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銀髪の猫はなにを願う  作者: 熊猫
第三部

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199/226

第六十六章『銀猫、家にて日常を噛みしめる』※挿絵有り

挿絵(By みてみん)

カリカリカリカリ──バリバリバリ。

 

「ちょ、ちょっとファニャンっ!? やめ、やめてっ、そこ柱だよぉ……!」

 

翌朝。

新しい日常は、たいへん分かりやすい音で始まった。

 

挿絵(By みてみん)

 

玄関脇の柱には、昨日よりも明らかに深い爪痕。

その前で、ファニャンはご満悦そうに喉を鳴らしている。

 

ファナは小走りに駆け寄ると、慌てて猫を抱き上げる。

だが、抱き上げられたファニャンはといえば、されるがままに“ふにゃぁ”と伸びて、しっぽを揺らすだけ。

「もう……この家、借り物なんだから。傷つけたら、退去させられちゃうかもしれないんだよ……?」

眉をひそめて言うが、ファニャンはおかまいなしに腕の中でくるんと丸くなる。

そして、ふと横からのんびりとした声が投げられた。

「もはやあれは──神の聖爪の儀式跡では?」

「そんなわけあるかーっ!」

メルの芝居がかった呟きに、即座にツッコミが飛ぶ。

 

そのやりとりに、ファニャンは“にゃっ”と短く鳴いた。

──どうやら、自覚はないらしい。

 

***

 

「え……な、にこれ?」

 

午前の光が差し込む玄関口。外に出ようと扉を開けたファナが思わず立ち止まる。

門柱のそばに設けられていたのは、簡素な木箱。

そしてその上には──干し魚が三匹、牛乳入りの小皿、そして……花まで添えられていた。

 

「お供え……だよね、これ……?」

「どうやら、銀猫様信仰の者たちが“奉納”に来ているようだな。……悪意は、ない」

メルが指先で干し魚を少し持ち上げて確認し、すぐにそっと戻した。

 

やわらかく風に揺れる花は、夜明けに摘まれたばかりなのだろう。水滴が瑞々しく光っていた。

「悪意がないのはわかるけど……うちの前にこんなことされちゃったら、困るよぉ……!」

ファナは両手で顔を覆って、うずくまるように項垂れた。

 

──銀猫様と、その御使いへの供物。

そう書かれた札が、木箱にひっそりと添えられていた。

 

***

 

「いやあ、これは見事な爪痕でございますなあ!」

昼過ぎ。管理人でもある大家のおじいさんがやってきて、柱の傷を見て感嘆の声を上げた。

「見たまえ、この鋭くして規則的な弧を描く痕跡。まさに神のご威光……!」

「あ、あの、それは……うちの猫がちょっと爪とぎを……」

「神の猫、じゃな!」

「ちが……じゃなくて、えっと……っ」

 

うろたえるファナを背に、メルが腕を組み、「ふむ」と頷く。

「つまりこれは、神聖なる爪の加護……」

「そう! 加護でございますな!」

「うむ、それでは──この柱は記念として残すということで!」

「だめぇぇぇぇぇぇえええっ!!」

ファナが頭を抱えて叫んだ。

 

おじいさんは「遠慮は無用じゃ」とにこやかに言ったが、ファナは正座してぴしっと抗議を始める。

「ダメですっ! 修繕費はちゃんと払います! これはただの……その……迷惑行為……」

「おやおや、聖なる迷惑とは風流な──」

「そもそも神じゃないです!!」

そう言い切った瞬間。

 

間に入っていたファニャンが、“にゃっ”と一声発した。

不思議と、場の空気がすっと静まる。

「……む、これはもしや──黙して語る“神託”……」

「ただの猫の鳴き声だからぁぁあ!」

 

***

 

夕刻。扉が開く音。

「ふにゃ〜」

と、柔らかな声をあげて戻ってきたファニャンの口には、なにやら……ぶら下がっていた。

「ね、ネズミィィィィィィィィィ!?!? お、おっきいぃぃぃっ!」

ファナの絶叫が家中に響き渡る。

 

ずるっ、と落とされた大きめのネズミ(明らかに野生育ち)は、ファナの目の前でピクリとも動かず。

「はわ……だ、誰か……メルぅぅ……」

床にへたり込むファナを横目に、ファニャンは当然のようにその横を通過して、玄関前の“供物台”へとぽとりとネズミを捧げ、悠然と干し魚を食べ始める。

「……食物連鎖的には、正しいな」

メルがぽつりと呟いた。

「でもやっぱり、わたしには刺激が強いよぉ……!」

「これが、日常というものだな。……意外と、案外こんなものかもしれない」

苦笑するメルに、ファナは涙目でふるふると首を振った。

 

***

 

夜。

ベッドの上で、ファナはぼんやり天井を見つめていた。隣には丸くなったファニャンが、規則正しく喉を鳴らしている。

「ねえ、ファニャン……」

 

小さく呟くと、猫のしっぽがふいにファナの鼻先に触れた。

「わたしより人気出ちゃってるじゃん……なんか悔しい……。でも……」

そっと、毛並みに手を添える。

 

あたたかい。生きている。

「ありがとう、来てくれて」

──ファニャンが、ふにゃあと短く鳴いて、ファナの指先に顔を押しつけた。

小さな命の重さが、ふと心を和らげる。

静かな夜だった。波の音も、祈りの声も、届かない。

ただ、眠りと、日常と、あたたかな鼓動。

 

***

 

──日常は、確かにここにある。

そして、明日もまた来る。

ファニャンと、メルと、そして──ファナ自身と共に。

 


神の爪は戸を護り、神の牙は悪しき鼠を退ける。

だが銀の(かんなぎ)はただ微笑み、掌を差し伸べる。

信仰は彼女に宿らず──猫の足音に滲む。

──記録『雷来々抄・外典』より

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