24話 【ゼニス歴1071年 ニール視点】
夜が更けると、治療院は静かになる。
ミラとミアは奥の部屋で寝ている。
ピノはイルルの部屋の前の廊下で丸まっていた——なぜそこで寝るのかは聞かないことにしている。
カインはまだ起きていた。
外の階段に腰を下ろして、夜空を見ている。俺は水を二つ持って、隣に座った。
「眠れないのか」
「習慣だ」とカインは言った。
「部隊長は最後まで起きている」
「ここにお前の部隊はいない」
「関係ない」
俺は水を一口飲んだ。リオネッサの夜は騒がしい。遠くで怒鳴り声がして、何かが割れる音がして、また静かになった。いつもの夜だ。
俺はカインに尋ねる。
「聞いていいか」
「ああ」
「お前は25年間、何を待っていたんだ?」
カインはすぐに答えなかった。夜空を見たまま、しばらく黙っていた。
「なにを待っていたんだろうな」
「質問を変える。なぜエルバート王国を潰そうとしているのかを聞いている」
カインは俺を見た。
「お前はなぜ潰したい」
「父親を殺されたからだ」
即答だった。カインは少し目を細めた。
「処刑か」
「ああ。王都の広場で、大勢の前で。俺を転生者として国に差し出さなかった罪で」
「……見ていたのか」
「見ていた」
カインは前を向いた。
「そうか」
それだけ言って、また黙った。
俺も黙った。
夜風が吹いて、治療院の看板が揺れる音がした。
「俺には」
カインが口を開いた。低い声だった。
「友人がいた。この世界で、ひとりだけ」
「同じ転生者か」
「ああ。同じ時期に転生させられた。4年間、一緒にいた」
俺は何も言わずに続きを待った。
「そいつの名前は——まあ、今は関係ない」
カインは少し間を置いた。
「花火師だ。前の世界では35歳だった。15歳から20年、花火一本で生きてきた男だ。俺の「ツレ」だ」
カインの声のトーンは変わらない。感情を乗せない話し方だ。でもそれが——余計に重く聞こえる。
「王に言われた。異世界の花火とやらを見せてほしいと。そいつは喜んだ。俺は止めようとした。でも——」
カインはそこで一度、息を吐いた。
「そいつの顔を見たら、何も言えなかった。花火を人に見せることが、あいつにとっての全てだったから」
「技術を全部話したのか」
「ああ。火薬の調合から、導火線の燃焼速度まで。職人として正確に、丁寧に。何一つ隠さなかった」
「それで」
「花火の翌朝、処刑された」
俺は黙っていた。
「俺は見ていた。止められなかった。逃げることしかできなかった」
カインは地面を見た。
「7歳だった。言い訳にはならないが——7歳だった」
風が吹いた。
「あいつの技術は今、銃になっている。爆薬になっている。人を殺す道具になっている」
俺の胸の奥で、何かが動いた。
銃。
デイルの肩を撃ち抜いた、あの銃声。デイルの左腕が地面に落ちた、あの音。
「……父親が銃で撃たれた」
カインはこちらを見た。
「その後、腕を失った。それでも戦った。最後は自分の命を使って俺を守った」
二人の間に沈黙が落ちた。
同じ銃かどうかはわからない。でも——その銃を作った技術の起源は、おそらく同じ場所にある。
「お前の父親と、あいつは——繋がっているかもしれない」
カインは静かに言った。
「ああ」
俺も静かに答えた。
偶然ではないのかもしれない。この世界に転生させられた人間たちの話は、見えないところで全部繋がっている。花火技師の火薬で作られた銃、その銃に撃たれたデイル、デイルを失った俺——一本の線が、この世界を貫いている。
「お前は復讐がしたいのか」とカインが聞いた。
「最初はそうだった」
「今は」
俺は少し考えた。
「今も復讐したい。でもそれだけじゃない。今はこの仕組みそのものを壊したいと思っている。転生者を使い捨てにするエルバート王国の構造を、根っこから潰したい」
「仕組みを壊す、か」
「お前はどうなんだ?」
カインはしばらく黙った。
「俺は——間に合いたい」
「間に合う?」
「あいつに間に合わなかった。今まで何人か、守れなかった人間がいる。間に合わなかった人間がいる」
カインは低い声で続けた。
「エルバート王国が動く限り、俺はいつか標的になる。リオネッサの民もそうだ。アステリズム神聖国の治癒師が来ない土地で、病気や怪我で死んでいく連中もそうだ。間に合うためには、エルバート王国を潰すしかない」
俺とカインは、同じ目的に向かっている。
でも——動機の質が違う。
