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14、重なる笑み

「……ん……」


 右足と脇腹に暖かな流れを感じる。

 癒しの魔力の波動……。

 姉のものより幾分荒い感じはするが、これは間違いなく《ヒール》だ。

 うとうとと微睡みつつも、カナンはゆっくりと意識が戻っていくのを感じていた。


 うっすらと開いた瞼の間から、自分に手を翳す人影とゆらゆらと揺れる仄かな白い光が見える。


(誰かが私に《ヒール》をかけてる……)


 姉ではない誰か。

 まだよく見えないが、その向こうにもう一人いるのも解った。


「あたしにできるのはここまでだよ」


 不意に光が消え、手を翳していた人影がガタリと椅子から立ち上がる。

 早々に出て行こうとしながら、その人物はもう一人に向けて手のひらをずい、と差し出した。

 寄越すものを寄越しな。

 そう言いたげな様子に少しの苛立ちも嫌悪も滲ませず、もう一人の人影ーー青年は懐から何かを取り出し、それをその老婆へ握らせた。


「はい。助かりました。ーーこれでいいですか?」

「! 十分だよ。……あんた本当にワケありみたいだねぇ。こんなものポンと寄越すなんてさ。巻き込まれたくないからね。もう呼ぶんじゃないよ」

「はい。そちらも口外しないでくだされば助かります」

「おお、怖い怖い」


 ヒッヒ、と笑いながら薄汚れたフードを被った老婆が出て行く。

 ぱたんと扉を閉め、青年が鍵を掛けた音を聞きながら、カナンはゆっくりと体を起こした。


「……いた…」

「大丈夫ですか? まだ無理はしないほうが……」


 そう言いながら青年が年期の入った衝立から姿を見せた。

 髪の色は焦げ茶色、瞳の色も同じ色。

 魔族の色はどこにもない。

 服もどこで手に入れたのかは知らないが、彼が着ているのはこの部屋同様煤けた感じのーー言ってしまえば薄汚れた感じの物に変わっていた。

 見れば自分が着ているのも簡素な室内着のような物だ。


「………」


 着替えさせてくれたのは先程の老婆だと信じよう。重要なのはそこじゃないと自分に言い聞かせる。


 青年が歩いただけで床がミシリと音を立てた。寝るためだけの簡易宿のようだが、湿っぽく埃っぽい、あまり手入れのされていない場所のようだ。


 先程まで老婆が座っていた小さな椅子を少し後ろに下げ、青年が腰を下ろす。

 狭いベッドで身を起こしたカナンから、距離を取った形だ。


 無駄な音を立てず、わざとらしくもなく、配慮した距離。

 ここに至るまでの彼の動作は上流階級とは特段縁のないカナンでも解るくらい、自然で品のあるものだった。

 それだけに彼が着ている物と居る場所が、あまりにも似合わず不釣り合いに目に映った。


「……ここ、は?」

「シンフレリア魔道王国です」

「シン…っ魔道王国っ?!」


 あまりにも思いがけなかった場所の名前にカナンが肩を跳ねさせる。同時に全身に痛みが走った。

 驚いた反動で呻くことになるのは記憶に新しいが、呼吸すらままならなくなった前とは違い今の方が圧倒的に楽だった。

 ただーー。


(嘘でしょ?! 嘘でしょ?! そんなとこまで流されたの?! 違う! 移動した……のよね? あの地下水洞から。それで今、ここは魔道王国でーー!)


 頭の中は前以上に混乱する羽目になった。


「大丈夫ですか……?」


 驚愕と混乱で二の句が継げなくなっているカナンに、青年が静かに問いかける。

 様子を窺うその声にハッとし、カナンは青年へ顔を向けた。

 ズキン、と脇腹が痛む。


「いっ……! あ…だっ…大丈夫! ちょっと、い、色々ありすぎて……こう……その、混乱しちゃって……」


 薄いブランケットを胸に押し付けるようにして痛みを逃しながら、カナンが少し身を乗り出した青年を制するように小さく手を翳す。

 すると青年は眉を少し寄せて、弱く微笑んだ。


「そう…ですね……。私もです。私もまだ色々と、こう……ね」


 長い焦げ茶色の髪を一房手に取り、青年が目を細める。

 灯された蝋燭の明かりで、長い睫毛の影がその形の良い頬の上でふるりと揺れた。

 

