30話 【ゼニス歴1071年 ニール視点】
エルバート王国兵を追い返し、書類の写しが広まり始めてから五日が経った。
変化は早かった。
市場の商人たちが話し合うようになった。隣の町の商人が、リオネッサまで話を聞きに来た。辺境領内の小さな貴族家から、ユーリに問い合わせが来た。
「みんな動いてる」とミラが言った。
「みんな速いね~」とミアが言った。
「速すぎる」とカインが言った。
俺も同じことを思っていた。
情報が広まるのが速いということは——エルバート王国に届くのも速い。
「次が来る」
カインは地図を広げた。
「今度は違う」
「何が違う」
「今まで来ていたのは駐留部隊だ。リオネッサに常駐している連中で、練度は高くない。でも——報告が王都まで上がれば、別の部隊が動く」
「どのくらいで来る」
「早ければ三日。遅くとも五日」
俺は考えた。
「準備できるか」
「人数次第だ。五十人以下なら対応できる。百人を超えたら——正面からは無理だ」
「百人超えたら」
「街に入れさせない。手前で止める」
カインは地図の一点を指した。
リオネッサへの街道が一本に絞られる場所だ。
また坂になっており、吹きおろしの風上のマウントも取れる。
「ここで止める。数が多ければ多いほど、狭い場所が有効だ」
「わかった。俺にも秘密兵器がある。あとで詳しく話すが、これで相手を混乱させられるかもしれない。」
カインは続ける。
「今回、ガブは前に出さない」
「なぜだ」
カインは少し溜めてこう言った。
「…あいつにはまだ早い」
「わかった」
エルバート王国の騎兵部隊が来たのは、四日後の朝だった。
ミラが駆け込んできた。
「来た。街道から——数えてみたけど、七十くらい」
「七十か」
「先頭に騎士が四人いる。装備が違う。王都から来た連中だと思う」
カインが立ち上がった。
「予定通りだ。街道の手前で展開する」
カインの部下たちが動いた。静かに、素早く、それぞれの持ち場に向かう。
「ガブ」
カインが言った。
「お前は治療院に残れ」
ガブは一瞬、固まった。
「……なんで」
「命令だ」
「でも——」
「イルルとピノ、クロノを守れ。それがお前の今日の仕事だ」
ガブは黙った。
納得していない顔だ。でも——カインの目を見て、何も言わなかった。
「わかった」
俺はカインと街道の手前に出た。丁度、見下ろす形になっている。
七十人のエルバート王国騎兵部隊が、街道を進んでくる。
先頭の騎士が馬を止めた。
俺達は坂の上に簡易バリケードを作り、矢を警戒する。
「あいつらか」
「ああそうだな」
俺はカインの隣に立った。
「七十対二十か」
「三対一だ」とカインは言った。「前と同じだ」
「前は毒が効いた。今度は向こうも警戒している」
「ああ」
「打合せ通りに」
「ああ」
カインは短く答えた。
ミラとミアにゴーサインを出し、彼女達が動き出す。
先頭の騎士が大きな声で、こちらに叫ぶ。
「リオネッサ辺境領においてエルバート王国の秩序を乱す集団が確認された。これより討伐を行う。抵抗する者は反逆罪として処断する」
よく通る声だった。王都から来た人間の声だ。
エルバート王国騎兵部隊は坂の上のバリケードを見つめている。
先頭の隊長が喋っている間、後ろは盛り上がっていた。
「ふふふ、馬鹿なやつらだ。」
「油断は禁物だぞ」
「ああ、わかってるさ。地形でマウント取ったくらいでいい気になっている奴を叩き潰すのは最高に楽しいじゃないか」
「お、なんだ?女いるのか」
「いい度胸じゃねえか。これは色々と楽しめそうだな」
「ああ。でもよぉ、さっきからこの変な臭いはなんなんだ?」
「それは俺も気になってる」
バリケードの下に大樽が何個も仕込んである。
特製刺激臭(塩素バージョン)だ。塩と酢と硫黄で簡易的に作った特製塩素刺激臭をこっそり下にいるエルバート王国騎兵部隊に流れ込むように、ミラとミアはひとつひとつ大樽の蓋を開けていく。
「くぁーーーーー、なんだこれー。強烈だな!」
「ミラ~、ちゃんと口当てしなよ~」
「やってるって」
「できてないじゃん~。先生が言ってたよ、これ「ますく」っていうんだって~。これしないとすっごくしんどくなるからきをつけろ~って。」
「わかってるって」
「この『えんそばくだん』はくうきより『ひじゅー』が重いから下のやつらの方にいくんだって~」
「ミア!テメエ、わかってないのに知ったかぶりすんな!」
「てへっ」
ミラとミアは仕事を淡々とこなす。
