第五十一章『祝福の席と、余計なひと言』
――その朝、世界はまるで祝福そのものだった。
やわらかな朝日がレースのカーテン越しに差し込み、金の粒子のような光が室内を漂っていた。
街の宿、最上階に用意された特別室。
その広々としたベッドの上で、ファナは身じろぎもせず、心地よいまどろみに包まれていた。
「……ん、ふぁ……」
目を開けると、視線の先には窓辺に立つメルの姿があった。
白いシャツに、昨夜の礼装の上着を肩へかけたまま、カーテンを少し開けて朝の空気を感じている。
彼の髪が朝の光に透け、金の糸のように輝いていた。
そんな彼がこちらを振り返り、微笑む。
「おはよう、ファナ」
その一言で、ファナの頬はふわっと赤く染まった。
「……おはよう、メル。だいすき……」
気恥ずかしいほど甘えた声が自分の口から出たのを、ファナ自身が一番驚いていた。
メルはベッドに近づいてきて、ふわりと彼女を抱きしめる。胸の中で、鼓動が重なる。
「昨日の続き……するか?」
耳元で囁かれて、ファナの耳がぴくんと動いた。
「や、やめてよ……」
小さな抗議は、拒絶ではなかった。
ファナは恥ずかしそうに目をそらしながら、自分からそっと抱きつく。
しばしの沈黙のなかで、ベッドが軋む音だけが静かに響いた。
ひとときの甘さが、ことばのいらない絆の証になる。
それから少しして、ファナはベッドを抜け出す。
「……ん、ちょっと腰、いたいかも……」
そっと呟いて、身体を伸ばしながら支度を始める。
レリアがノックと共に入ってきて、手際よくファナの髪を整え、ドレスのリボンを結びながら、ふっと微笑んだ。
「昨日の夜は……声をもう少し抑えなさいね」
「……えっ、よ、夜……!?」
ファナは耳をぴくっとさせたまま固まり、次いで顔を真っ赤にして崩れ落ちる。
数分後、支度を終えてリビングへ出たメルに、カイルがぼそりと呟くように言った。
「朝から仲がいいのはいいが……無理はさせるなよ」
「……気をつけます」
メルは少しだけ頬を赤く染めながら、真面目に返した。
***
──回想。
結婚式の直後、教会の外。
祝福の拍手と花吹雪の余韻が残る中、ファナは仲間たちに囲まれながら、恥ずかしそうに笑っていた。
けれど、ふとした動きで、リクトが口を開く。
「いやー、それにしてもすごかったな。式の途中で新郎を押し倒す花嫁、初めて見たぞ」
その一言に、空気が一瞬で凍りつく。
「……っっっ!」
ファナは真っ赤になってメルの背後に隠れ、耳をぴくぴく震わせながら、うずくまった。
「……むり……しぬ……」
メルが無言でリクトを睨み、セナが深いため息をつく。
「お前は、少しは黙ってろ」
「え? 俺、なんか言ったか?」
***
そして披露宴は、昨日の騒ぎで延期され、翌日の今日、改めて行われることになった。
豪華な花が飾られたホールには、柔らかな音楽と温かな笑い声が満ちていた。
ファナは新たな披露宴用のドレスを着て、入り口に立つ。
緊張の面持ちで一歩踏み出そうとした瞬間、裾が思ったより重くてよろけかける。
「わっ……」
すかさず隣にいたレリアがそっと支えた。
「裾を少し持ち上げて、歩幅を小さくして。大丈夫よ」
ファナはこくこくと頷きながら、頑張って歩き出す。恥ずかしさの中に、少しだけ誇らしさも混じっていた。
会場からは、拍手と笑顔。
ファナの頬がほんのり染まるなか、メルがそっと手を差し出し、彼女を導いた。
披露宴中盤、メリルが正装で姿を現した。
「お兄様、ファナお姉様。ご結婚、おめでとうございます」
その丁寧な言葉に、ファナは目を瞬かせて、照れくさそうに赤くなる。
「……お、お姉さま……?」
耳がぴくぴくと動いていた。
メリルは静かに微笑み、メルはどこか誇らしげに二人を見守っていた。
披露宴が終わり、帰り支度の時間。
リクトがまたも無邪気にファナへ声をかけた。
「今日のドレスはちゃんと歩けてたな。昨日は完全にメルを押し倒してたけど」
「……っ!」
ファナは耳をぴくぴくさせ、すぐにメルの後ろへ隠れる。
「……むり……しぬ……」
セナが静かに言う。
「昨日、披露宴が延期になった原因、わかってないのか」
「えっと……ほら、幸せそうだったし……ある意味、見事な押し倒しだったし……?」
「お前は少しは黙ってろ」
「え? 俺、また何か言ったか?」
***
夜、宿の部屋。
披露宴の疲れを少しだけ残したまま、ファナはベッドに身を沈める。メルが隣に腰を下ろすと、彼女はそっと腕にしがみついた。
「……今日はちゃんと、声、抑えるからね……?」
その一言に、メルは一瞬固まってから、困ったように笑った。
「……お前な……」
でもその表情は、優しさに満ちていた。
ファナは頬をすり寄せながら、彼の胸に収まるようにくっつく。
ふたりの一日は、静かに、穏やかに、終わっていった。




