達からすればそれは娯楽のひとつなんだろう。」

「……」

テオは口を閉じる。


逆にイルルが口を開く。

「デイルさんを知っている人が、多く見ていた。そしてこんな事は間違っているとわかってた」

「ああ。カインもユーリもクロノも見ていた。

当時のリオネッサの治療院の患者が——何人かいたと、後で聞いた。」

テオは広場を見た。


「名誉は、回復できるかしら?」

「できるさ。時間はかかるが、バルドール帝国の承認の下で手続きを進める。

グレアム様にも相談しているし、この件に関しては、ユーリに頭を下げて頼んである」

「ユーリはなんて?」

「最優先で動きますって」

「するべきよ。必ず」

「そこまで急ぎじゃなくてもいいんだけどな。だが、必ずするつもりだ」

俺達は広場に花を供える。


明日にはまた市場が開かれる。この花は邪魔にされることだろう。

それでも俺達はデイルに祈りを捧げる。

イルルはゼニス教の教徒だ。

イルルに倣い、ゼニス教の形で祈りを捧げる。

この時ばかりは俺もゼニス教に救われたのかもしれない。


横で泣いているイルルをよそ目に、テオが聞く。

「ニール」

「何だ」

「あなたのお父さんは——どんな人だった」

俺は少し考えた。


「あたたかい人だったな」

「あたたかい?」

「子供のときからずっと剣を教えてくれていた。

教えるのはいいが、大人と子供の体格差を考慮してくれずに無茶苦茶スパルタの教えだったな。

常に本気で攻撃してきてた。」

「それのどこがあたたかいのよ。嫌いだったの?」

「嫌いなわけがない」

「じゃあ好きだったのね」

「……そうだな。俺はあの人のことが好きだったんだ。

剣の訓練は厳しかった。だけど、俺は嬉しかった。

あの人の心が常に俺を照らしてくれていた気がする。

あの人は俺の道しるべだったんだ」

「道しるべ…」

「俺の道しるべだったあの人は俺達を守り、そして去っていった。」

イルルも深くうなずく。


テオは少し笑った。

「ふふふ、いいお父さんにいい息子ね」

「今更だ」

「昔からだよ」

俺とイルルは顔を見合わせて笑う。

テオの顔が怖かった。


広場の石畳に、夕暮れの光が斜めに差している。

石は、昔と同じだ。

親父は——この場所で死んだ。

俺が駆けつけた時には、もう間に合わなかった。

間に合わなかった、という事実は変わらない。変えられない。

「ニール」

イルルが小さな声で言った。

「何だ」

「泣いてもいいんだよ?」

俺は答えなかった。


夕暮れが広場を染めていった。

噴水から水が流れる音がした。商人の荷物を畳む音がした。遠くで子供が笑った。

普通の、夕方の音だ。

やがて、俺は言った。

「帰ろう」

「うん」

俺たちは広場を後にした。


広場から戻って三日が経った。


王都での後処理が続いている。

グレアム様とレオネル様がバルドール帝国との折衝に入っていた。

ユーリもクロノも忙しそうだ。

ピノもなぜか忙しそうに走り回っている。

俺は診療の合間に薬草の在庫を確認していた。

感染症の第二波を想定するなら、黒吐病の治療薬は倍の在庫が要る。


「ニール」

テオが入ってきた。

書類を持っていない。

珍しい。


「何だ」

「少し、話がしたい」

「ああ。薬草の確認をしながらでいいか」

「ダメ。——ちゃんと話したい」

俺は手を止めた。


テオの顔を見た。

何かある。

「わかった」

俺は棚から手を離して、椅子に座った。

テオは向かいに座った。

しばらく何も言わなかった。

窓の外で鳥が鳴いた。馬車が通る音がした。

「ニール」

「ああ」

「……ワタシは、あなたのことが好き」

俺は答えなかった。


「今はまだいいの。——でも言わせて。言わないと、頭がどうにかなりそうだから」

「……」

「王城にいてやり取りを始めた頃から。あなたを最初に見た時から。ずっと」

声が、いつもの調子と違った。抑えているが、底のところで揺れている。


「テオ」

「分かってる。イルルの事よね」

「それだけじゃない」

「分かってるって言ってる」

「……」

「でも——言わないとワタシが終われなかった。それだけ」


俺は少し間を置いた。

「お前の気持ちは、受け取った。——俺にはイルルがいる。それは変わらない」

テオは俺を見た。

笑っていない。怒ってもいない。

ただ、何かを確認した、という顔をした。


「……なるほどね」

立ち上がった。

「テオ」

「何」

「お前のことは大事だ。仲間として。それは本当だ」

テオの肩が、わずかに動いた。

「………」

テオは扉に向かった。

その背中に、言葉が見つからなかった。


騒ぎが起きたのは、午後の薬草仕分けの時間だった。

廊下からテオの声がした。

「ちょっと待ちなさい!イルル!」

イルルの声が答えた。「どうしたの?」

