【閑話】花火
【田中誠司視点 ゼニス歴1042〜1045年】
「体が小さくなっている。」
俺が最初に感じたことだった。
自分の手を見た。子供の手だ。柔らかく、小さく、指が短い。3歳児位だろうか。
35歳の記憶を持ったまま、この小さな体に押し込まれている。
(……転生、ってやつか)
陸上自衛隊員として、最悪の事態を想定して動く習慣が、この瞬間も働いた。
まず状況を把握する。
部屋は石造りだ。窓が一つ、小さい。
外から鍵がかかっている。
ベッドが二つ。
食事が運ばれてくる。
言葉は通じない。
捕虜だ。
監禁されている。
理由はまだわからない。でも——この部屋から出られない以上、情報を集めることしかできない。
この小さな体では、戦えない。逃げられない。
誠司は冷静に、状況を整理した。
ベッドが二つある。
もう一人、いる。
もう一人は、俺より少し後に覚醒した。
同じ日の夜、隣のベッドで眠っていた子供が、突然起き上がった。
「……あれ?」
日本語だった。
俺は動きを止めた。
「……日本語、か」
子供——男の子が、誠司を見た。
目が合った。
「え……日本人?」
「ああ」
男の子は少し間を置いて、それから泣き始めた。
声を出さずに、静かに、でも肩が激しく震えていた。
俺は何も言わなかった。
この小さな体で泣く感覚を、俺も最初の夜に経験していた。感情の制御が利かない。
怖いと思った瞬間に体が勝手に震える。
しばらくして、男の子は泣き止んだ。
袖で目を拭いて、俺を見た。
「……俺は佐藤龍次。35歳。花火技師だ」
「田中誠司。35歳。自衛官をやっている」
「……同い年か」
「ああ」
龍次は少し笑った。
泣いた後の、くしゃくしゃの笑顔だった。
「よかった。一人じゃなくて」
俺は何も言わなかった。
でも——その言葉が、この夜の全部だった。
次の日、俺達は王の玉座に連れていかれた。
王と王妃だろうか。中々、若いが言葉は全くわからない。
王府が近寄ってくる。王妃は佐藤の額に手を当ててしばらくすると佐藤が光り出した。
「えっ、えっ、えっ⁉ 田中、お、俺、光ってる!」
俺は焦った。この世界には漫画の様な魔法があるのか、と。
だが、その後、この世界にはこの他に魔法やスキルの類は全く見当たらず、俺の焦りは杞憂に終わるのだが。
考えているうちに、佐藤の光は止み、佐藤は気を失っている。
王と王妃は話し合っている。何を話しているんだ。くそっ、全くつかめない。
次は俺の晩の様だ。
王妃が近づいてくる。額に手を当てて来た。
「●●●●● ●●●●●●●」
「くっ!」
俺の体が光り出す。そして俺は意識を手放した。
気が付いた時は佐藤と共に元の部屋、ベッドの上だった。
相変わらず世話係が食事を持ってくる。
話し相手は佐藤だけ。
俺は言語の習得を優先した。
軍人として、情報収集が最優先だと判断していた。
この世界の言葉を覚えること、部屋の構造を把握すること、食事を運んでくる人間の動きのパターンを掴むこと。
佐藤は別の方法で過ごしていた。
食事を運んでくる人間に話しかけ続けた。言葉が通じなくても。
身振り手振りで。
笑顔で。
俺には理解できない。余りにもしつこいので、俺は佐藤に聞いた。
「お前、一体何してるんだ?あいつらが俺他をこんな目に合わせたんだぞ」
「友達作ってる」
「……なんのために?」
「友達は多い方がいいだろ」
「ここは捕虜として監禁されている場所だ。友達を作っても——」
「わかってる」
佐藤は静かに言った。
「でも、俺は職人だから。材料なしには何も作れない。材料を集めるには、人を動かさないといけない。人を動かすには——まず顔を覚えてもらうことだ」
俺は少し考えた。
「何を作るつもりだ」
「花火」
「この世界で?」
「ここに材料があれば、作れる。俺は15歳から20年、火薬と向き合ってきた。道具と材料さえあれば——どこでも作れる」
俺は佐藤を見た。
この男の目が、花火の話になった瞬間に変わる。
職人の目だ。
「……危険だ」
「花火は危険なもんだ。だから俺みたいな専門家が扱う」
「そういう意味じゃない」
佐藤は静かに言った。
「この国の人間に火薬の技術を見せることが——危険だと言っている」
佐藤は少し黙った。
「……わかってる」
「本当に?」
「わかってる。でも——」
佐藤は窓の外を見た。
小さな窓から、夜空の端が見えた。
「花火を見たことのない人間に、花火を見せたい。それだけは——変わらない」
