第六十七章『銀猫、神の名を背にして──けれど私は』※挿絵有り
朝の光が、やわらかに差し込んでくる。
ファナが目を開けた時、まず視界に入ったのは──黒くてまあるい後頭部だった。
「……あ、ファニャン。おはよ」
ふわふわの毛並みは今日も艶やかで、そしてその口元には、いつものように……干し魚。
「それ、どこから持ってきたの?」
問いかけると、ファニャンは魚を“ぽとっ”と落とし、くるりと振り返って“ふにゃ”と一鳴き。
彼の背後──玄関先の供物台には、今日もずらりと並んでいた。
干し魚、ミルク、小魚の煮付け。ついには猫用の高級クッションまで加わっている。
「……これもう完全に、ファニャンのための台だよね……」
布団の中でぼんやりと呟く。
ファニャンは満足げに魚を咥え直し、枕元にゴロンと寝転がった。
“まったく異常がない”という顔で。
***
その日の昼過ぎ。
「よっ。元気そうじゃねえか」
「ふふ、会いたかったわよ、ファナ」
玄関に立っていたのは、懐かしい二人だった。
カイルとレリア。ファナが“おとーさん”“おかーさん”と呼ぶ、優しい義父母。
「うん、こっちも……元気、だよ」
笑顔を見せながらも、少しだけ照れくさそうに目を逸らすファナ。
テーブルにつくと、レリアが一通の手紙を取り出す。
「前に送ってくれたこの手紙……何度も読み返してたの。すごくファナらしいなって思って」
「わ……! そ、それは、見ないでええぇ……!」
ファナが顔を真っ赤にして身を乗り出す。
メルが横でくすっと笑って、そっとお茶を差し出した。
カイルはというと、家の中をちらちらと見渡していた。
「……なあ。あの猫、なんか神扱いされてないか?」
「う……うん、まあ……色々あって……」
ファナは苦笑いを浮かべながら供物台を指差した。
そこには新たに“祈願札”まで増えており、メッセージの一つには「膝乗りの御加護を……」と書かれていた。
「神の膝乗りって何……?」
ファナは頭を抱えた。
レリアは優しく微笑みながら、静かに彼女の肩に手を添える。
「信じてくれる人がいるって、素敵なこと。でも、無理はしないでね」
***
家族が帰ったあと、ファナは自室で一人、ベッドに座っていた。
「……私は、神様なんかじゃないよ」
ぽつりと呟いた声が、空気に溶ける。
──銀猫様信仰。
──そこから生まれた、白衣銀猫教。
──銀猫の使い。
──神の巫女。
ありがたいけど、怖い。
微笑みを向けられるたび、胸が苦しくなる。
「私……誰かに“すごい”って言われるようなこと、してないのに……」
信じてくれる人を、突き放したくない。
でも、応えられない自分が、情けなくて。
「みんなの“信仰”が、ファニャンに向いてくれたら、楽なのにな……」
心の奥に、そんな弱音がぽつりと滲む。
その時だった。
「ふにゃ」と短く鳴き、ファニャンが彼女の隣に座った。
じっと、見上げる。
「……慰めてくれるの?」
そう尋ねた瞬間、彼は音もなく姿を消した。
「え……?」
戸惑う間もなく──廊下の向こうから、ごそごそと音がして──
「────っっっ!?」
ファナの悲鳴が家を揺らした。
「ま、ま、またああああああ!? ネズミいいいいいっ!! しかも今日の大きいぃぃっ!!」
大きな山ネズミを咥えて戻ってきたファニャンは、うやうやしくその獲物をファナの足元に“ぽとり”と捧げた。
「いやあああああああああああああっっ!! ちがうちがう、それじゃないぃぃ!!」
逃げるファナ。追うファニャン。
ネズミをくわえて“プレゼント”しようとする姿勢に一切の悪気はない。
そして。
ネズミを置き去りにしたファニャンは、何事もなかったかのように供物台の干し魚を食べ始めた。
***
「……もう、あんたの方が神様っぽいよ」
夕方。
ようやく落ち着いた空気の中、ファナはぽつりと呟いた。
ファニャンは“にゃっ”と鳴いてファナの膝に飛び乗り、丸くなってゴロン。
手をそっと伸ばして、柔らかな毛を撫でる。
「でも……ありがと。ネズミはイヤだけど、でも、優しさは、ちゃんと伝わったよ」
ファナの声に応えるように、ファニャンが喉を鳴らす。
温もりが、心を満たしていく。
──今日もまた、“神のような猫”と共にある。
でも私は、神様なんかじゃない。
それでも、信じてくれる誰かの笑顔に、背を向けたくはないと思う。
小さく、でも確かに。
そんな想いを胸に抱きながら──ファナは目を閉じた。
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