エルバート王国騎兵部隊に動きがあった。
馬が落ち着かない。「なんだ?なんだ?」兵士達が慌てている。
遂に馬達が暴れだした。騎士たちが手綱を引いた。
その隙に、カインの部下の半数が後方に回り込んだ。
「挟まれたぞ!」
「落ち着け!前を向け!」
エルバート王国部隊が混乱している間、カインが正面に歩み出た。
「話し合いの余地はないのか!」
騎士が剣を抜いた。
「話す必要はない。討伐命令が出ている」
「命令の根拠は何だ」
「エルバート王国の秩序を乱した——」
「書類の写しを配布したことか」
「……」
「エルバート王国の公式記録の写しだ。どこが秩序を乱している」
騎士は黙った。
「エルバート王国の法律では、公式記録の閲覧と写しの作成は、市民の権利として認められている。第十七条。知らないなら、今から教えてやる」
ユーリが調べてきた条文だ。
騎士は俺を見た。
その間に馬は完全に制御できない状況になっており、逃げだす馬も出だした。
完全に混乱に陥っている。
俺はカインの隣に立ったまま、何も言わなかった。
「……お前たちが何者かは知っている」
騎士は言った。
「薬師と傭兵か。リオネッサで好き勝手やっているらしいな」
「好き勝手ではない」とカインは言った。「不正に対して、規定通りの対応をしているだけだ」
「詭弁を言うな」
「詭弁ではない。詭弁と言うなら——この書類の数字が間違っていると証明してみせろ。できるなら、俺たちはすぐに引く」
沈黙が落ちた。
街道に風が吹いた。
騎士は剣を収めなかった。
「かかれ」
もう馬に乗っている兵士はいなかった。
戦闘が始まった。
カインの部隊は数が少ない。でも——動きが違う。
一対三でも、一対一の状況を作り出す。狭い場所に誘い込む。相手が多ければ多いほど、自分たちで邪魔し合う。
ニールは後方で毒薬を展開した。
接触型の麻痺毒——布に染み込ませて、地面に仕掛けてあるものが順番に効いていく。
それでも——七十人は多かった。
カインの部下が二人、押し込まれた。
後退を始めた。
俺は状況を見た。
このまま押されると、街道の手前が崩れる。街に入ってくる。
その時。
「どけ!!」
声がした。
ガブだった。
治療院の方向から走ってきた。盾を構えて、押し込んでいたエルバート王国兵の群れに突っ込んだ。
「来るなと言った!!」とカインが叫んだ。
「市場の方に子供が逃げ遅れてる!」
ガブは叫び返した。
「こっちを向けてれば逃げられる!」
カインは一瞬だけ、目を閉じた。
「……好きにしろ」
ガブは正面に立った。
盾一枚で、四人を止めた。
岩のように動かない。押されても、押されても、一歩も退かない。
その後ろで、市場の路地から子供たちが走って逃げた。
「逃げた!」
ミアが屋根の上から叫んだ。
「退け!」
カインが部下全員に合図した。
煙幕が焚かれた。
煙の中で、カインの部下が素早く後退した。
俺もガブの腕を引いた。
「動け」
「もう少し——」
「もう十分だ。動け」
ガブはようやく足を動かした。
街の中に戻ってから、煙が晴れるまで時間がかかった。
エルバート王国部隊は煙の外で止まっていた。
街に踏み込んでこない。
「なぜ来ない」とミラが言った。
「民家に踏み込めば、略奪と同じになる」ユーリが言った。「エルバート王国の騎士が略奪したとなれば——それも証拠になる。彼らもわかっている」
しばらく睨み合いが続いた後、エルバート王国部隊は引き始めた。
ゆっくりと、整然と。でも——引いた。
「今日のところは引くが——」と騎士の声が聞こえた。「必ず戻る」
その声が遠くなった。
治療院に戻ると、ピノが飛びついてきた。
「ガブ!怪我してるじゃん!」
「してない!」
「血が出てる!!」
「掠り傷だ!」
「掠り傷でも血が出たら怪我だって先生が言ってたよ!」
「うるさい!!」
ガブはピノを引き剥がして、壁に背をつけて座り込んだ。
俺は隣に来て、傷を確認した。
右肩と左腕に、刃物が掠った跡が二本。深くはないが、処置が必要だ。
「動くなよ」
「わかってる!!」
処置をしながら、俺は聞いた。
「なぜ来た」
「言っただろ。子供が逃げ遅れてた」
「カインに待機だと命令されたはずだ」
「命令より子供の方が先だった」
俺は手を止めた。
「ミアが言ってたな。市場の路地に子供が三人いたって」
「ああ」
「助かったか」
「全員逃げた」
「そうか」
俺は処置を続けた。
しばらく沈黙があった。
「ガブ」
