57話 【ゼニス歴1073年 ニール視点】
ユーリが、王都からの早馬報告を治癒院に持ってきた。
端的に言うと、王都が落ちた。いとも簡単に落ちた、という事。
リオネッサ兵が王都に入る際、兵士はほとんどいなかったらしい。
住民からの反発もなかった。
また、そのまま王城での籠城戦が起きるかと思えば、ファランとマルグリットは既にアステリズム神聖国へ亡命したとの話。
王城での戦闘は起きず、そのまま全軍がリオネッサに投降したとの事だった。
予測通りだ。
逃げるルートも、タイミングも、俺が最初に立てた計算の誤差の範囲内だった。
「王と王妃が王都を出ました。アステリズム神聖国方面へ向かっています」というユーリからの報告が来た時、俺はリオネッサで次の準備をしていた。
「王都の状況は」
「報告書によれば、経済に混乱はなく、食糧も不足しておりません。しかしながら、黒吐病患者は多数。治癒院にいるはずのアステリズム神聖国の治癒師は逃亡しているとの事で、医療現場は大混乱だそうです」
「わかった。従軍している治癒員に補充はいるか?」
「追加の要請がカイン様より来ております」
「では手配してやってくれ。ヴァルネ村のメンバーでまだ余力があるメンバーに出てもらう。クロノ?」
「大丈夫です。急ぎ薬と支援物資と共に手配を致します」
クロノが返事をする。
「アステリズム神聖国の動きはどうだ」
ユーリがクロノに感謝を述べながら次の報告に進む。
「教皇が感染症を『神の罰』と宣言しました。
各地のアステリズム神聖国の施設を通じて布告が出ています。
そして——『神の奇跡』によって治癒を行う、とも宣言しています」
「奇跡の具体的な内容は」
「詳細は不明です。
ただ、治療を受けた患者の症状が一時的に和らぐという報告が複数の地域から入っています。
初期症状の段階では、顕著な改善が見られるとのことで——民衆の間では本物の奇跡だと信じられています」
俺は頭を押さえる。
まさかとは思うが、信じたくはないが、可能性はあるのではないか?と思っていた心当たりが一つだけあった。
「詳しく調べてみないとわからんが、恐らく最悪の手段を使っている可能性がある」
「分かるのですか?」
「ああ、それを使っているとは思いたくはなかったがな」
「教えて頂いても?」
「…俺達が黒吐病を調べている時、アステリズム神聖国絡みで良くない噂を聞いていた。
アステリズム神聖国に出稼ぎにいき帰ってきた者が、精神を病んでいるという話だ。
なんでもアステリズム神聖国では奴隷のような扱いを受けていたらしいが、そこで出される甘い液体を飲むと一気に活力が溢れ、いくらでも働けるとの事だった。アステリズム神聖国は恐らくそれを使っているんじゃないだろうか」
それは間違いなく、戦後の日本でも薬局で普通に買えた『あの薬』だろう、と俺は予想していた。
ただしそれは神の奇跡でも疲労回復剤でも何でもない。
ただ単に精神中枢を麻痺させ疑似興奮状態にしているだけである。
当然、その患者にも依存症状が出ていた。
「…神でも何でもない。神どころか、悪魔の所業だ!」
ユーリが黙った。
「そんな…」
「あれは決して薬なんかじゃない!
心と体を一時的に興奮させて病気を感じなくさせているだけだ!
だから短期間だけ異常に元気になる!
だが——その後、急速に衰弱する。反動が来るんだ。
無理をしているんじゃなく、無理を感じなくしているだけだ。
そして治ったと勘違いさせる事で、更に沢山の薬を売りつけているのだろう。
教会も薬を金儲けの道具にしか見ていない!
