第五十章:止められない気持ち(夜の告白)
夜の宿屋の一室は、灯りを絞って静まり返っていた。
カーテン越しの月明かりが床を淡く照らし、ほのかな光だけが室内を柔らかく染めていた。
メルはベッドの縁に腰を下ろし、深く息を吐く。
(……可愛い。たまらない。)
(でも、泣かせたくない。)
額に落ちる金髪をかきあげ、低く呟く。
「……笑ってほしい。俺を見て、笑ってほしいんだ。」
場面は変わる。
ファナはレリアの部屋にいた。
ベッドの上で小さく膝を抱え、猫耳を伏せて俯く。
銀灰色の髪に赤いリボンが絡むたび、心細そうに揺れた。
レリアはベッド脇の椅子に座り、そっと肩に触れる。
その優しい手のぬくもりに、ファナは小さく身を震わせた。
「……おかーさん、また話、聞いてくれる?」
レリアは少し目を丸くしたあと、ゆっくりと微笑む。
「もちろん。」
ファナの肩がかすかに上下し、涙が滲む。
唇を噛みながら、震えた声を絞り出した。
「……今日、メルさんに近づかれて……声も、すごく近くて……。」
「ドキドキして……頭が真っ白になって……嬉しくて、怖くて、止められなくて……!」
「私、あんな風に見つめられて、もう……心臓が苦しくなるくらい……。」
「リクトとセナが話しかけてきたのに……メルさんから目を逸らせなくて……。」
「ごめん、私……こんな気持ち、どうしたらいいか分からないの……!」
(怖かったのに、嬉しくて……どうしようもなくなった。)
ファナの涙は止まらなかった。
声がしゃくりあげ、嗚咽が混じる。
そんな彼女を、レリアは黙って見つめていた。
やがて、そっと手を伸ばし、ファナの頭を優しく撫でる。
レリアは小さく息を吐き、穏やかに問いかけた。
「……ねえ、リクトくんやセナくんの顔が浮かんで、泣きそうになったのはどうしてだと思う?」
ファナはしゃくりあげ、頬を濡らしたまま視線を揺らす。
「……だって、あの二人も大事で……裏切るみたいで……。」
レリアは優しい目を細め、ゆっくりと頷いた。
「そうね……選ばれなかったら、きっと心が痛むもの。でも、それでもファナのことを大切に思ってくれる人たちよ。」
「だから……選んだ人と同じように、選ばれなかった人の優しさも、大切にできるといいわね。」
ファナは涙をぬぐい、震えながらも泣き笑いした。
「……うん、ありがとう。」
部屋に少し静寂が落ちた。
その沈黙を破るように、壁にもたれていたカイルが低い声を落とす。
「……泣くなら、ここで泣け。俺たちが聞いてやる。」
ファナはハッと顔を上げた。
カイルはじっと見返し、無言で息を吐く。
目線を逸らしながらも、ゆっくりと歩み寄り、無骨な手でファナの頭をくしゃっと撫でた。
ファナの目が大きく開き、驚いたように息を呑む。
でもすぐに力が抜けたように、小さく頷いた。
(止められない気持ち。それでも……泣いていいって、言ってくれる。)
(迷ってもいいって、言ってくれる。)
(……だから、考える。ちゃんと。)
レリアはそっとファナの背を撫で続けた。
カイルは少し離れた壁にもたれて、目を伏せたまま深く息を吐く。
ファナは瞳を潤ませたまま、静かに深呼吸をした。
窓の外では、冷たい月の光が降り注いでいた。
それは揺れ動く気持ちを照らすように、夜の闇を優しく割っていた。