俺はその横顔を見た。
止めても無駄だ、と思った。
この男の中心には、花火がある。それを取り上げたら——佐藤という人間が崩れる。
「……わかった」
「心配してくれてるのか」
「そういうわけじゃない」
「そういうわけじゃないって顔じゃないぞ、田中?」
「誠司でいい」
「じゃあ、俺も龍次で」
龍次はまた笑った。
今度は、泣いた後の笑顔じゃなかった。
そこから3年間、俺達は同じ部屋にいた。
言葉を覚えた。
この世界の文化を理解した。
食事を運んでくる人間の名前を覚えた。
部屋の外の構造を、少しずつ把握した。
俺は毎日、情報を整理した。
誰が来て、誰が去った。
廊下の足音のパターン。
食事の時間のズレ。
鍵の音の違い。
龍次は毎日、話し続けた。
食事係の男と仲良くなった。
掃除に来る女と仲良くなった。
言語の習得が俺より早かったのは、龍次が圧倒的に口数が多かったからだ。
「誠司——なんで俺の方が先に言葉覚えてんだろ」
「俺はお前ほど喋らないからだ」
「もっと喋れよ。友達できるぞ」
「友達は必要ない」
「そんなこと言うなよ。俺がいるじゃないか」
俺は何も言わなかった。
でも——その言葉が、なぜか胸の奥に残った。
転機は、次の夏に来た。
王の側近が部屋に来た。
「そなたたちに聞きたいことがある。前の世界で、何をしていたか」
龍次が答えた。
「花火師です」
「花火?」
「火薬を使って、空に光を咲かせる職人です」
側近の目が変わった。
その目を見て、俺は直感した。
(……まずい)
「俺は——」
俺は龍次の前に出た。
「軍の人間でした。戦術の専門家です。この国の軍隊の訓練に役立てられると思います」
側近は俺を見た。
次に龍次を見た。
「花火、というのは——どういうものか、見せてもらえるか」
「もちろんです」と龍次は言った。
「待て」
俺は龍次の腕を掴んだ。
日本語で、小さく言った。
「見せるな」
「なんで」
「この国は軍事力を欲しがっている。火薬の技術を見せれば——使い道を考える。それが武器になる」
「花火は武器じゃない」
「技術は武器になる」
龍次は少し黙った。
側近が二人を見ていた。
「……わかった。今日は見せない」
龍次は側近に言った。
「まだ材料が揃っていなくて。少し時間をください」
側近は頷いて、去った。
龍次は俺を見た。
「……誠司の言いたいことはわかる」
「だったら——」
「でも、俺はいつかここで花火を打ち上げたい。それだけは譲れない」
俺は龍次を見た。
この男を止めることはできない。
ただ——できる限り、引き延ばすことはできる。
「……材料を少しずつ集めろ。急ぐな。俺が判断するまで、技術の全貌は見せるな」
「わかった」
「約束できるか」
「できる」
龍次は真剣な目で言った。
職人の目だ。
俺はその目を信じることにした。
【カイン視点 ゼニス歴1046年】
その次の春、王ファランに直接呼び出されたその頃、俺達は別の名前を与えられていた。
どうやら親が別れる際に付けてくれた名前だとか。
俺はカイン、龍次はリュカと呼ばれていた。
「そなたたちは異世界の特別な知識を持っていると」
ファランは二人を見比べた。
「リュカとやら。花火師?とかいうものと聞いた。
予も見てみたい。
あと、この世界の民にも——花火というものを見せてみたいと思っておる」
その一言が、全てだった。
龍次の目が——輝いた。
俺は横で見ていた。
(……この顔だ)
龍次がこの3年間、俺に花火の話をする時の顔だ。
夜、眠れない時に語っていた。
「俺さ、花火師になりたくて15歳で親方のとこに弟子入りしたんだ。親には反対された。でも——初めて自分で打ち上げた花火が空に咲いた瞬間、もうこれしかないって思った。あの光が消える一瞬を、誰かと一緒に見たい。それだけのために20年やってきた」
その話を何度も聞いた。
その顔が——今、ファランの前にある。
「龍次」
俺は小さく言った。日本語で。
「待て」
龍次は少し振り返った。
「……誠司」
「まだだ。全部話すな」
「でも——」
「まだ俺が判断していない」
龍次は俺を見た。
ずっと一緒にいた時に見ていた輝いた時の目だ。
「……わかった」
その言葉は、俺に向けたものだった。
でも——その目は、ファランを見ていた。
俺にはわかった。
この男は——止まれない。
花火を「この世界の民に見せたい」という一言が、龍次の全てに刺さった。
その夜、俺は眠れなかった。
龍次の寝息を聞きながら、ずっと考えていた。
