49話 【ゼニス歴1073年 テオ視点】
感染症は、ワタシたちの計算通りに——そして計算より、少しだけ速く、広がっていた。
エルバート王国の王都に近い三つの街で、集団発症の報告が入った。一つの街では死者が一週間で八名。うち六名が高齢者だった。
リオネッサには、毎日のようにエルバート王国の使者や商人が問い合わせに来るようになった。
「薬があると聞いた。エルバート王国北部でも病気がいつ入ってくるかわからん。いくらでも払う。売ってほしい」
クロノが応対する。
「申し訳ありません。現在、リオネッサの住民への優先配布を行っておりまして」
「では、金額の問題か。値を言ってくれれば考える」
「金額の問題ではございません。既にリオネッサ内で使用する分の受注を貰っており、他領への納品はその後の製造分になります。あとは、製造量の問題です。現在の体制では、外部への販売に回せる量がございません」
「急がせろ! いつ頃になるのだ」
「現時点では未定です。進展があり次第、こちらから連絡いたしますので」
「リオネッサの民はエルバート王国の国民だろ! 同じ国民の中で貴領は出し惜しみをするというのか⁉」
「そうは申しておりません。ですので、納品の順番と製造量の問題でして…」
「そんなことは聞いてない‼ あるだけ出せ、と言ってるんだ‼」
「ええ、準備が整い次第、順次行いますので。次の方、どうぞ」
「ま、待て! まだ終わってない!俺は北部トリイ伯領の御用達のハント商会だぞ! わざわざここまで来たんだ。なにもなしでは帰れん! 頼む、薬を譲ってくれ!」
「はぁ、そう言われましても…」
「そ、そうだ、あんた、レオン商会ってんだろ? あの王都から追い出された。大変だったな。苦労したんだろう。わかるぜ、同じ商人なんだ。」
「はぁ。」
「俺の商会は王都への口利きも出来る。ちょっとばかり値は張るが、この際、構わない。
見ればあんた中々な上玉じゃないか。うちの息子の所に来ないか? 商会まとめて面倒見てやるから。
な? 悪い話じゃないだろ?」
「…サイモンさん、ダリルさん、お客様お帰りです!」
サイモンとダリルが部屋に入ってくる。お世辞でもスマートな感じではない。筋肉隆々、顔も体も傷だらけ。歴戦の戦士といった感じだ。
「な、ま、待ってくれ! 頼む!」
ダリルは男を掴み、椅子から引きずり倒す。
「お前、人の足元をみる商売しやがって! いつか痛い目見るぞ!てめえは商人の風上にも置けねえクソ野郎だ! だから王都から追放されるんだ!」
クロノは表情を変えない
「そうですね。一度、痛い目を見ました。ですので、今度は上手くやりますよ。レオン商会の信念は曲げずに、ね」
クロノは断り慣れていた。声のトーンを変えず、柔らかく、しかし明確に。
感情的になる相手にも、同じ言葉で繰り返した。
ワタシはその報告書を読みながら、流通の計算を続けていた。
クロノは次の客との交渉を始めている。外ではまださっきの客が揉めている。
ここ最近の日常だ。
昼休憩になり、私は話しかける。
「クロノ、大丈夫? 疲れてない?」
「テオさん、ありがとうございます。全く疲れてないですよ。なんか、面白くって。」
「面白い?」
「はい!とても! レオン商会としてこの様な現場の最前線に立たせて頂き、毎日充実しています。ニールさん、テオさんには感謝してもしきれません!」
「あんな交渉でも?」
「なにを言いますか。とても充実した商談を行ってますよ。全国の有力商会の代表者がわざわざ辺境地まで来て下さり、交渉をしてくるんです。しかも当方が圧倒的なアドバンテージを持った状態で。なかなか体験できる人はいませんよ。それこそ王都の購買担当でもない限り。」
「あんた、相当変な子なのね」
「そうですか? 私からすればニールさんもテオさんも相当変ですよ?」
「ワタシが? どう変なの?」
「ずーっと、机に向かって一人で草花や書類とにらめっこしているでしょう。特にブツブツ独り言を言ったり、急に落ち込んだり、と思ったら急に笑い出したり。」
「え⁉ ワタシ独り言、言ってるの?」
「はい。結構、大きな声で。もう慣れましたけど」
…そう言えば、刀祢もそんな事を言ってたっけ?
あれ?刀祢の事、久しぶりに思い出した。っていうか、リオネッサに来てからすっかり忘れてたわ。
なんでだろ。なんで忘れてたんだろ。
「ニール」
私は研究室で作業に没頭しているニールに問いかける。
「何だ」
「民衆向けの薬を、エルバート王国の地方に流し始めていい?商隊ルートの準備は整っている。もちろん偽って国や貴族に回す輩が出た場合は全ての出荷を止める。誓約書にサインを書かせるわ。」
「わかった。それで、貴族への対応は?」
「クロノが応対している。窓口は閉じたまま。——アステリズム神聖国との関係を切る誓書を出した者は、今のところゼロね」
「なら、貴族には渡さない。民だけに流せ」
「わかった。——ただ、相談がある」
「何だ」
「民に薬を流す時、名前を残さない方がいいと思う。誰が送ったかを記録しない。ただ届く、という形にする」
ニールは少し考えた。「理由は」
「エルバート王国の貴族が、民への薬の流通を妨害しようとした場合、送り主が明確だと攻撃の的になりやすい。記録がなければ、妨害のしようがない。薬だけが届く」
「……そうだな。やってくれ」
「それから——噂は意図的に広げる」
「どうやって」
「商隊を使う。薬を届ける時に、一言だけ言ってもらう。『リオネッサから来た』と。それだけでいい。あとは自然に広がる」
ニールはワタシを見た。
「噂を管理する気か」
「管理じゃない。方向を付けるだけ。噂は勝手に広がるわ。ただ、最初の一言をどう設定するかで、広がり方が変わる」
「……任せる」
「ありがとう」
ワタシは帳簿を閉じた。
「ニール、一つ聞いていい?」
「何だ」
「あなたは——民衆を助けたいと思ってる?」
ニールは少し間を置いた。
「どうなんだろうな。俺は薬剤師だから、病気に負けるのは嫌だ。」
「それだけ?」
「……それだけじゃないかもしれない。ただ、感情で判断すると精度が落ちる。だから、そういうことにしている」
ワタシは少し黙った。
感情で判断すると精度が落ちる。
それは——ワタシも同じだ。考えても答えが出ないことを考えても仕方がない、と分かっていても。
「ニール」
「何だ」
「あなたも人間ね」
「なんだ、急に」
「分からないけど。——なんとなく、言いたかった」
ニールは何も言わなかった。
ワタシは次の帳簿を開いた。
数字の中に戻っていく。ここは、ワタシが一番うまくできる場所だ。
エルバート王国の地方に最初の薬が届いたのは、一週間後だった。
商隊を通じた、静かな配布だ。受け取った村の名前は記録に残さない。ただ——薬だけが届く。
「リオネッサから来た」
その一言と共に。




