51話 【ゼニス歴1073年 テオ視点】
セドリック宰相の対処について、ワタシが最初に出した答えは——「殺さない、追い払わない、ただ無力化する」というものだった。
物理的に排除する必要はない。
彼は有能だ。
ワタシに宰相という立場を悟られずに、転生者であるワタシの中身を調べようとした。
ワタシが異世界転生モノの小説を好んでなかったら、間違いなく全てを話して、ワタシはこの場にはいなかったのだろう。
外に出て、彼の有能さがわかる。
権謀術数に長けていて、組織を動かすことに慣れている。
故に、『崩しやすい』のだ。
彼を「場違いな場所に置く」だけでいい。
彼の有能さが、むしろ足を引っ張るような状況を作る。
「どういう意味だ」とニールが聞いた。
「エルバート王国は中央集権国家なの。すなわち宰相の権限は全てにおいて優先される。
軍事、内政、経理、総務。お金にまつわる部分の全てが宰相の決裁によって統治されているの。お金の部分に関しては、時に宰相の権限は王の権限を超えるわ」
「なるほどな。具体的には何をする?」
「そのエルバート王国の資金管理システムを、セドリックが読めないものに書き換えるの。
決裁システムの構造を変え、決裁の流れを変える。
資金の動きを——彼が理解できない新しい分類で整理し直す。
エルバート王国内全ての資金の流れを把握している彼はエルバート王国の内部まで知り尽くしている、といっても過言ではないの。
勿論、歴代の宰相の系譜としてだけど、そこに彼は自分の論理で今のエルバート王国の秩序を作り上げてきた。
だけどそれは今までの情報。
これからの新しい情報にセドリックはついてこれない。という事よ。
ワタシが王城にいた10年間で、これを仕込んでいた。
部門を複雑にし、部署間の連携を縦から横へとクロスさせる。
簡単に言えばプログラムを複雑にした、という事ね。
でも、それはあくまでも、それはまだ発動していない。
いつか発動するその時を見越してペンディングさせていたの。
そして、今がそのタイミング。
その論理が通じない仕組みに変えれば——有能なセドリックが、突然『何もできない人間』になる」
「それを誰がどうやって実行するんだ? お前は既に外に出てしまっている。」
「ワタシが書類と新しい稟議決裁書類を作成する。
そしてそれをセドリック自身に承認させるのよ。
それがシステム発動の条件になる。
これで一気に稟議決裁システムがセドリックの一極集中から部門毎の単独決裁に切り替わる。
そしてそれを教えると全部門が好きに経費を使えるようになる。
もちろん普通の稟議書類だわ。
だけど、セドリック自身はその書類の奥底にあるシステム変更部分には絶対に気付かない。」
「なるほどな」
「その書類を提出するのは——エルバート王国内のセドリック派ではない文官に頼む必要。
ユーリが見つけてくれた三人がいるの。
この3人は出自の問題でセドリックに冷遇されていた若手で、アステリズム神聖国に批判的だった人たちよ。
左遷されて、今は王城の端っこにいる」
「信用できるのか?」
「ユーリが保証している。ユーリの目利きは正確だと、ワタシもそう思う」
ニールは少し考えた。
「……わかった。進めよう」
ワタシは書類を書き始めた。
かかった時間は、三週間。
新しい帳簿の設計。
決裁フローの再構築。
財務分類の定義書。
資金移動の承認プロセス。
参照すべき他の書類との対応表。
全部で五十二ページになった。
これはワタシが王城で十年間打ち続けてきた帳簿の——「別の言語による翻訳版」だ。
内容は同じだ。
でも、書き方が違う。
分類の発想が違う。
優先される概念が違う。
セドリックが慣れ親しんできた「上意下達・中央集権・予算単位での管理」という論理の代わりに、「地域自律・フロー管理・目的別の動的配分」という論理で書いてある。
どちらが優れているかは、関係ない。
セドリックにとって後者が「知らない言語」であることが、重要だ。
「これ、難しくね? 一体、何が言いてえの?」とミラとミアが書類を手に取り、眉間に皺を寄せて言った。
「難しくはしていないわ。——セドリックが慣れていない考え方と考えないと瞬時で判断できない新しい言葉で書いてあるだけ」
「どう違うの~?」
「難しい問題と、知らない言語で書かれた問題は違う。難しい問題は頭を使えば解ける。知らない言語の問題は、まず言語を学ぶところから始めないといけない。その為には、考え方の根本を把握していないといけない場合がある。今回はまさにそれね。」
「じゃあ——時間がかかるって事か?」
「今のセドリック宰相の知識では、この書類を完全に解読するのに半年はかかるわ。
ひょっとしたらもっとかかるかも。
でも、その頃には——もう関係ない。」
ミラとミアはちょっと怖そうな顔をした。
「テオってさ~、たまに怖いよね~」
「ありがとう」
「褒めてねぇよ」「ないよ~」
「分かってるわ」
ミラミア姉妹とのやり取りで少しリフレッシュしたワタシは、書類を閉じた。
仕上げに再度読み直す。
自分の目で確認して——問題ない。
この書類がセドリックの前に置かれた時、彼は既に取り返しのつかないことになっている。
だが有能だから、必ず書類を読み込もうと最後まで読む。そして気付く。
自分の知っている言葉がないことに。
数字は分かる。
単語も分かる。
でも——文章の意味が理解できない。
なぜそのルートを通り物事が動いているのか、理解できない。
決裁の手順が見えない。
自分がどこに署名すれば何が動くのかが、分からない。
そういう状況に置かれた時——人は、自分が役に立てないことを悟る。
ワタシはニールに頼む。
「ニール、ガブに頼んでいいかしら?」
「何を?」
「三人の文官を、一度、王都から連れてきてほしい。
表向きは商用でリオネッサに来た、という体で。目立たず、安全に」
ニールはガブを呼んだ。
「わかった。俺に任せろ。何日かかる?」
「往復で十二日。現地での確認に三日見ればいい」
「十五日か。それで足りるなら問題ない」
「それで足りる」
「わかった。出発は明後日でいいか」
「明後日で構わないわ。——ガブ」
「何だ」
「ありがと」
「……仕事、なんだろ。おれは仕事が出来るタイプの男だ」
ガブは素っ気なく言って出ていった。
自分で言ってて少し恥ずかしかったのか、耳が少し赤かった。
それを目ざとく見つけたピノにからかわれている。
ワタシは窓の外を見た。
リオネッサの夕暮れ。石畳の通りに橙色の光が落ちている。
王城から逃げてきて、もうすぐ一年半が経つ。
あの夜のことを、時々思い出す。城の外に出た瞬間の、夜風の感触を。煙の匂いを。暗闇の中でニールの声を聞いた時の——なんとも言えない感覚を。
今はここにいる。
怖くはない。
手が動いている。数字が動いている。システムが動いている。
それで十分だ、とワタシは思った。




