第10話 ツンデレの限界と雨のテラス
「あら、ロイド侯爵令嬢様。本日はようこそお越しくださいました」
中庭から逃げ出そうとした私の前に、立ちはだかるようにして現れたのは、あのフォックス伯爵令嬢をはじめとする、十五歳の令嬢たちだった。
彼女たちは無邪気な笑みを浮かべながらも、その瞳の奥には、私を値踏みし、「年上のおばさん」と見なすような冷ややかな光を宿している。
「ミッシェル様ったら、本日はずっと上の空でいらしたの。まさか、アナベル様をお待ちになっていたなんて。ねえ、ミッシェル様?」
令嬢たちに促され、いつの間にか私の後ろを追ってきていたミッシェル様が、息を切らせてその場に立ち尽くした。プラチナブロンドの髪が乱れ、青い瞳が激しく動揺に揺れている。
彼は、私がまたしても傷ついた顔をして自分から逃げようとしたことに、狂いそうなほどの焦りを感じていた。今度こそ、今度こそ引き留めて、あの夜会の暴言を謝らなければ。そのパステルピンクではないシックな紺色のドレスが、世界で一番あなたに似合っていて美しいと、喉を押し裂いてでも伝えなければ――。
けれど、彼を取り囲む「学園の薔薇たち」の視線が、十五歳の少年のちっぽけなプライドを雁字搦に縛り付ける。
周囲の男友達や令嬢たちの前で、年上の婚約者にベタ惚れしている姿を見せるのが恥ずかしい。格好悪い。大人の男として見られたいという歪んだ虚勢が、またしても彼の脳裏を支配した。
「ミッシェル様、アナベル様は私たちの『お姉様』世代ですもの、お労りして差し上げなくては」
「……うるさいな。君たちには関係ないだろう」
ミッシェル様は令嬢たちを冷たくあしらった。しかし、私に向けられた言葉は、焦りと照れ隠しが最悪の形で混ざり合った、突き放すような冷徹な一言だった。
「アナベル嬢。……ここは学園です。僕の友人や同級生もたくさん見ているのですから、そんなにオロオロしないで、もう少し『大人の対応』をしてください」
――大人の対応。
その言葉が、私の胸に最後の一刺しとなって突き刺さった。
ああ、そうね。私は十八歳だものね。
ミッシェル様が求めているのは、あの十五歳の少女たちのように無邪気にはしゃぐ私ではなく、どんな陰口を叩かれても、婚約者にどれほど冷遇されても、決して顔色を変えない「都合のいい大人の盾」なのだ。
「……そう、ですね。申し訳ありません、ミッシェル様」
私は、自分でも驚くほど冷え切った声でそう微笑んだ。
ミッシェル様が、ハッとしたように顔を青ざめさせる。彼は自分の言葉が、またしても意図とは真逆の、最悪の刃となって私を傷つけたことに気づいたようだった。けれど、もう遅い。私の心の糸は、いま、完全に断ち切られた。
ポツリ、と頬に冷たいものが当たった。
青空を覆い隠すように急速に広がった雨雲から、大粒の雨が降り始める。楽しげだった学園祭の庭から、生徒たちが悲鳴を上げて校舎へと避難していく。
私は一人、人影の消えたテラスへと歩を進めていた。
激しい雨の音が、周囲の雑音をすべてかき消してくれる。激しい雨風に晒され、せっかく整えた紺色のドレスが濡れて重くなっていくけれど、今の私にはどうでもよかった。
「アナベル嬢……っ!」
激しい雨音を割って、背後から足音が近づいてくる。
振り返ると、そこには雨に濡れそぼりながら、必死な形相で私を追いかけてきたミッシェル様が立っていた。いつもはツンと澄ましている彼の顔は、いまや泣き出しそうなほど歪んでいる。
「待ってください……! あんなの、違うんです。僕は、あなたにそんなことを言いたくて招待したんじゃ……!」
「ミッシェル様」
私は静かに彼の言葉を遮った。
いつもなら、どんな時でも崩さなかった「完璧な侯爵令嬢としての仮面」が、雨水とともにドロドロと崩れ落ちていくのが分かった。
私は、彼の前で、生まれて初めて静かに涙を流した。
雨に紛れて、けれど隠しようもなく、目元から溢れ出る絶望の雫。
「もう、いいのです。……ごめんなさいね、可愛くない年上の婚約者で」
「あ……」
「あなたに似合うような、十五歳の可愛らしい令嬢になろうと、私なりに必死に足掻いてみたの。でも、無理だったわ。どんなに頑張っても、私は十八歳で、あの子たちのように瑞々しく笑うことも、あなたに素直に甘えることもできない。……『大人の対応』すら満足にできない、みっともない女だわ」
自嘲気味に微笑む私の姿に、ミッシェル様は恐怖に目を見開いた。
「ちがう、ちがうんだ! 僕はただ、あなたが綺麗すぎて、他の男に見せたくなくて……!」
ミッシェル様が叫びながら、私の濡れた手を掴もうと手を伸ばす。
けれど、私はその手を、そっと拒絶するように引き抜いた。
「もう、終わりにしましょう。……ロイド侯爵家とゴードン伯爵家の再婚約の件は、私から父に頼んで、白紙に戻していただくよう手配いたします。あなたを、これ以上『お下がりのおばさん』で縛り付けるような真似はいたしません」
最後の手向けとして、私は完璧な、そして完全に心のこもっていない淑女の礼を捧げた。
「お健やかに、ミッシェル様。……さようなら」
「待って……待ってください、アナベル嬢!!」
激しい雨の向こうへ、私は今度こそ完全に背を向けて走り去った。
あとに残されたのは、激しい雨に打たれながら、差し伸べた己の手を見つめて立ち尽くす、十五歳の少年だけだった。
自分のくだらないプライドのせいで。不器用という言葉では済まされない、自分の幼稚な暴言のせいで。
世界で一番愛する人を、完全に絶望させ、永遠に失ってしまった。
「あああああ……っ!」
ミッシェルはその場に崩れ落ち、泥水に塗れながら、届かない名前を呼んで激しく慟哭した。己のあまりの愚かさと、取り返しのつかない喪失の痛みに、ただ引き裂かれながら。
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