第五十七章『金雷の記録、銀猫に寄りて』※挿絵有り
数日後、ふたりは街を発った。
馬車ではなく、王都直通の転移列車を使う手配がされていた。
ファナは久々の王都に、どこかそわそわとしながらも、メルの手を握りしめていた。
「……また、来たね。王都」
「そうだな。思い出は多くても、いい印象ばかりじゃなかったろ」
ファナは首を振る。
「でも、今は……違うの。ちゃんとメルと一緒だから」
王都の門をくぐったとき、かつての記憶が蘇る。
王都の石畳は、昔と変わらず硬かった。
整えられた道。高い建物。行き交う人々の視線。
そのひとつひとつが、かつてのファナには少しだけ怖かった。
歩き方を間違えてはいけない。
笑い方を間違えてはいけない。
誰かの言葉に、すぐ答えなければいけない。
そう思っていた頃の自分が、胸の奥で小さく震える。
けれど今のファナは、あの頃のように重いドレスを着せられているわけではない。
誰かに決められた場所へ、連れていかれているわけでもない。
隣にはメルがいる。
握った手を、ちゃんと握り返してくれる人がいる。
だからファナは、ゆっくりと息を吸った。
王都の空気は、少し冷たい。
けれどもう、それだけで足がすくむことはなかった。
「メル……あの時、怖かったの。メルが……じゃなくて、撮られそうになって……でも、それより、メルが戻ってこなかったらって、それが一番……怖かった」
「……馬鹿か。ちゃんと戻ったろ」
メルは苦笑しながら、そっとファナの頭を撫でた。
それだけで、胸の奥にあった不安が溶けていく。
***
王都魔導院、特別閲覧制限区画。
通常の講義室でも、研究室でもない。
厚い扉には三重の封印符が貼られ、入口では記録官が一人ずつ許可証を確認していた。
室内の壁には暴走時の遮断結界が幾重にも刻まれ、床には緊急停止用の魔導線が走っている。
集められた研究者たちは、誰も軽口を叩かなかった。
王都魔導院の者たちにとっても、今回の術式は未知だった。
興味はある。
見たい。
知りたい。
けれど、それ以上に――不用意に触れてはならないものだという理解が、空気を重くしていた。
「……本当に、本人が来るのか」
「来る。院長印つきの許可だ」
「《探痕解析陣》そのものではない。あくまで安全な一部の模擬再現だと聞いている」
「それでも十分危険だ。記録班、手順を間違えるな」
低く交わされる声に、緊張が滲む。
その中央へ、メルはいつも通りの顔で歩いていった。
ファナの手を握ったまま。
集められた十数名の研究者と記録官たちは、その姿を黙って見つめていた。
今日ここで行われるのは、《探痕解析陣》そのものの実演ではない。
あくまで、基盤となった並列処理補助術式と、痕跡捕捉・記録照合の一部だけを切り出した模擬式である。
「では、探痕部の構成を模擬再現する」
メルが手をかざすと、床に魔術式が浮かび上がる。精緻な円陣が、まるで音を立てるように構成されていく。
ファナは手を握りしめて見守る。その手は、メルにそっと握り返された。
「……大丈夫。暴走なんてさせないさ」
「うん……」
光が、陣の中心から螺旋状に広がる。
探痕術式の「痕跡捕捉」と「記録照合」機能が、視覚化される。
研究者たちは息を呑んだ。
最初に浮かび上がったのは、単純な捕捉式だった。
研究者たちの何人かが、わずかに肩の力を抜く。
それは理解できる。
少なくとも、入口は既存の痕跡解析術式に近い。
だが、次の瞬間だった。
捕捉式の外側に、記録照合式が重なる。
さらにその外側へ、補正式が滑り込む。
補正式を監視するための小術式が、その場で組み上がる。
研究者の一人が、息を呑んだ。
「……待て。今、補正式を組むための補正式が走ったぞ」
別の研究者が、震える手で記録板に筆を走らせる。
「違う。あれは組んだんじゃない。条件を与えて、術式側に組ませている……」
その言葉を聞いた瞬間、室内の空気が変わった。
興奮ではない。
恐怖に近い理解だった。
「これを即興で……?」
「ありえん……数年でも足りん……」
「……これは、追跡で止めているから解析術式で済んでいるんだな」
研究者の一人が、かすれた声で呟いた。
「追跡完了と同時に座標が確定する。なら、その先に攻撃術式を接続することも……」
「できる」
メルは否定しなかった。
「だが、今回は必要なかった」
「必要なかった、で済ませる話か……」
別の研究者が、青ざめた顔で記録板を伏せる。
「応用可能性の欄は封印扱いだ。これは公開していい術式ではない」
「……最大級の地雷を踏んだな、犯人……」
「よく生きてたな……。もし実害が出ていたなら、解析完了と同時に攻撃術式が走っていてもおかしくない……」
だが、術式は崩れず、暴れず、淡々と機能を終える。
その緻密さ、強度、制御力。すべてが異常だった。
***
後日。記録室にて、魔導院の古文担当官が筆を走らせていた。
ファナとメル、メリルもその場にいる。公式記録として、今回の術式は魔導院の封印術式群の一つに加えられる。
記録官が、声に出して碑文を読み上げた。
「怒りの雷は、人を裁かず、真実を照らした」
「雷来々。名誉を求めぬ金雷、その記録はここに残る」
「銀猫に寄りて現れては去る、稲妻の守り手」
しんと静まる室内。
メリルがぽつりと呟いた。
「……銀猫に寄りて、か」
ファナはその意味をまだ知らない。ただ、心の奥が不思議とあたたかかった。
事件の記録は、こうして刻まれた。
「金雷」の異名と共に。
そして、そのそばには、変わらず寄り添う「銀猫」の名もまた――
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