俺は怒りで動いている。カインは義務で動いている。
どちらが正しいとは思わない。でも——この違いがあるから、二人で動ける気がした。怒りだけの人間は暴走する。義務だけの人間は消耗する。互いが互いの欠けているものを持っている。
「ひとつ聞いていいか」
カインが言った。
「ああ」
「お前の父親——名前は」
「デイル。デイル・オーウェン・アシュワース」
カインは繰り返した。
「デイル」
短く、確かめるように。
「元近衛騎士団長だ。神速と呼ばれていた」
「……知っている」
俺は少し笑いながら続ける。
「ホントに有名人だったんだな」
「違う」
カインは前を向いたまま言った。
「会ったことがある」
俺の体が、止まった。
「……会った?」
「俺が王城にいた頃。3歳から7歳——「ツレ」と一緒にいた時期だ」
カインはゆっくりと続けた。感情を乗せない声で。でも言葉を選んでいるのがわかった。
「熱心な青年だった。まだ若い騎士見習いだったと思う。子供の俺に頭を下げて、教えを請いにきた」
「……何を」
「集団戦闘の動き。陣形の組み方。連携の取り方。撤退のタイミング。——現代の軍事戦術だ。俺が少しずつ漏らしていたものを、誰よりも熱心に吸収していった」
俺は何も言えなかった。
「子供扱いしなかった。転生者の道具として見なかった。ただ純粋に——強くなりたい、仲間を守りたい、という顔で聞いてきた。それが印象に残っている」
「神速のデイル」という異名。
片腕になってもなお圧倒的だった、あの強さ。
その根っこの一部が——3歳から7歳のカインから来ていた。
「転生者の息子は野盗に殺されたと聞いていた」
カインは俺を見た。
「生きていたのか」
「ああ」
「……そうか」
カインはそれだけ言った。
感情を乗せない声だった。でも——目が、わずかに違う色をしていた。驚きではなく、何か別のもの。長い時間をかけて積み上げてきた何かが、静かに着地したような——そういう目だった。
「あの青年が、お前の父親だったか」
「そうだ」
「立派になっていたんだろうな」
「ああ」
俺の声が、少しだけ揺れた。
「片腕になっても、誰よりも強かった。俺が知っている中で一番——不器用で、でも一番優しかった」
カインは前を向いた。
「そうか」
「自慢の親父だ」
また沈黙が来た。
今度の沈黙は——最初のものとも、二度目のものとも、質が違った。
重くない。でも軽くもない。
何か大切なものが、静かに場所を見つけたような——そういう沈黙だった。
カインがデイルに渡したものがあった。デイルが俺に渡したものがあった。
俺はデイルを失い、カインは友を失った。
カインはそれをわかっているのかもしれない。
「ニール」
「ああ」
「俺はお前が信用できるかどうか、まだわからない」
「俺もお前のことがわからない」
「だろうな」
カインは立ち上がった。
「だが——目的が同じで、失ったものの重さが同じなら、それで今夜は十分だ」
「ああ」
俺も立ち上がった。
カインは治療院の扉を開けて、中に入ろうとした。
そこで一度、止まった。
振り返らないまま言った。
「俺はあいつが最後に言った言葉を、ずっと考えている」
「何と言った」
「——きれいだろ、と言った」
扉が閉まった。
俺はもう一度だけ夜空を見た。
星が出ている。
しばらくそのまま立っていると、背後で扉が開いた。
「ニール?」
イルルだった。上着を羽織って、目を細めている。寝ぼけてはいないが、まだ夢の中に片足があるような顔だ。
「起こしたか」
「ううん。なんか目が覚めた」
イルルは俺の隣に来て、夜空を見上げた。
しばらく二人で、何も言わずに空を見ていた。
「……きれいだね」
イルルが言った。
「ああ」
俺は答えた。
カインの「ツレ」が花火を打ち上げた夜も、きっとこんな空だったのかもしれない。
「きれいだろ?」と言った声。カインにはずっと聞こえているのだろう。
デイルが死んだ日の夜も、こんな感じだったのだろうか。
思い出せない。
イルルが俺に話しかける。
「寒くない?」
「大丈夫だ」
「そっか」
イルルはそのまま動かなかった。俺も動かなかった。
満天の星が、リオネッサの雑然とした夜空を、静かに埋めていた。
デイル。
お前が育てたものは、ちゃんとここにある。
「……行くか」
「うん」
二人で中に入った。
扉を閉めると、ピノの寝言が聞こえる。ミアのいびきが聞こえる。
生きている音だ。




