18話 ゼニス歴1071年 香織(テオ)視点
あれから5年の月日が経った。
ワタシは今日も、のらりくらりと躱し続けている。
先程まで恒例の月次ヒアリングがあった。文官のセドリックが、相変わらず丁寧な物腰で、しかし目だけは笑っていない顔で「テオ様、今月はいかがでしたか」と聞いてくる。
ワタシも相変わらず「おかげさまで少しずつ理解が深まっています」と、8歳の子供にしては妙に落ち着いた声で答える。
お互い探り合いの茶番だとわかっていても、それが5年間の「日常」だ。
ただ、最近この国はワタシに飽き始めている。それが肌でわかる。
セドリックの質問が短くなった。王様への謁見の回数が減った。給仕の態度が、微妙に雑になった。
組織というのは正直だ。価値が下がった人間への扱いは、言葉より先に変わる。
——そろそろか。
焦りはない。想定の範囲内だ。むしろ、ここまで5年引っ張れたのは上出来だと思っている。
ただ——5年だ。
刀祢を、もう5年間、放置している。
夜、寝る前に考える時間は変わらずある。目を閉じると、あの男の顔が浮かぶ。きちんと飯を食えているだろうか。変な女に引っかかっていないだろうか。また誰かに口先だけで丸め込まれていないだろうか。
あの男は本当に、誰かが目を光らせていないとすぐに何かやらかす。
ワタシがいない間の5年間——想像するだけで頭が痛い。
でも、だから帰らなければならない。
その一心が、この5年間を動かしてきた。
この5年間、ワタシがやってきたことを整理しておこう。
最初の年は、とにかく「価値を見せる」ことに徹した。
PCがないこの世界でSEの知識をそのまま使うことはできない。でも、SEが本質的にやっていることは「複雑なものを整理して、誰でも動かせる仕組みに落とし込む」ことだ。それは、時代も世界も関係ない。
ワタシはまず、エルバート王国の財産管理に目をつけた。
城の倉庫は恐ろしかった。宝物庫と呼ばれる場所に案内されたとき、ワタシは思わず「え、これ棚卸しできてないじゃん」と呟いた。もちろん言葉は通じていなかったけど、ワタシの顔に出ていたらしく、担当の文官が「何か問題でも」と聞いてきた。
問題しかない。
金貨の入った袋と宝石の入った箱が無造作に積まれていて、どこに何があるか誰も把握していない。記録帳はあるが、最後に更新されたのが何年前かもわからない。
ワタシは提案した。
「全部数えて、場所を決めて、記録を作りましょう」と。
3か月かけて在庫を全て棚卸しし、品目ごとに棚を分け、出し入れのたびに記録する仕組みを作った。すると、それだけで「あの宝石がない」「金貨が合わない」という横領が次々と発覚した。
王様は喜んだ。文官たちは青ざめた。
ワタシの「価値」は、この瞬間に確定した。
——これで、もう少し時間が稼げる。
次にやったのは、人の管理だ。
王城で働く人間全員の、出身地、宗教、家族構成、性格の特徴、給料、これまでの賞罰——それを事細かく記録したリストを作った。
最初は反発があった。「なぜそんなことを調べる必要がある」と文官の何人かが顔をしかめた。
ワタシは微笑んで言った。
「適材適所で仕事を割り振るためです。あなたの部下の中に、数字に強いのに倉庫番をしている人がいませんか」
沈黙があった。
しばらくして、「……いる」と文官は言った。
それだけで十分だった。
人材の可視化が進むと、城の運営コストが下がり始めた。同時に、貴族の婚姻状況や財務状況まで王様の手の中に入り始めた。
全てを把握することが、全てを動かすことに繋がる。
これはSEの仕事でも、刀祢との関係でも——同じ原理だ。
相手が何を望んでいるか。何を恐れているか。どこを押せば動くか。それさえわかれば、あとは設計の問題だ。
そして、城の構造の把握。
「緊急時の避難経路をマニュアルに落とし込みたい」と提案した。次に「人員配置を最適化するために、各部屋の用途を教えてほしい」と言った。そうやって少しずつ、少しずつ、パズルのピースを集めた。
設計図の全貌が見えた時、ワタシは思わず笑ってしまった。
現代人が設計したものだ。間違いない。
換気口の位置、荷重計算を考慮した柱の配置、地震を想定したような基礎構造——この世界の建築技術では絶対に出てこない発想だ。浴場が完備されていて、排水まで考えられている。
「この城を設計したのは誰ですか」と、ワタシは一度だけ聞いた。
担当の文官は一瞬だけ目が泳いで、「古い時代の名工です」と答えた。
はぐらかされた。つまり、そういうことだ。
この人も、帰りたかっただろうな。
自分が設計した城の中で——管理される側として、一生を終えたのだろうか。
ワタシは違う。
ワタシは管理する側でなければならない。
軍隊の話もしておこう。
騎士団はマニュアルをあっさり受け入れた。むしろ、こちらが提示した手順を正確に守り、改善点があれば整然と報告してくる。組織として異様に洗練されていた。
「敬礼」の所作を見た時に、ワタシは気づいた。
現代社会の警官か、自衛官か——その動きと、ほとんど同じだ。
ここにも、いた。
誰かがこの軍隊の礎を作った。整然と、正確に、完璧に——その人物の設計が、今もこの組織を動かしている。
ワタシはその規律の美しさに、少しだけ感心した。
システムというのは、作った人間がいなくなっても動き続ける。それが完璧な設計の証明だ。
ワタシもそういうものを作りたい。
刀祢の管理だけじゃなく——もっと大きな何かを。
そして、一番重要な話だ。
ワタシはこの5年間で、このエルバート王国の「システム」をひとつ作り上げた。
財産管理、人材管理、城の防衛、書類の流通——全部、ワタシが設計したロジックの上で動いている。ワタシが作ったルールなしには、今やこの城の日常業務は回らない。
現代のシステム開発の世界に「ベンダーロックイン」という言葉がある。
特定の業者が作ったシステムに依存しすぎて、その業者なしでは何もできなくなってしまうことを指す。
このエルバート王国は今、ワタシにロックインされている。
それをわかっているのは、おそらくワタシだけだ。
ただし、これは諸刃の剣でもある。
ワタシが「使えなくなった」と判断された瞬間、システムごと切り捨てようとするかもしれない。だから、ワタシは「全部は教えない」を徹底してきた。
マニュアルは常に「バージョン途中」の状態にしてある。
完成が見えない限り、ワタシを切れない。
それでも、飽きは来る。現に今がそうだ。
——次の手を打つ時期だ。
ワタシは城の廊下を歩く。
石畳の冷たさが、8歳の裸足に伝わる。
刀祢。
ちゃんとしてる?
……まあ、どうせしてないんだろうけど。
帰ったら、まずそこから立て直さないといけないな。
やれやれ。本当に、手のかかる男だ。