 口元に、弱い……弱い微笑が浮かぶ。


(あ……)


 自嘲のようにも見えたそれに、カナンの胸がツキンと痛んだ。

 泣き出したいのを堪えているような、無理に浮かべたようなーーそんな表情に見えたから。


「…………」


 カナンが胸に寄せていたブランケットをぐっと握る。

 青年が浮かべた笑みが、身近な人が時折浮かべた悲しい笑顔と重なる。

 胸がーー心が痛かった。


ーー受け入れられない気持ちも解っちゃうから……。


 そう言いながら太い縄のような筋肉をさすり、弱い笑顔を浮かべて部屋に飾った一輪の花を見ていた兄貴分の青年。 

 もしかしたら花ではなく窓の外を見ていたのか……あるいは窓に映る自分を見ていたのか……。


 とても優しい人なのに。

 男の人だって可愛いものが好きだっていいはずなのに。

 お店では可愛いお菓子やケーキを作る男の人は『普通』なのに。

 なんで家で作っていたら変だって言うの?! と子供心に憤慨した覚えがある。


 自分も泣いてしまいそうになったあの時の、痛みを無理矢理押し潰そうとしたアッシュの笑み……。

 それと今この青年が浮かべた笑みが同じに見えた。


(やっぱり見間違えじゃなかった)


 あの時ーー。

 クーリに「騙してたのか!」と言われ、石を投げられた時に見えたもの。

 無表情のように固まった顔の中、一瞬だけ瞳が揺らいだ気がしたのだ。

 涙で。

 だから自分は直後の魔法発動に思わず、待って、と叫んだ。

 もっともそれは着弾で掻き消されてしまったけれど……。


 青年が焦げ茶の長い髪を耳にかけ直す。

 どんな思いで、その色を変えた髪を見詰めたのだろう。


「………」


 理由や目的は解らないが、彼はアマノで薬師として3年住んでいたと聞いた。

 積極的に人と関わることはしなかったとはいえ、拒むこともなくクーリや他の町の人と控えめながら交流を続けていた。


(それって……)


 勝手な思い込みかもしれないけれど。

 彼は人間と触れ合ってみたかったからではないだろうか。

 結果として騙す形になってしまったが、本当は『騙す』のではなく魔族であることを『隠したかった』のではないだろうか。


 違う存在だと思われたくない。

 違うものだと弾かれたくない。


 そんな気持ちが根底にある気がして、カナンは静かに目を閉じた。


(……そう…だよね。魔族だって……誰だって拒絶されれば傷付くよね)


 今まで、魔族は恐怖の対象として語られてきた。

 自分もそう教えられたし、各地に残る史実もそうだ。

 虐げ、蹂躙した話はあれど、人間と交流を持った話など聞いたことはない。 


(でもこの人は私のことを助けてくれた……)


 川から助けただけでなく、ヒールを使える人を呼び、着替えや身を寄せる宿を用意し、保護してくれている。

 ここまでされて『魔族だから』と一括りにはできなかった。


 甘い考えだろうか。


 でもーー。

 男だから。

 女だから。

 目付きが悪いから。

 病弱だから。

 使えないから。

 仕方ないから。

 その他にも『~だから』と分けられ、切り捨てられる。

 その残酷さを自分は知っている。

 だからこそ自分自身の目で見て感じたことを信じる大切さも知っている。


 カナンの脳裏に『大家族』の皆の姿が浮かぶ。他にも友人や知人、お世話になった人の顔が次々浮かんでくる。

 自分が大切に思う人達や場所。

 それを奪い壊すような相手まで受け入れるなんてことはできない。


(でも、そうじゃないなら……)


 傷付いているであろうこの青年を『魔族だから』と拒絶する気持ちにはなれなかった。


(話って……できるかな)


 もちろん自分の言動次第でどうなるか解らないのは怖い。

 ただ、それでも、知らなければ何も動けない。


 そうだ、と思う。

 自分はこの魔族の青年のことを知りたいのだ。


 カナンが篝火のような色の瞳を静かに青年へ向ける。

 どう切り出すべきか……二、三度躊躇いを重ねた後、カナンは言うべき言葉を決め、まだ伏し目がちなままでいる青年に向けて口を開いた。


「ルドさん」

「えっ?」


 呼び掛けられ、青年が目を瞬く。

 予期せぬことが起きたような、そんな表情だった。

 