俺は手を止めた。


「あなた、ニールのそばにずっといるじゃない」

「うん」

「やめてほしい。今すぐ、手を引いてほしい」

短い沈黙があった。

「……え?」

「聞こえなかった? 手を引いてって言ってる。ニールはワタシの——」

声が途切れた。


俺は廊下に出た。

テオとイルルが向き合っていた。

テオの目が、据わっていた。

感情的に叫んでいるわけじゃない。

でも——中の何かが、臨界点を超えている目だ。

「テオ」

俺が呼んだ。


テオが振り返った。

「——ニール」

「何をしている」

「言いたいことを言っている」テオはイルルに向き直った。


「あなたに分かる? ワタシとニールは同じ世界から来た人間なの。

同じ言葉を知っていて、同じものを見てきた。

あなたにはそれがない。絶対にない」

「テオ」

「うるさい!」


一瞬だった。

俺への返事が、初めて「うるさい」になった。

「ワタシはずっと黙ってた。ずっと我慢してた。

でも——もう限界。

あなたみたいな子がニールの隣にいて、ニールが笑って、ワタシはそれをずっと見てた。

それがどれだけ——」

「テオ」

イルルが言った。


静かな声だった。

「続けて」

テオが一瞬、止まった。

「……何?」

「続けて。全部言って、ほしい。」

「馬鹿にしてるのかしら。それとも余裕ってこと?

まあいいわ。——ワタシが一番ニールにふさわしいの!

あなたより、ワタシの方が!あなたに何が分かる?

このクソみたいな世界の言葉しか知らない、このクソみたいな世界の常識しか知らない、クソみたいなあなたに——ニールの何が分かるの!?」

「全部は分からない」

「でしょう? だから手を引きなさい。ニールはワタシが——」

「でも」

イルルの声が、一段、落ち着いた。

「テオには、ニールの今が見えているの?」


テオの顔が引きつる。

「あぁ?」

「今、ニールが何を考えているか。

今日、何を心配しているか。

今この瞬間、何を必要としているか」

「——そんなの…」


「私はわかるよ」


静かだった。

怒っていない。

叫んでいない。

ただ、真っ直ぐだった。


「テオがニールを知っていることは分かる。

同じ世界から来たことも、分かる。

私の知らない事をいっぱい知っている賢い人だってことも知ってる。

でも——ニールの隣に立つ資格は、そこからは来ないよ」

「何よそれ。何が言いたいの」

「テオが見ているのは、ニールじゃなくて、テオが欲しいニールなんだよ」


テオの顔が、動いた。

「——違うわ」

「ニールはワタシのものでもテオのものでもないよ。

ニールはニール。私はそれを知っているだけ」

「知ったような口を——」

「手は引かない」

はっきりと言った。


「テオに言われても、引かない。これだけは譲れない。

ニールに言われたら、考える。

でも——テオの言葉で、私は動かない」

「……っ」

「ニールを一番に想っているのは私。それだけは、譲らない」

テオが、一歩踏み出した。

「あなたごときに——」

テオがイルルに向かって手を上げる。


パン!


テオの右手がイルルの頬を叩いた。

「テオ!」

俺の声が、廊下に落ちた。

テオが止まった。

「……ニール」

「出ていけ」

「でも——」

「出ていけ、と言った。出ていけ!」

テオは俺を見た。


何かを言おうとした。

口が開いて——閉じた。

また開いて。

「……ワタシは」

声が、初めて小さくなった。

「ワタシは、ただ」

「分かっているよ」

イルルは言う。

「分かってないでしょ。あなたは何も——」

「分かっているよ。

テオはニールの事が好きなんだね。

ごめんね。

でも、私もニールの事が好きなんだよ。」

テオはイルルを見たまま、顔を青ざめさせる。


絶対に勝てない相手と対峙している様な顔で。

三秒。五秒。


それから——急に、力が抜けたような顔になった。

「……ごめん、イルル。カッとなったわ」

「テオ」

「もういい」

テオは踵を返した。

今度は走るように廊下を歩いていった。


足音が、遠ざかった。

曲がり角を折れて、消えた。

イルルは俺を見た。

「追わないの?」

「……少し待つ」

「どうして」

「今のテオに触れると、壊れる」

イルルは少し間を置いた。

「——でも、一人にするのも、怖いよ」

「そうだな」

俺たちは廊下に出た。


テオの足音は、もう聞こえなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
基本的に毎週水曜日、土曜日、日曜日の21時頃の更新を目指しています! 長期休暇期間中は、、、頑張ります!!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。