↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀髪の猫はなにを願う  作者: 熊猫
第三部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

188/233

第五十五章『評価と防衛、そして日常へ』

挿絵(By みてみん)

静かな朝だった。

ファナとメルが住む新しい借家には、まだ生活の匂いがほのかに残る程度だった。

簡素ながらも日当たりの良い木造の家。

窓を開ければ、風に揺れる木の葉の音が心地よく響く。

まるで、何事もなかったように。

けれど、外の世界では、その“何事”がすでに騒ぎになっていた。

 

***

 

「……魔導院から、正式な照会が来たみたいね」

朝のギルドホールは、いつもより少しざわついていた。

依頼掲示板の前では冒険者たちがいつものように依頼票を眺め、受付では職員たちが慌ただしく書類を捌いている。

 

その片隅で、セリナは若いギルド員から話を聞いていた。

小卓の上には、昨夜の事件に関する簡易報告書の写し。

押収された魔道具の目録。

そして、王都魔導院から届いたという封書の控えが置かれている。

 

「はい。『当該解析術式の構成概要について、可能な範囲で共有を願いたい』と……」

「可能な範囲で、ね」

 

セリナは封書の控えに目を落とし、静かに息を吐いた。

「ずいぶん丁寧な言い回しだけれど、向こうが本気で知りたがっているのは分かるわ」

若いギルド員が、おそるおそる口を開いた。

「やっぱり……あれ、そんなにすごかったんですか」

「すごい、という言葉だけでは足りないでしょうね」

 

セリナは腕を組み、ホールの奥へ視線を向けた。

「空の記録から転送痕を拾い、中継五つ、偽装二つ、本命一つを短時間で割り出した。

 普通なら数日、場合によっては数週間かかる解析よ。

 それを、その場で即興構築したというのなら……魔導院が動くのも当然だわ」

 

「即興で、ですか……」

「ええ」

セリナは静かに頷いた。

「ただし、笑って済ませられる話ではないわね」

 

事件そのものは、決して軽いものではない。

新居の浴室に、映像記録用の魔道具が仕掛けられていた。

それだけで、十分に悪質だった。

幸い、映像記録は成立しなかった。

被害者の姿は残っていない。

外へ送られた映像もない。

だが、空の記録だけが送られた。

 

そのわずかな痕跡を、メル・エルドリアは読み尽くした。

「メル君は、評価も表彰も必要ないと言っているのでしょう?」

「はい。それと、被害者名を外へ出すな、術式構造の詳細を渡すな、犯人の余罪調査を優先しろ、と」

「正しい判断ね」

セリナは迷わず言った。

 

「被害者の名を出す必要はないわ。家の場所も、事件の細部も、外へ出していいものではない。

 魔導院へ渡すなら、解析結果と安全上の注意点、それから再発防止に必要な範囲だけで十分よ」

「魔導院は、納得するでしょうか」

「納得してもらうしかないでしょうね」

 

セリナは封書の控えをそっと小卓に戻した。

「メルの術式は、確かに魔導院が欲しがるほどのものよ。でも、だからといって、被害に遭いかけた人の安心を削ってまで渡すものではないわ」

 

若いギルド員は、少しだけ表情を引き締めた。

「……はい」

「大丈夫。順番を間違えなければいいの。まず守るべきものを守る。その上で、必要な情報だけを渡す」

セリナの声は穏やかだった。

 

けれど、その言葉には、戦場で何度も命を繋いできた者の重みがあった。


***

 

「“魔導院の使者”?」

メルは眉一つ動かさず、応接室に通された中年の魔術師を見た。

 

場所はギルドの応接室だった。

 

ファナのいる新居へ直接来させるわけにはいかないと、ギルド側が場を用意したのだ。

「ご足労だとは思うが、要件が表彰や詳細記録の提出なら帰ってくれ。俺には関係ない」

「い、いえ! 表彰というより、術式安全管理上の確認でして……!」

 

中年の魔術師は、必死に頭を下げた。

「もちろん、被害に関する個人情報は不要です。魔導院としては、あのような解析術式が存在する以上、せめて危険性と再現不能性だけでも記録しておきたいのです」

 

メルの目がわずかに細くなる。

「再現する気か」

「し、しません! できません!」

あまりにも即答だった。

「できる者がいたら、こちらが教えてほしいくらいです!」

 

横で聞いていたセナが、ぼそりと呟いた。

「そこは本音なんだろうな」

メルはしばらく黙っていた。

すると、隣に座っていたファナが、そっと袖を引いた。

「……メル」

「ん?」

「あの人、ちょっとかわいそうだよ。すごく困ってる」

ファナは小さく首を傾げる。

「それに……同じような魔道具がまた使われた時に、誰かを守れるなら、少しだけ教えてあげてもいいんじゃないかな」

 