「私はカナンと言います。助けてくれてありがとう」


 そう言ってカナンは静かに小さく頭を下げた。本当はもっとちゃんと下げたかったのだが、体に走る痛みのせいで実際は頷いた程度しか動かせなかった。

 顔を上げ再度青年に視線を合わせる。

 今は焦げ茶の瞳。けれど本当はアメジストよりも深い紫の瞳。

 カナンから真っ直ぐに見詰められ、青年は驚いたままの表情で瞳を瞬きーー。


「あ……」


 彼は小さく唇を震わせた後、ぐっと噛み締めるように引き結んだのだった。


「わ……私は魔族ですよ?」

「はい」

「……そうと解っていてーー」


 礼を?

 名乗りを?

 会話を?


 そのどれもが青年の顔に浮かぶ。


(なんか意外と表情……豊か?) 


 伝え聞いていた冷たく恐ろしい存在と結び付かない反応を返され、カナンの口許が思わず緩んだ。

 そのカナンを見て、青年がハッと目を見張る。じわじわと込み上げる何かを押さえようとするように、青年は唇を震わせた。


「わ……私は魔族です」

「はい」

「……そうと知っても、私と話を……?」


 カナンの言葉をすんなりと信じることができず、青年が様子を窺うように問いかける。

 恐る恐るといったその姿から感じるのはむしろ庇護欲だった。


「はい。だってあなたは私を助けてくれた恩人です。もちろん怖い気持ちはありますけど、何て言うか……こう、伝え聞いていた魔族とあなたが全然違うからーー」


 話をしてみたいと思ったんです。


 カナンが青年の目を見てそう告げる。

 真っ直ぐに向けられた言葉と視線に射貫かれたように青年は目を見張った。


「そう… ですか……。魔族だと解った上であなたは私とーー」


 青年の顔に浮かんだのは紛れもない歓喜だった。

 だが、じわりとその歓喜の色が瞳の中から抜けてゆく。

 代わりに滲み出てきたのは焦りのようなものだった。


「あ、あの! 私は人間に害をなそうと思ったことはなくて、ですね!」

「はい」

「人間と交流を持ちたいと、ずっと思っていまして……!」

「はい」

「あ、その! ただ…両親も周囲の皆も、そんなことを言う私はおかしいと……恥ずかしい存在だと……そう言われてしまいまして……」

「……」


 微かに震えた声で告げられた内容に、カナンが痛ましいものを見たように眉を寄せる。


 魔族として、異端。

 恥ずかしい考え方。

 在り方の否定。

 そんな冷たいものを彼はずっと浴びてきたのだろう。

 なぜ彼が、それでも人間と触れ合ってみたいと思う気持ちを持ち続けてきたのかは解らないけれど、今の彼の言葉は嘘ではないと素直に信じられた。


「……ルドさん」

「…っ! あ、す、すみません! 一人で勝手にペラペラと……! 浮かれすぎですね、すみません」

「気にしなくて大丈夫ですよ」

「そ、そうですか。良かった……。あ、それよりも私もちゃんと名乗りたいので、結界を張りますね」

「え?」


 名乗るための結界? と小首を傾げたカナンの傍らで、青年が軽く人差し指を振る。

 呪文を唱えた様子もなく、部屋の内側に薄い闇色のベールが張り付き、静かに吸収されるように溶け込んだ。


「すみません。魔族の名前にはある程度力が宿るんです。居場所とか知られたくないので……」

「そ…そうなんですか……」


 名前に魔力が宿る。居場所を知られたくない。無詠唱でいとも簡単に魔法を発動させる。

 どれも気になったがどれも突っ込むことができず、カナンはぎこちなく笑みを浮かべた。


「では、改めまして」


 そう言って、青年は静かに立ち上がった。

 胸に手を当て、カナンへ焦げ茶色の瞳を向け、唇に優しい弧を描く。


「私はカイリアルド・ウェニア・サーフィスと申します」


 優雅な仕草で礼を取り、魔族の青年はそう名乗ったのだった。

ようやく名刺交換ができたね(違う)

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