第七章『お姉さんみたいな人』
ギルドの朝は、いつもより少しだけゆっくり流れていた。
ここ最近ずっと続いた訓練と模擬戦の緊張が、やっとほどけたようだった。
木のテーブルを囲んで座るファナたち。
仲間たちもそれぞれの椅子に深く腰を下ろして、思い思いに息を吐いていた。
リクトが大きく伸びをしながら呻くように言った。
「ようやく休みか……ったく、肩がバキバキだ。」
セナは地図を畳みつつ、薄く微笑む。
「今日は依頼も訓練もなしだね。」
ラゼルは腕を組んで目を細めた。
「……気を抜きすぎるな。」
でもその声は、いつもより柔らかかった。
ファナは小さく笑った。
いつもより少しだけ心が軽い。
その空気の中で、メルが何気なく口を開いた。
「せっかくだし、街を少し歩かないか?」
「新しい防具屋も見たいし。」
ファナは驚いたように目を瞬かせた。
でも、すぐに少し照れたように俯いて。
「……うん、行く。」
メルはそれを見て、目を細めて満足そうに笑った。
街は昼を過ぎても人通りが絶えず、賑やかだった。
色とりどりの布がはためく露店。
香辛料の香り、焼き菓子の甘い匂い。
子供たちの声。
ファナは少し緊張した面持ちで、でも視線を右へ左へ忙しなく動かした。
耳がぴくぴく動き、尻尾が微かに揺れる。
メルはそんな様子を横目に見て、クスッと笑った。
「お姫様とデートだね。」
ファナは思わず顔を真っ赤にして振り向いた。
「や、やめてよ……!」
でも、頬が熱くなりすぎて、口元が緩むのを止められなかった。
小さな笑みが零れる。
メルはそれを見て、声を落として。
「……いい顔だ。」
ファナはもう一度顔を赤くして、そっぽを向いた。
でも、尻尾はふわりと揺れていた。
少し外れた路地に入ると、こぢんまりした屋台があった。
香ばしい匂いに惹かれて近づくと、串を頬張っている一人の姿があった。
深い青の長い髪。
青みがかった猫耳。
エメラルドの瞳が二人を見つけて細められる。
フィオナが口を動かしながらニヤリと笑った。
「おー、子猫ちゃんじゃん。」
「デート中か?」
ファナは目を見開いて手を振る。
「ち、ちが……!」
メルは腕を組んで肩を揺らした。
「似たようなものかな。」
「メル!!」
ファナは尻尾を逆立てそうな勢いで振り返った。
フィオナはクスクスと笑って串を置いた。
「まあ、いいけどさ。」
「最近ちょっと張り詰めすぎだったろ。」
その声色はどこか柔らかかった。
フィオナは屋台のおじさんに顔を向けた。
「おい、二本追加で。」
「へい、二本ね!」
軽快な声が返る。
串が焼かれていく香りが広がった。
フィオナはそれを受け取ると、まずファナに手渡した。
「ほら、子猫ちゃんはこれ。」
ファナは一瞬ためらって、でも受け取った。
「ありがとう……」
フィオナはメルにも無造作に一本押し付けた。
「お前も、見張り役だろ。」
メルが軽く肩を竦める。
「母親みたいですね。」
フィオナが小さく睨みつつも、口元が緩んだ。
「母親じゃなくて、姉貴ポジな。」
ファナは串を持ったまま、小さく笑った。
「……うん。」
フィオナはじっとファナを見た。
その視線にファナが身を固くする。
「……おい、髪跳ねてんぞ。」
「動くな。」
フィオナが前に立って、指先でファナの髪をそっと撫でる。
絡まった部分を軽くほぐしながら。
「ほら、ここ。」
「ちゃんとしろっての。」
ファナは顔を真っ赤にして俯いた。
「や、やめて……恥ずかしい……」
フィオナは構わず続けた。
「それだけじゃねーぞ。」
尻尾をひょいっと持ち上げる。
「尻尾もボサボサじゃん。」
「ちょっと……やめてよ……!」
フィオナは手を止めない。
「動くな。」
「猫人族は尻尾の毛並みで気持ちもバレるんだ。」
「綺麗にしとけ。」
ファナはもう、顔を覆いたくなるほど真っ赤になった。
「……もう……」
フィオナは最後に軽く尻尾を整えてから、口角を上げた。
「そうそう、その顔のが可愛い。」
「街歩きくらい楽しんでけ。」
フィオナは串をもう一口かじりながら、ちらっとメルを見た。
「それとさ。」
メルが目を細める。
「ん?」
フィオナは視線を外さずに、無駄に真剣な顔で告げる。
「街歩き用に尻尾飾りでも買ってやんな。」
メルは一瞬きょとんとする。
ファナは思わずビクリと肩を揺らした。
「同族から言わせてもらうけど、可愛げってのも大事。」
「や、やめてってば……!」
ファナが声を上ずらせて慌てて否定する。
尻尾が反射的にピンと立ち、動きがバレバレだった。
フィオナは勝ち誇ったように口元を歪めた。
「この通り抜けて左の路地裏の細工屋。」
「獣人向けの飾りならあそこが品揃えいい。」
「丈夫だし、可愛いのもある。」
メルは腕を組み、納得したように頷く。
「なるほど、貴重な情報だね。」
フィオナはそっぽを向き、少しだけ耳を伏せながら吐き捨てるように。
「別にお前のためじゃない。子猫のためだ。」
ファナは真っ赤な顔で、でも視線をそらせなかった。
「……もう……。」
フィオナは串を食べ終えると、手を払って立ち上がった。
屋台のおじさんに軽く手を上げて会計を済ませ、ふと振り返る。
「じゃ、楽しんでけよ。」
「またギルドでな。」
一歩歩み出してから、指先でファナを指す。
「次会った時、髪も尻尾も整えてなかったらシバくから。」
ファナは思わず目を見開き、耳がピクッと動いた。
「……うん。」
フィオナは次にメルを鋭く睨む。
「お前も、尻尾の飾り買うの忘れんなよ。」
メルは軽く肩をすくめて、苦笑するように返した。
「了解。」
フィオナはそれ以上何も言わず、尻尾を揺らして去っていった。
残った風に青い髪が舞った。
フィオナが完全に見えなくなると、路地裏の空気が静かになった。
ファナは持っていた串を見つめて、小さく笑った。
「……なんか、すごいお姉さんみたいな人だった。」
メルはファナの横顔をじっと見たあと、ゆっくり笑った。
「うん、いい先輩だ。」
「……でも、尻尾の飾り、探しておくか。」
ファナは目を見開いて、すぐに視線を逸らした。
耳が伏せ、尻尾が微妙に揺れる。
「……うん。別に、いいけど……。」
メルの笑みが深くなる。
「そういうとこ、可愛いな。」
「もう……やめてよ……。」
ファナは口を尖らせて背中を向ける。
でもその耳は真っ赤だった。
路地を抜け、夕暮れの街へ出る。
二人の影が長く伸びる。
並んで歩く足音が、同じテンポを刻んでいた。