メルは短く息を吐いた。

「お前は本当に、そういうところがあるな」

「……だめ?」

「だめじゃねえ」

 

メルは使者へ視線を戻した。

「条件付きだ」

「はい!」

「被害者名は出さない。家の場所も出さない。事件の詳細も必要最低限にする。術式構造は渡さない。渡すのは、動作結果と危険性、それから対策の概要だけだ」

「十分です! それで十分です!」

「あと、この術式を模倣しようとするな。普通の術者がやれば、解析前に補助術式が破綻する」

 

中年の魔術師は、真顔で何度も頷いた。

「肝に銘じます」

最後に彼が置いていったのは、やたら重そうな銀の文鎮だった。

豪奢だが、どう見ても実用性に乏しい。

 

ファナは首を傾げた。

「……これ、何に使うのかな?」

 

メルはその文鎮を持ち上げ、一言。

「……紙は押さえられる」

ファナは一瞬きょとんとして、それから小さく笑った。

メルも、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

***

 

「なあメル、よかったらでいいんだけど……ひとつ、教えてくれないか」

ギルドの中庭で、セナがいつものように難しい顔で言った。

「あの時の術式。あれ、どこまで即興で組んだんだ?」

「全部だ」

「全部って言うな」

 

セナは即座に頭を抱えた。

「せめて基礎式くらいは用意してたと言ってくれ。俺の常識のために」

「基礎式はあった」

「あるのか」

「《新婚生活支援結界・深宵安眠型》だ」

 

セナは一瞬、完全に黙った。

「……今、何と同じだって?」

「《新婚生活支援結界・深宵安眠型》だ」

「聞き間違いじゃなかったのがつらい」

 

メルは淡々と続ける。

「あれは防音、遮光、疲労軽減、簡易回復、外部干渉遮断を同時に走らせる必要があった。

 だが、術式は魔力回路と制御負荷の問題で、そのまま並列発動させると破綻する」

「そこまでは分かる」

「だから、術式に分担させた」

「そこから分からない」

「術式並列処理用の補助術式を複数起動して、それぞれに構築、制御、監視を担当させる。

 俺は全体の統括と補正だけを見る」

 

「……待て。術式に、術式を組ませたのか?」

「ああ」

「しかも、それを生活支援結界でやったのか?」

「ファナを休ませるためだからな」

「理由が強すぎて文句を言いづらい!」

 

近くにいたギルド員たちは、そっと視線を逸らした。

慣れているのだ。

この二人の会話には。

 

セナは深々と息を吐いた。

「あれ、三日かけて組んでたやつだろ」

「ああ。最初だったからな」

「それでコツを掴んで、今回は即興でやったのか?」

「そうだ」

「そうだ、で済ませるな」

 

メルは首を傾げる。

「《探痕解析陣》では、上乗せする処理を変えただけだ。

 防音、遮光、疲労軽減、簡易回復、外部干渉遮断の代わりに、記録解析、転送痕追跡、魔力波長照合、隠蔽式逆算、偽装判別を走らせた」

「“変えただけ”って言うな!」

セナの声が中庭に響いた。

「安眠結界と犯罪組織の転送網解析を同じ棚に置くな!」

「処理を分担させるという意味では同じだ」

「同じじゃない。普通は同じじゃない」

 

セナは額を押さえる。

「説明だけなら、まだ分かった気になれるんだ。

 術式に処理を分担させる。補助術式で制御する。そこまでは、まあ、理屈としては分かる」

「なら問題ないだろ」

「問題は実物だ!」

セナは声を荒げた。

「補助術式を補助する術式があって、その補助された術式が内側の式を組み替えて、その組み替えた結果をまた外側に返してる!

 どこが主術式で、どこが補助術式なのか、見てるこっちの頭がおかしくなる!」

「主体制御主は俺だ」

「そこは分かってる!」

「なら問題ない」

「問題しかない!」

 

セナは肩を落とし、半ば諦めたようにメルを見る。

「……これは魔導というより、神話だな」

「大げさだ」

「大げさじゃない。制御できるなら魔導技術は百年以上進む。

 制御できないなら、百年分の失敗が一秒で起きる」

 

メルは少し考えた。

「だから、模倣するなと言った」

「そういう意味で言ったのかよ」

セナは空を仰いだ。

「魔導院は欲しがるだろうな。だが、欲しがった連中ほど実物を見て青ざめるぞ。

 これは“使える術式”じゃない。“お前が使えた術式”だ」

 

メルは静かに返した。

「必要だった」

「……ファナのためか」

「ああ」

迷いのない返事だった。

 

