45話 【ゼニス歴1072年 ニール視点】
記念すべき50回目の投稿です!
感染症の研究は、想定より早く進んだ。
理由は単純だ。この世界の黒吐病の変異種は、前世の知識で分類するなら「コレラ」に近い。
病原体の特定はできないが、症状の進行と感染経路のパターンが一致する。
機序が分かれば、対処の方向は見えてくる。
問題は材料の確保だ。
「これだけあれば、試作品の初段は出せる」
イルルが薬草の束を机に置いた。
「他に何か要る?」
「あと二種類。カルン草とシゴの根。カルン草は解熱と炎症の抑制に使う。シゴの根は腸の粘膜保護に必要だ」
「カルン草はすぐ出せるよ。シゴの根は……在庫がない。取り寄せに十日はかかっちゃう」
「十日か」
俺は少し考えた。試作の初段はカルン草だけで始められる。
シゴの根は第二段の配合に必要だ。
順番を入れ替えれば、ロスは最小限に抑えられる。
「カルン草で始める。シゴの根はミラかミアに頼めるか、聞いてくれ。採取場所を地図で示せば、動いてもらえるかもしれない」
「聞いてくる」
イルルが出ていく前に、俺は言った。
「お前が薬草の目利きをしてくれているから、助かっている」
イルルは足を止めた。
「……それ、嬉しいな」
「そうか?」
「うん。言われるととっても嬉しい」
「すまない。もっと言うべきだったな」
「まあ——ニールは忙しいからね。でも、そうしてくれると嬉しいな」
イルルは少し照れ笑いしながら部屋を出た。
薬の調合は、三週間かかった。
黒吐病の変異種に対して有効な成分の抽出、配合比率の調整、副作用の確認。各工程に時間がかかる。
一人では不可能な作業量だ。
イルルが補助に入り、クロノが記録を担当した。
ミアが材料の補充と計量を担当し、ミラが採取してきたシゴの根が途中から加わった。
「これ、何十回も同じ作業をするよね」とミアがある日言った。
「同じじゃない。条件が毎回少しずつ違う」
「そうなの?」
「温度、湿度、材料の採取時期によって成分の濃度が変わる。記録を取りながらやらないと、次に同じものが作れない」
「じゃあクロノが記録してるのは……」
「次のためだ」
「へー。薬作りって、料理みたいなのね」
「まあな」
ミアは「そうかあ」と言って、また計量に戻った。
試作品の動物実験を、三度行った。
一度目は効果不十分。配合比を修正した。
二度目は副作用が出た。成分の一つを別のもので代替した。
三度目で、一定の効果が確認できた。致死率の改善と、回復期間の短縮が数字として出た。
俺はグレアム様への報告書に、それを記した。
感染症の現状分析。
拡大予測。
防疫システムの設計。
治療薬の試作成功。
今後の対応方針。
しばらくして、グレアム様からの呼び出しがあった。
「お前たちの薬、儂は全面的に支援したい。具体的には人員と資金を出させてくれ。
その上でひとつ聞いていいか」
「はい。聞いてください」
「この薬を、リオネッサ以外に渡す気はあるか」
俺は少し考えてから答えた。
「あります。ただし——渡す相手と条件は、俺が決めます」
グレアム様からの返事は一言だった。
「それで構わん」
【ユーリ視点】
グレアム様が資金と人員を出すと言った翌日、治療院の小会議室に全員が集まった。
ニールさん、テオさん、クロノさん、イルルさん、ミラさん、ミアさん、ガブさん、そして僕。
八人が一つの部屋に集まるのは、久しぶりだった。
カインさんは最近グレアム様の意向もあり、今は辺境領兵の育成を一手に引き受けている。
グレアム様の長男レオネル様と一緒にずっと兵士に付きっ切りだ。それだけ本番の戦争が近いってことなんだろう。
俺は隅に座って、全員の様子を見た。
ニールさんが立っている。
珍しい。
いつも座っているか、薬草の前で作業しているかのどちらかだが、今日は部屋の真ん中に立って全員を見渡していた。
「防疫システムの展開について話す」
ニールさんが言った。
「リオネッサ全域に、水源の監視点を三十カ所設置する。感染疑いの患者が出た場合の隔離手順も、各村の長に周知する。これはテオが担当する。ヴァルナールの村民も上手に使ってくれ。彼らが一番上手に対処できるはずだ。
クロノは物資の管理全般、ミラとミアは情報収集の範囲を領内全域に広げてくれ」
「承知しました」とクロノさんが言う。
クロノさんはもうノートを開いて書き始めていた。
「わかった~」とミアさんが言った。
「具体的には何を集めればいいの~?」
「感染者の発生報告と、旅人の動向。特に——アステリズム神聖国からの流入者を把握しろ」
ミラさんが手を上げた。
「アステリズム神聖国からの旅人って、全員がヴォイド教の信者なのか?」
「多いが、全員ではない。逃げてきた人間も混じっているはずだ」
「逃げてきた、って……逃げてくる理由があるの?」
「ある。アステリズム神聖国内の状況が、ここに来て急速に悪化している可能性がある。詳しくはミラに後で伝える」
ミラさんが僕の方を見た。
「ユーリに先に調べてもらった方が早くない?」
「そうなる」とニールさんが言った。
「ユーリ」
「はい」
「アステリズム神聖国の施設の位置を調べてほしい。特に——巡礼者の宿泊所、孤児院、布教所を名乗っているが、人が入って出てこない場所を重点的に」
「情報源は何を使いますか」
「商隊のルート記録。修道士の往来記録。それからお前の伝手だ」
俺の伝手とは——父が残した貴族交友録のことだろう。
俺が十五年間、「ボンクラの三男」を演じながら観察し続けてきた貴族社会の人脈だ。
積極的に使いたいとは思っていなかった。
だが、こういう時のために持っていた、とも言える。
「わかりました。一ヶ月いただければ」
「すまんが、三週間で頼む」
「……承知しました」
「ガブ」
「ああ」
「街道の監視を頼む。特に、不審な荷馬車に注意してくれ。人を密輸する荷馬車は、荷の量の割に馬の疲弊が早い。急かされているから、休憩も短い」
ガブは腕を組んだ。
「それ、見ただけで分かるか?」
「慣れれば分かる。今週、俺が一緒に出て教える」
「……わかった」
ガブさんは少し間を置いてから言った。
「でも、俺だけじゃ見張れない街道の数があるな」
「リオネッサの民で、信用できる人間を使え。グレアム様の人員も借りられる。人選はカインに相談しろ」
「それならやれる」
ニールさんは一度全員を見渡した。
「先に言っておくが、俺は感染症を武器にするつもりはない。
皆にはこの作業の意味を理解しておいて欲しい。
俺たちがやることは感染症の制御。
目的は、人をこれ以上死なせないことだ。」
部屋が少し静かになった。
「ただし——この制御の技術と薬を持っていることは、交渉の道具になる。その部分は俺が判断する。お前たちは、自分の担当を確実にやってくれ」
誰も反論しなかった。
反論の余地がないからではない、と俺は思った。
ニールさんの言い方が、反論を封じているからでもない。
ただ——全員が、同じ方向を向いている。
それだけのことだ。
「以上だ」とニールさんが言った。
「……さあ、始めましょうか」とテオさんが言った。
全員が席を立ち始めた。
僕は最後まで残って、ノートに書き留めた。
三週間でアステリズム神聖国の施設地図を出す。
父の交友録を使う。
それが——十五年分の準備の、最初の使い道だ。
なぜだろう。とてもすがすがしい気分だ。




