第五十二章『ふたりの新しい暮らし』
──その朝、世界は甘さとぬくもりで満ちていた。
柔らかな光がカーテンの隙間から差し込み、ベッドの上に影を落とす。
ファナはその中で身をすくめるように目を細め、そして隣にいるメルを見上げた。
目が覚めた時、ファナはメルの腕の中にいた。
昨夜のことを思い出して、耳の先まで赤くなる。
けれど、逃げようとは思わなかった。
もう、隠さなくていい。
そう思えることが、何より嬉しかった。
そうして始まる、新婚の朝。
朝食の時間。宿の食堂の隅に集まった四人は、和やかな空気の中でテーブルを囲んでいた。
「はい、メル、あーん♥」
ファナが差し出したスプーンに、メルが自然に口を開ける。
幸せの塊のようなその光景に、カイルは静かに眉をひそめた。
「仲がいいのは分かったが……ほどほどにしろよ」
レリアが隣で苦笑する。
「ちゃんと眠れてるの?」
メルはごく普通の口調で、さらりと答える。
「……4時……5時だったかな、寝たのは」
ファナの耳が、ぴんと立ってから、すぐに伏せた。
ピタリと箸が止まった。
レリアは静かに、けれど真剣な声で言う。
「仲がいいのは嬉しいけど、無理はしないこと。生活が落ち着くまでは、ちゃんと考えなさいね」
ファナは真っ赤になってこくこくと頷き、メルもわずかに肩をすくめるようにして答える。
「分かってる。無茶はしない」
空気は微妙な静けさに包まれたが、ファナが笑顔で声を上げた。
「おとーさん、おかーさん、また一緒にご飯食べようね」
その言葉に、空気がほどけるように温かくなった。
ギルドに顔を出した昼下がり。
セナが出迎え、開口一番にファナに尋ねた。
「……お前、寝てないだろ」
ファナは顔を真っ赤にして、しばし言葉に詰まった。
メルが淡々と、しかし真面目な顔で口を開いた。
「少しな」
「少しの顔じゃねえんだよ、それは」
セナが目を細める。
「それ、ほぼ一日寝てない顔だろ」
メルは真顔で頷き、淡々と説明を始めた。
「だから結界を張って、防音と遮光、それから疲労軽減の術式を組み合わせた。宿に迷惑をかけるわけにもいかないからな」
セナが絶句する。
「お前……それ、まさか一人で組んだのか?」
「三日前から構想して、披露宴の翌日に完成させた」
「バカかお前!? 多層構造式なんて、まともに組める術者は王都中探しても数人いるかどうかだぞ!? どこに力を入れてんだよ……!?」
メルは一拍置いてから、真剣な目で答えた。
「……ファナが、安心して休める場所を作るためだ」
「お前……それ、魔導院級の多層結界じゃねえか!!」
メルはさらりと名を告げる。
「術式名は──《新婚生活支援結界・深宵安眠型》」
防音、遮光、疲労軽減、簡易回復。
さらに外部干渉を遮断し、宿の壁や周囲に迷惑をかけないよう調整された多層結界。
「魔導の本気の使い方が間違ってんだよ!!」
セナが叫び、ファナが耳を伏せて震える。
ギルドの片隅、少し落ち着いた会話の時間。
「……で、お前ら、そろそろ落ち着いた生活は考えてるのか?」
セナの問いに、ファナとメルは顔を見合わせる。
「そういえば、まだ家をどうするか考えてなかった」
「定住するなら拠点は必要だろ。借家でも建ててもいいけど……」
「……師匠に相談してみるのも、いいかもしれねぇな」
そこにフィオナがひょっこり現れる。
「マイゼルのこと? あたし達の拠点の家も、マイゼルが作った魔導ハウスだからね」
「私たちのはVelvet・Radianceの六人で住んでるから結構大きいけど」
ファナが目を輝かせる。
「いいなぁ、魔導ハウス……!」
「メリルなら空間拡張の知識もあるし、できるかもしれないけど、費用はそれなりにかかるよ」
「じゃあ、二人で稼ごっか!」
ファナが笑顔で言うと、メルが軽く肩をすくめながらも、優しく微笑んだ。
夜。ランプの灯りが揺れる寝室。
「ねぇ、メル」
ファナはメルの胸元に顔を寄せたまま、小さく囁いた。
「私たちの家、ちゃんと見つけようね」
「ああ」
メルは彼女の髪を撫で、静かに頷く。
「ふたりで帰る場所を、作ろう」
ファナは嬉しそうに目を細め、猫のように小さく身を寄せた。
夜の帳が、静かにふたりを包み込んでいった。