セナはしばらく黙ったあと、小さく笑った。

「お前の魔導は、本当にそこから始まるんだな」

メルは答えなかった。

ただ、否定もしなかった。

 

***

 

その日の午後、メルは新居に防衛結界を張り直していた。

 

昨夜、急造した結界ではなく、今度は家全体に馴染ませる形の常設型だ。

窓。

扉。

屋根裏。

床下。

浴室の換気窓。

すべてに細い金色の魔力印が刻まれていく。

「悪意感知式・迷入防止結界」

 

メルが淡々と説明する。

「侵入の意図、記録用魔道具の持ち込み、外部からの魔力干渉を検知する。

 悪意が強い相手は、家へ近づくほど空間認識がずれる」

 

ファナはぱちぱちと瞬きをした。

「……えっと、つまり?」

「近づけなくなる」

「すごい……けど、ちょっと怖いね」

「悪意がなければ問題ない」

 

そこへ、様子を見に来ていたセナが庭の入口から顔を出した。

「待て。これ、防犯結界って言ったよな?」

「ああ」

「悪意を判定して、記録用魔道具を検知して、外部魔力干渉まで拾って、空間認識をずらすんだよな?」

「ああ」

 

「それを防犯結界って呼ぶな。国家重要施設の秘匿結界だ、それは」

「家を守るための結界だから、防犯結界だ」

「用途で分類するな。構造で分類しろ」

 

セナは頭を抱えた。

「本当に問題ないんだろうな?」

「試してみるか?」

「嫌な予感しかしないが、まあ確認は必要だな」

 

セナは庭へ一歩踏み込んだ。

 

そして、数歩進んだところで、なぜか同じ木の前に戻ってきた。

「……ん?」

 

もう一度進む。

また同じ木の前に戻る。

 

「なあ!」

セナが振り返る。

「俺、三回同じところ通ったぞ!?」

「悪意がないなら抜けられる」

「じゃあなんで引っかかってるんだよ!」

「妙な興味が強すぎる」

「細かすぎるわ!」

 

ファナは思わず口元を押さえた。

「セナ、大丈夫?」

「大丈夫じゃない! この結界、俺の知的好奇心を悪意扱いしかけてる!」

「悪意じゃない。過剰接近扱いだ」

「余計に腹立つ!」

 

ファナは小さく笑った。

その笑い声を聞いて、メルの表情が少しだけ和らぐ。

「……笑えるなら、まあいいか」

「メル?」

「なんでもない」

 

メルは最後の魔力印を窓辺に刻んだ。

淡い金色の線が家全体を巡り、やがて静かに消えていく。

 

外から見れば、ただの小さな借家。

けれど、その内側には、メルが張り巡らせた守りが確かに息づいていた。

 

***

 

夕暮れ。

家のテラスで、ファナとメルは並んで座っていた。

風が心地よく、庭に咲いた花々がそよいでいる。

どこか懐かしい、静かな時間だった。

「ねえ、メル……」

 

ファナがぽつりと口を開いた。

「あの時のメル、少し怖かった」

「ああ」

「でも……私のために怒ってくれたんだって、分かったから」

 

ファナは膝の上で指を重ねる。

「怖かったけど、嬉しかった。守ってくれたんだなって、思った」

メルは少し黙り、ファナの髪に手を伸ばす。

そして、静かに撫でた。

「……お前が怖がるようなものを、二度と近づけたくなかった」

「うん」

「お前自身も、お前の安心も、誰かのくだらない欲で汚されるものじゃねえ」

 

ファナの耳が、少しだけ揺れた。

メルの声は低かった。

けれど、もう怒りだけではなかった。

「ここは、お前が笑う場所にする」

「……うん」

「俺一人で守るんじゃない。お前が言った通り、ふたりで守る」

 

ファナはゆっくりと頷いた。

「うん。これからも、ふたりで守ろうね」

黒いしっぽが、するりとメルの膝に触れる。

 

メルはそれを見て、少しだけ笑った。

「明日はカーテンを買いに行くか」

「うん。厚くて、可愛いの」

「防犯性能もあるやつだな」

「だから、可愛さも大事だよ?」

「分かってる。防犯性能のある、可愛いカーテンだ」

ファナが笑った。

 

それは、事件の前とまったく同じ笑顔ではなかった。

怖さを知った後の笑顔だった。

それでも、確かに戻ってきた笑顔だった。

新しい家の窓辺で、金色の魔力印が淡く光っている。

その光は強すぎず、日常の灯りを邪魔しない。

 

守るための術式。

帰るための場所。

そして、ふたりでまた笑うための家。

 

夜は静かに、穏やかに、ふたりを包み込んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。