【閑話】双花 ①
ミア・ミラの閑話になります。2話続きます。
第一話 王都の冬
【ゼニス歴1067年 ミラ視点】
孤児院の飯は、毎朝同じだった。
薄い麦粥をボロボロの木の椀に半分。そして固い黒パン。
ミアはあたしの分まで欲しがる顔をする。黙って椀を差し出したら「ミラはいいの~?」と聞いてくる。「いい」と答えたら泣きそうな顔で食べ始める。そういう妹だ。
あたし達は常に腹が減っていた。でも、腹が減っていないふりをするのには慣れていた。
この孤児院に「聖光」なんて名前がついているのは、たぶん誰かの冗談だ。
エルバート王国王都の中央区画外れに建つ石造りの建物で、子供が二十人近く詰め込まれて、薄い粥と固いパンだけで生かされている。どこにも光なんてなかった。
院長のボルドーは横に大きい男だった。
聖職者の格好をしているが、目が死んでいる。正確には、子供を見る時だけ死んでいる。
外の人間に向ける顔は、にこにこしている。
この孤児院には制度があった。
ズルをした子、食い物を隠した子、規則を破った子。そういうのを院長のボルドーに密告すると、砂糖の入った水がもらえる。
本当に少しだけ甘い、ぬるい水だ。
でもそれで十分だった。腹が減っている子供には、十分すぎるくらい。
だから子供同士は互いを監視した。誰かが余分に飯を食ったか。誰かが仕事をさぼったか。誰かがどこかに何かを隠していないか。
食堂では誰も喋らなかった。目を合わせなかった。
そんな中、あたしとミアは密告をする事はなかった。
したくなかったからじゃない。する意味が分からなかったからだ。
密告して甘い水をもらっても、その水は一人分しかない。ミアと半分こしたら、どちらにも足りない。
それだけの水を得るために仲間を売るようなことはしなかった。
それだけのことだ。
だからあたし達は黙っていた。誰のことも密告しなかった。
そしてあたし達のことを密告されないように、完璧に仕事をした。
完璧にやっていれば密告されることもない。少なくとも、正当な理由では。
だからあたし達は常に孤児院の中で浮いていた。
誰かと仲良くなれば、密告される。距離を取れば、あいつらは何かを隠していると思われる。
どうしたって詰められる仕組みだった。
あたしとミアは二人でいた。二人だけでよかったのだ。
猫を見つけたのは、ミアだった。
孤児院の裏手、石壁と石壁の間の狭い隙間に、茶色い小さな猫が潜り込んでいた。痩せていて、片目が少し膿んでいた。
「かわいい~」
ミアが言う前に、あたしは「だめだ」と言った。
「なんで」
「見つかったら面倒になる」
「こっそり育てよう~。ここに来るのは私達しか知らない」
「だから面倒だって言ってる」
「ミラ~…」
ミアがあたしを見た。
こいつは泣きそうな時に、あたしの名前だけ呼ぶ。
「…分かった」
あたしは負けた。双子の妹に、毎回負ける。
あたし達はその猫に「ニコ」という名前をつけた。
どこから来たのかも分からない、誰にも必要とされていなさそうな、小さな猫だ。
孤児院の外でもらってきた残飯を与えて、膿んだ目を布で拭いてやった。
「良かったね~、ニコ~」とミアが言う。
「良かったのはこっちだ」とあたしは思ったが、言わなかった。
三週間、それが続いた。
密告したのはエデンだった。
十四歳の、この孤児院の古株だ。
あたし達がどこに行くのかを尾けていたらしい。密告して甘い水をもらったんだろう。
「12番、13番、来い」
ボルドーに呼ばれた時、あたしはすぐに分かった。
連れていかれた部屋で、ボルドーは静かだった。怒鳴らなかった。静かな時の方が怖い。
「院の外で動物を飼っていたそうだな」
「…はい」
「規則は分かっているか」
「…分かっています」
「ならば分かるな」
ボルドーは鞭を持つ。折檻が始まった。
ミアが声を上げた。あたしは声を上げなかった。
声を上げると、ミアの番になる気がしたから。
解放されたのは夕方だった。
廊下を歩く時、エデンとすれ違った。あたし達を見て、すぐに目をそらした。
甘い水は美味かっただろうか。
「ミラ、ニコのとこ行こ…」
ミアが言う。
「…痛くないか」
「うん、平気~。ニコが心配」
あたしも同じだった。
石壁の隙間に近づいた時、あたしは立ち止まった。
匂いがした。
血の匂いだ。
「ミラ……」
ミアがあたしの袖を掴む。
ニコは隙間の奥にいた。もう動かなかった。誰かが石でも投げたのか。小さな身体が、ひどい形になっていた。
ミアが泣いた。声も出さずに泣いた。
あたしはミアを抱きしめた。
何も言えなかった。怒りなのか悲しみなのか、自分でも分からないものが胸の中にあって、でも言葉にならなかった。
「なんでいつもこうなるんだろう。神様っていないのかな…」
「…いないよ、そんなもの」
「ミラ、わたしたちはどう生きていけばいいの…?」
「……」
ミアの問いに対する答えをあたしは持っていなかった。
ただ、ひとつだけ言える事があった。
「この世界はくそったれだ。」
「…そうだねぇ」
「あたしが信じられるのはミアだけだ」
「わたしもミラだけは信じるよ~」
それから、ミアは土を素手で掘った。あたしも手伝った。二人でニコを埋めた。
暗くなるまでそこにいた。
あたしは決めた。
この場所を信じるのをやめようと。
その夜、眠れなかった。
廊下を歩く足音がして、あたしは耳を澄ませた。
ボルドーの声だ。それともう一人。先週、にこにこしながら孤児院を視察していった貴族の男だ。
「……あの双子だ、それも揃って器量がいい。そんなものはなかなかお目にかかれんよ」
「ご満足いただけましたか?」
「もちろんだ。同じ顔が二つ揃っている、そこに価値がある。片方だけでは意味がない。必ず二人一緒に連れてこい」
「承知しております。来月、十二歳になります。その頃合いに」
「ああ、楽しみだ。あの綺麗な顔がどう歪むか」
「あの双子は姉妹で固い絆で結ばれております。片方を責めれば、片方も同じ罰を受けたがる。お互いがお互いを守りあう慈愛に満ち溢れております」
「ふふふ、そいつはやりがいがあるな。儂は女が絶望に打ちひしがれる様を見るのが好きなのだ」
「いや~、素晴らしいご趣味です」
「これからも頼むぞ」
「勿論でございます。それで、お布施の額ですが…」
「ああ、任せておけ」
足音が遠ざかる。
あたしは薄い毛布を握りしめたまま動かなかった。
隣のベッドでミアが寝ている。暗くても双子だから顔が分かる。
自分の顔が、初めて憎いと思った。
「……ミラ」
小声だった。
「……起きてたのか」
「うん」
「聞こえたか」
「うん」
沈黙。
「逃げよう」とミアが言った。
あたしは答えた。「…ああ」
深夜、月のない夜だった。
南の窓の錠が壊れていた。一ヶ月前から気づいていたとミラが言う。
こいつは計算が早い。あたしよりずっと頭がいい。
窓から跳んで、石畳に着地して、二人で走った。
振り返らなかった。ニコが埋まっている場所だけ、一瞬、目に入った。
また来るから。
声には出さなかった。でも思った。
王都は夜でも騒がしかった。酔っ払いの声、兵士の足音、犬の遠吠え。あたし達は路地を縫って走った。
どこへ向かうかなんて、決めていなかった。
ただ、二人でいられる方向へ走った。