人を人と思っていない、糞の様な人間たちだ!!」
「それを……奇跡として見せている、と」
「ああ。一時的な回復は目に見えるだろう。衰弱が来るのは後だ。
その二つの因果関係を結びつけにくいように、間隔を空けている可能性もある
もし、本当にアステリズム神聖国がその薬を使っていたのであれば、俺は絶対にアステリズム神聖国を許さない!!」
ユーリは少し間を置いた。
「……それを証明できますか」
「まずはその薬を手に入れてくれ。
それから治癒を受けた患者の追跡調査を行う。
薬服用後、一ヶ月、二ヶ月の状態を記録して、治癒を受けていない患者と比較する。
数字が出れば証明になる」
「どのくらいの時間が必要ですか」
三ヶ月あれば、初期の数字が揃う」
テオが計算を確認していた。
「クロノ、あなたは今、アステリズム神聖国による子供の買い集めの記録をまとめているわね」
クロノは帳簿をさすりながら言う。
「もうすぐ完成します」
「素晴らしいわ。それとニール。この追跡調査の結果を合わせて公開する?」
「ああ。——クロノのリストで人身売買の事実を出す。俺の追跡調査で、奇跡の実態を出す。
両方が揃えば、教皇の行動の意味が変わって見えるだろう」
「公開の手段は」
「バルドール帝国の通商ルートを使おう。皇帝が許可している。この情報を各地に流すことは、バルドール帝国にとっても利益になる」
テオは少し考えた。
「アステリズム神聖国は否定声明を出してくるかしら」
「出す。だが——否定の声明より、実際に症状が悪化した患者の方が多く出る。声明は紙の上だが、症状は自分の身体に出る。どちらが信用されるだろうな」
「身体、ね」
「ああ」
テオは窓の外を見た。
「ニール」
「何だ」
「あなたは——怒っている?」
「まだ確証があるわけじゃないが、もし本当にそうであれば、俺は絶対に許さない。
これは俺の薬剤師としての矜持にも関わる。
アステリズム神聖国のこの行為は俺に対する宣戦布告だと捉えている。」
皆は俺の剣幕に完全に圧倒されていた。
少し言い過ぎたかもしれない。
だが、俺は絶対に許せなかった。
デイルは最後に俺に「やりたいことをやれ」と言った。
何の因果かは知らないが、縁があってこの世界に飛ばされてきた。
これは俺の力をこの世界で試せということだったと思っている。
俺は自分の知識で自分のできる範囲で頑張ったつもりだ。
それは人を救うということだ。人を傷つける事ではない。
アステリズム神聖国がやっている事は完全に人の尊厳を無視している。
薬屋の風上にも置けない行為だ。
そんな国が裏でエルバート王国を操り、デイルを殺したのだ。
エルバート王国もアステリズム神聖国も同罪だ。
テオが言う。
「あなたの怒りはわかった。悔しいのね。
でも、意外と冷静にそれを計算に変えているわ」
「変えないと、精度が落ちる」
「分かった。正直私にはなにが起こっているのか、よくわからないわ。
だけど——あなたが怒るなら、私も怒ることにする。ワタシはあなたの同胞だから」
テオは手を俺の手に重ねてくる。
心なしか最近テオとの距離が近くなってきている。
かなり打ち解けたという事だろうか。
イルルが少し怪訝な顔をしている。
かなり怒りの感情が前に出てしまった事、また余計な心配を掛けたかもしれない。
あとでイルルに謝ろう。
【クロノ視点】
ニールさんがお怒りだった打合せの数日後、リストは完成しました。
完成に要した時間は四ヶ月。
最初は、コルブさんから届いた書類の束からでした。
王都で消えた人間の名前と、おおよその年齢と、最後に確認された場所。それが土台です。
次に、ユーリさんが調査した諸外国の取引記録を加えました。
アステリズム神聖国と取引のあった商人が残した帳簿の写しです。
「労働確保費」と記録されたものの中に、人の名前と金額が含まれていました。
最後に、ミラさんとミアさんが商隊ルートで集めた証言を付け加えました。
「子供を連れていった人間がいた」「その後、消えた」という話が、複数の場所から重なりました。
全部を一つにまとめると——四百名以上の名前と、出身地と、買い取り金額の記録になりました。
「クロノ、これ——全部、実際にいた子供たちの記録なの…」
完成した夜、ミアさんが確認しました。
「はい。名前と出身地が確認できている分だけで、四百名以上です。
記録が残っていない分を含めれば、もっと多い」
ミアさんは黙りました。
ミラさんが「……あいつら、ぶっ壊してやる」と言いました。
お二人もひょっとしたらこのリストの中に入っていたのかもしれない境遇の人でした。
私も商会が潰され、ニールさんに出会えていなければ騙されてこのリストに名前が入っていたのかもしれません。
「はい。ニールさんとテオさんの指示で、バルドール帝国の通商ルートで各国に配布します」
「反発は来るだろうな」とミラさんが言いました。
「アステリズム神聖国からは来ます。否定声明が出るでしょう。一部の貴族からも来るかもしれません」
「でも」
「でも——数字は変わりません。記録は変わりません」
ミラさんは少し黙ってから、頷きました。
ミアさんが「私たちが集めたものが、ちゃんと形になっただね~」と言いました。
声が少し震えていました。
「ミアさんとミラさんが動いてくれたから、形になりました」
「……そっか」
リストをバルドール帝国の商隊に渡したのは、翌日のことでした。
二週間後、最初の反応が来ました。
複数の国の貴族から、アステリズム神聖国への公式抗議文が出た、という報告です。
リストの中に、自国の子供の名前があったからです。
「予定通りね」とテオさんが言いました。
「はい」
「クロノ」
「はい」
「あなたが四ヶ月かけて作ったリストが、今日、世界に届いた」
私はしばらく何も言えませんでした。
ニールさんが「よくやってくれた」と言ってくれました。
「……ありがとうございます」
「礼はいらない。次の書類に移ってくれ」
「はい」
私は帳簿を開きました。
治療院の壁に掛かったレオン商会の看板を、少し見ました。
父が私の産まれた時に建てた商会はなくなりました。
でも——父が教えてくれた帳簿の書き方は、今もここにある。
数字は、噓をつかない。
それだけが確かだと思いながら、私は次の仕事に戻りました。




