23話 ゼニス歴1071年 ニール視点
ミラ・ミアが来てから、ひと月が経った。
最初の変化は小さかった。
治療院に来る患者の顔ぶれが、少しずつ変わり始めた。
リオネッサは流れ者の多い土地だ。
バルドール帝国との境にある辺境の領都で、エルバート王国の統治も形だけ。
ならず者も多いが、逆にいえば——根を張れない人間が根を張れる場所でもある。
最初に来たのは、40がらみの大柄な男だった。
左腕に古い火傷の痕がある。元軍人か、あるいは傭兵か。
「タバサに紹介された」
それだけ言って、右膝の傷を見せた。
長い付き合いの古傷だが、最近また疼くという。俺は触診して、膝の内側の腱の状態を確認した。
「無理に動かすな。あと体重を落とせ」
「それだけか」
「それだけだ。薬より先にやることがある」
男は少し不満そうだったが、「わかった」と言って帰った。
次の日も、また次の日も——似たような顔の人間が来た。
全員、「タバサに紹介された」か「サイモンから聞いた」か「ダリルの家族が世話になった」と言う。
「先生~」
三日目の夜、ミアが首を傾けながら言った。
「先生~、なんか同じ雰囲気の人ばっかり来てない~?」
「ああ」
俺も気づいていた。
体の使い方が似ている。全員、動きに無駄がない。古傷が多い。目が鋭い。
そして——全員、治療が終わると礼儀正しく帰っていく。
これは偶然じゃない。
誰かが、この治療院を調べている。
七日目の朝、その人物が来た。
扉を開けたのは、白髪交じりの短髪の男だ。
背が高い。日に焼けた肌。体格は厚いが、動きは静かだ。40代半ばか、もう少し上か——年齢が読みにくい。
「先生はいるか」
受付にいたミアが俺を見る。俺は頷いて、前に出た。
「俺だ。患者か?」
「違う」
男は治療院の中をゆっくりと見回した。ピノが薬草を仕分けしている。イルルが包帯を巻いている。ミラが台帳に何かを書いている。
「部下が7人、世話になった」
「タバサたちか」
男の眉が、わずかに動いた。
「名前、覚えてるのか」
「患者の名前は全部覚える」
男はそれを聞いて、何かを考えるように黙った。
それから「座っていいか」と言った。
「ああ。奥の部屋で話そう」
男の名前は——この世界では「カイン」と名乗っていた。
前世の話は、少し間を置いてから出てきた。
「田中誠司。陸上自衛隊、第一空挺団、三等陸佐だった」
少しドキッとしたが、俺も名乗った。
「坂口壮真。製薬会社の研究員だった。こっちではニールと名乗っている」
カインは一度だけ頷いた。驚いた様子はない。
「部下の話を聞いた。無償で治療して、丁寧に診て、説明をする。そういう医者がいると」
「普通のことだ」
「この世界では普通じゃない」
カインは静かに言った。
「俺の部下は皆、死にかけた経験がある。アステリズム神聖国の治癒師に頼めば金を取られ、断られ、見捨てられた連中だ。お前の治療院に来て初めて、ちゃんと診てもらったと言っていた」
俺は何も言わなかった。
「タバサは膝が悪くて、本当は傭兵なんてできない体だ。でも金が必要だから無理をする。お前はそれを見抜いて、仕事の量を減らすよう言ったらしいな」
「ああ」
「サイモンは肺に古い傷がある。冬になると咳が止まらない。お前は毎月、薬を作って渡してるそうだな」
「流石だな、よく覚えてる」
「当たり前だ」
カインは改めて俺に向き直った。
「お前は何がしたい」
単刀直入だった。
「エルバート王国を潰す。転生者を使い捨てにするこの国の仕組みを、根っこから崩す」
「手段は?」
「薬と毒と民衆の信頼。あとは使えるものは全部使う」
カインはしばらく黙っていた。
治療院の外から、リオネッサの喧騒が聞こえる。
怒鳴り声、馬の蹄、屋台の呼び込み——この街の日常だ。
「俺が持っているのは、25年分のこの大陸の情報と、100人近い傭兵だ」
「・・・100人」
「全員、俺が育てた。元は孤児や捨て駒にされた兵士や、行き場をなくした連中だ。使えると思うなら使え」
俺は少し考えた。
「条件はあるか」
「ひとつだけ」
カインは俺を真正面から見た。
「俺の部下を、消耗品として扱うな。それだけだ」
「当たり前だ」
「……そうか」
カインは初めて、わずかに表情を緩めた。
「では、もうひとつ言っておく。俺はお前の上には立たない。お前の下にも入らない。対等だ」
「わかった。では俺からもひとつだけ条件がある。」
「なんだ?」
「俺は医師じゃない。薬剤師だ。応急処置は出来るが、それ以上の外科的処置は出来ないし、やらない。例えそれが大事な人であっても、だ。」
「・・・わかった。」
俺は手を差し出した。カインはそれを握った。傷だらけの、力強い手だった。
「田中誠司——カイン。よろしく頼む」
「ニールだ。よろしく」
その夜、治療院は珍しく賑やかだった。
カインが来たことを知ったタバサたちが、続々と顔を出したのだ。
「隊長!やっぱりここに来たんですか!」
「タバサ、膝の調子はどうだ」
「先生に言われた通り、仕事量を半分にしたら楽になりました」
「そうか」
カインとタバサのやり取りを、俺は少し離れた場所で見ていた。
怒鳴らない。説教しない。
ただ「そうか」と言う。
それだけなのに、タバサは嬉しそうだ。
「あの人、すごいね」
イルルが隣に来た。
「どこが?」
「みんな、あの人のことが好きなんだよ。顔を見ただけでわかる」
俺はカインを見た。
不器用そうな男だ。言葉が少ない。笑わない。でもタバサもサイモンも、カインのそばで自然に表情が柔らかくなる。
「お父さんに似てるね」
イルルが小さく言った。
俺は何も答えなかった。
でも——そうかもしれない、と思った。
デイルは言葉より行動で示す人間だった。俺を守るために腕を失い、命を使った。
この男も、25年間かけて部下たちに同じことをしてきたのかもしれない。
ただし——デイルは俺のために動いた。
カインは、自分の部下のために動く。
それが今まで生き延びてきた理由だろう。
「先生!」
ピノが走ってきた。
「お布団が足りないよ!カインさんの分もタバサさんたちの分も!」
「お前が考えろ」
「えー、またかよ!」
「それがお前の仕事だ」
ピノは「もうーー!」と言いながら走っていった。
リオネッサの夜は長い。
治療院の中は騒がしく、でも不思議と穏やかだった。
100人の傭兵と、薬師と、盗賊姉妹と、元孤児と、幼馴染と——
「ねえニール」
イルルが言った。
「なに」
「これって、もしかして」
「ああ」
俺は静かに答えた。
「始まってる」