「ああ」
「お前が命令を無視したのは、今日だけにしろ」
「……わかった」
「カインに謝れ」
「……わかった」
「でも——よくやった」
ガブは何も言わなかった。
でも——横を向いた。
俺には見えなかったが、ミアが「ガブ、ちょっと泣いてる~」とからかう。
「泣いてない」とガブは言い張り、
「泣いてたよ~」とミアはさらにからかった。
夜になって、カインがガブのところに来た。
「命令を破った」
「……はい」
「理由は」
ガブは少し考えた。
「市場の路地に子供が三人いた。逃げ遅れてた。そのままにできなかった」
「なぜそのままにできなかった」
「……一人が、ピノに似てたから」
カインは何も言わなかった。
しばらく沈黙があった。
「カインさん」
「ああ」
「怒ってますか」
「怒っていない」
「でも俺は命令を破った」
「ああ」
「…すいません」
「次からは、俺に言え」カインは言った。
「子供がいると気づいた時点で、俺に言えば俺が判断する。一人で動くな」
「……わかりました」
「それだけだ」
カインは立ち上がった。
「カインさん!」
「ああ」
「子供、助けてよかったですか?」
カインは少し間を置いた。
「……俺がお前の立場でも、同じことをした」
それだけ言って、カインは出ていった。
ガブはしばらく、その背中を見ていた。
その夜、俺はカイン達と話した。
「次が来る」
「ああ」とカインは言った。「今日の報告が上がれば——今度は百を超えるかもしれない。恐らく銃も出てくるだろう。」
「対応できるか」
「街道で止めるには限界がある。別の手が必要だ」
「別の手…」
ユーリが手を挙げて言う。
「私にいい案があります」
「なんだ?」
「辺境伯様です」
俺は少し考えた。
「ユーリ経由で動かせるか?」
「動かせるかどうか——私、ユーリ・アルバの価値を試す時期が来たという事ですね!」
カインは地図を見た。
「エルバート王国が圧力を強めれば強めるほど、辺境領への干渉の重みが増す。今日の戦闘の記録も証拠になる」
「エルバート王国が自分の領地で民衆と戦った、という記録か」
「ああ。辺境伯はエルバート王国の貴族であるが、あくまでも辺境領の代表で自治権と徴税権も認められている。だが、貴族であるが故に、領地で起きた事を全て王都に報告する義務がある。でも——その報告書の書き方次第で、意味が変わる」
俺はユーリを見た。
ユーリは真剣な顔で帳簿を見ていた。
「ユーリ」
「はい」
「辺境伯への接触、準備できるか」
ユーリはぼんやりした顔のまま、言った。
「兄上を経由すれば——三日で面会を取れます」
「頼む」
「ただし」
ユーリは帳簿から目を上げた。
ぼんやりした顔ではない目で。
「私が動けば——ボンクラの仮面が、少し薄くなります。家族に気づかれるかもしれない」
「それでもいいか?」
ユーリは少し考えた。
「……10年間、ぼんやりしてきました」
「ああ」
「そろそろ、少し動いてもいいかと思っています」
俺はユーリを見た。
「お前の家族は大丈夫か」
「兄たちは賢い人です。これくらいどうってことありません。」
「わかった」
「ただ」
ユーリはぼんやりした顔に戻った。
「もしものことがあれば、ニールさんに家族を診ていただけますか」
「ああ。任せろ。」
「では——大丈夫です」
その夜遅く、ピノが俺のところに来た。
「先生」
「なんだ」
「ガブ、大丈夫かな?」
「傷は大したことない」
「そうじゃなくて」
ピノは少し考えた。
「なんか——元気なさそうだったから」
「そうか」
「ガブって、戦うのが好きじゃないのかな、って思って」
俺は少し考えた。
「好きじゃないんじゃなくて——戦う理由が変わったんだと思う」
「どういう意味?」
「戦うことしか知らなかった奴が、守りたいものを見つけた。そういう時って——怖くなるんだ」
「なんで怖いの?」
「守れなかった時のことが、わかるようになるから」
ピノは少し黙った。
「……先生も、そうなのか?」
「俺も、そうだ」
ピノは頷いた。
「じゃあ、ガブに何か持っていってあげるよ」
「何を持っていく?」
「食い物!」
「それでいい」
ピノは台所に走っていった。
俺は窓の外を見た。
リオネッサの夜は静かだった。
でも——これが続く夜は、もう長くない。
次が来る前に、動かなければならない。
辺境伯。王都。国王ファラン。
一つずつ、片付けていく。
「デイル」
俺は小さく言った。
「もう少しだ」