(止める方法は——ない)
止めても、龍次は別の方法で技術を見せようとする。
それがこの男だ。
ならば——せめて、隣にいることしかできない。
花火が上がったのは、夏の終わりの夜だった。
龍次が3ヶ月かけて材料を集め、準備をした。
俺は止めなかった。
止めようとしたことは何度もあった。でも——龍次の顔を見るたびに、言葉が出なかった。
この男から花火を取り上げることは——龍次を殺すことと同じだ。
城の庭に、仕掛けが設置された。
ファランと王妃が並んで見ている。城の人間が集まっている。
龍次は一人、点火の準備をしていた。
俺はその隣に立っていた。
「……誠司」
龍次が小さく言った。
「ああ」
「俺、今、緊張してる」
「お前が?」
「俺が、だ。変だろ。20年やってきて、なんで今更って感じだ」
「……この世界で初めてだからじゃないか?」
「そうかもしれない」
龍次は火種を持った。
「でも——この世界の人間に初めて見せる花火だから。ちゃんとやりたい」
「……ああ」
「誠司」
「なんだ」
龍次は少し間を置いた。
「止めようとしてくれてたの、わかってた」
「……そうか」
「ありがとう」
俺は何も言えなかった。
「俺はわかってる。この技術が何に使われるか——誠司の言う通りだと思う。でも」
龍次は夜空を見た。
「それでも、花火を打ち上げたかった。この世界でも」
「……わかった」
「じゃあ、行くぞ」
龍次は点火した。
空に、光の花が咲いた。
この世界では誰も見たことのない光が。
最初の一発が上がった瞬間、城の庭にいた全員が息を呑んだ。
ファランが声を上げた。
王妃が手を合わせた。
庭の人間たちが、一斉に歓声を上げた。
龍次は次々と打ち上げた。
赤、青、金、白——色が変わるたびに歓声が変わった。
俺はその横に立って、空を見ていた。
きれいだった。
本当に、きれいだった。
龍次が20年間、親方の元で、怒られながら、磨き続けてきたものが——この夜空にある。
「誠司」
龍次が小さく言った。
「ああ」
「きれいだろ」
俺は答えなかった。
でも——きれい、と思った。
最後の一発が空に広がって、消えた。
庭が静かになった後、拍手が起きた。
ファランが龍次のところに来た。
「見事だった。前の世界の知識を——教えてもらえるか」
龍次は俺を見た。
俺は——何も言えなかった。
止める言葉が出なかった。
「はい、勿論です!」
龍次は答えた。
職人として。誠実に。全てを。
俺はその夜、龍次が話すのをずっと聞いていた。
火薬の調合比率。導火線の長さと燃焼速度。爆発の制御方法。安全な取り扱い——。
何一つ隠さなかった。
職人として正確に、丁寧に。
夜が明けるまでかかった。
翌朝、目が覚めた時、龍次のベッドは空だった。
戻ってこなかったのだ。
嫌な感覚がした。
廊下に出た。
城の東側から、人が集まる気配がした。
走った。
7歳の体で、必死に走った。
そして、間に合わなかった。
城の東広場に、もう人だかりができていた。
俺は人の間を掻き分けた。
人垣の向こうに——龍次がいた。
跪かされていた。
手を縛られていた。
処刑人が横に立っていた。
「龍次!」
叫ぼうとした。が、叫べば——自分も捕まる。
今から起こることが手に取る様にわかる。わかっていた。
でも——体が動かなかった。
龍次が顔を上げた。
目が合った。
龍次は——笑った。
昨夜、花火を打ち上げた時と同じ顔で。
「きれいだっただろ」
声は聞こえなかった。
口の動きだけが見えた。
処刑人の腕が振り下ろされた。
俺は目を閉じなかった。
見ていた。
最後まで、見ていた。
広場に、鈍い音が響いた。
そして俺は城を出た。
7歳の体で。一人で。
どこに行くかは決めていなかった。
ただ——ここにはいられなかった。
走りながら、俺は考えていた。
止められなかった。
結局、止められなかった。
技術を話すのを止められなかった。処刑を止められなかった。
7歳だったから、という言い訳は——使いたくなかった。
でも——7歳だった。
城の外に出た時、俺は立ち止まった。
夜空を見上げた。
昨夜、龍次が花火を打ち上げた夜と——同じ空だ。
「……佐藤龍次」
初めて、声に出して名前を呼んだ。
「35歳。花火師。職人歴20年」
風が吹いた。
「お前の花火は——きれいだった」
それだけ言って、俺は走り始めた。
南へ。
王国の目が届かない場所へ。
夜空の下を、一人で走り続けた。




