第五話
翌日の朝。
今日もボッチ生活が、俺を待っている。憂鬱な気分で自分の席に着いた直後、目の前へ一枚の紙が突き出された。
「相田君。これ」
「近い近い。何?」
「見れば分かるでしょう」
見れば雪白さんが立っていた。差し出していたのは、昨日渡した入部届だ。
部活動名は山府研究部。氏名は雪白六花。保護者の署名欄まで、きっちり埋まっている。
「本当に書いてきたのか」
「昨日、入ると言ったでしょう」
「一晩寝て、正気に戻ったかと思ってた」
「あなた達と一緒にしないで」
俺達は全員、正気ではないらしい。失礼だぞーぷんぷん。
俺が入部届を受け取ると、雪白さんは満足そうに頷いた。
「これで五人ね」
「ああ。ちょうど五人……」
「では、今日から談話室には来ないで」
……やはり目的はそれだった。ここは正直に話すべきだろうか。今ならまだ傷は浅い。
「あの、雪白さん」
「何?」
「実は昨日、言ってなかったことがあります……」
雪白さんの目が細くなる。
ひいっ怖いっ。まだ何も言っていないのに、既に怒られる空気だ。
「五人集まれば、部は作れます」
「……」
「でも、部室がもらえるとは限らない……的な……」
「…………」
「活動内容次第で、空いている教室の利用申請ができるだけらしい……よ?」
「……………………」
無言やめて! 本当に怖いから!
「……昨日、それを知っていた?」
雪白さんは、ゆっくり問い詰めて来た。
「知っていました」
「……黙っていたの?」
「黙っていました」
「最低」
何も言い返せない。ごめんなさい。だって怖いんだもん。
雪白さんは俺の手元をじっと見た。入部届を返せと言われる前に、差し出した方がいいだろうか。
「あの、これ、返しましょうか……」
「結構よ」
「えっ」
てっきり奪い返されるのかと思ったが、意外な回答だった。
「あなた達だけに任せたら、いつまで経っても部室を取れそうにないもの」
雪白さんは断言した。ごもっともです。
「活動内容を決めて、申請を通して、談話室から出て行ってもらう。そこまで手伝うわ」
追い出すために入部した上に、追い出すために部を成立させるつもりらしい。目的が一切ぶれていない。
「それで、今日の放課後は何をするの?」
「ああ、昨日の書類について、皆で先生へ相談するつもり」
「私も行くわ」
「えっ」
「何よ」
「いえ、何でも……」
雪白さん、どうやら本気で談話室を奪還したいらしい。
自分の席へ戻る彼女に向かって、俺は静かに手を合わせた。本当に、ごめんなさい。
放課後、俺達は五人揃って職員室を訪れた。
伊藤先生は自分の机で、忙しそうに書類仕事をしている。
「アキちゃん先生! 五人目の部員が決まりましたわ!」
大竹さんが空気を読まずに話しかける。おい、もう少しタイミングを見ろ。
「一人増えた報告に、五人全員で来るな! 狭い!」
伊藤先生は大竹さんから入部届を受け取り、名前を確認した。
「雪白が入ったのか」
「はい」
「無理矢理書かされてないよな?」
「昨日、自分で書きました」
「目的は?」
「この人達を生徒談話室から追い出すためです」
おいおい、何を言い出すんだい? 生徒談話室は、皆の部屋だろう?
呑気に構えていると、伊藤先生の視線が、ゆっくり俺へ向いた。
「相田兄。五人集まっても部室がもらえるとは限らないことは説明したか?」
「今朝しました」
「昨日は?」
「黙ってました」
「最低だな」
先生からも同じ評価を頂いた。ごっつあんです。
伊藤先生は、設立申請書と年間活動計画書を手に取り、じっくり内容を確認する。
「これはひどいな」
申請前から、顧問候補に酷評された。
「何がいけませんの?」
「ほとんど何も書いてない」
「四月には『創部準備』と書いてありますわ!」
「五月から三月まで真っ白じゃないか。これじゃ、何をする部活かまるで分からん」
「余白には候補もございます!」
「年間計画を余白で済ませるな」
伊藤先生は設立申請書を机へ置いた。
「それに、活動目的も分からん。『山府で様々なことを体験する』。その様々なこととは何だ」
「市内の名所を巡りますわ!」
「それは余白に書いた候補の一つだろ」
先生は眉間にしわを寄せて天を仰ぎ見る。ストレス、溜まりますよね。
「人と場所との間に生まれる情緒的な結び付きを得る。こっちも、何をするのか分からん」
「トポフィリアを得ることです」
「トポフィリアぁ?」
伊藤先生は紬を見る。
「……相田妹はイーフー・トゥアンを読んだのか?」
大竹さんが「シーフードリア?」とか言い出した。違う。それを言うならシーフードドリアだ。いやそれも違うけど。ちょっと黙ってて!
「読んでません」
紬が答えると、先生は目に見えてガックリしていた。
「じゃあ言葉はどこで知ったんだ?」
「タブレットで調べました」
「ああ、そういうこと。……まあ、お前達まだ高校一年生だもんな……」
伊藤先生は怒るでもなく、少し寂しそうに頷いた。
それから、なぜか俺達五人を見回す。
「山府でトポフィリアを得たい者」
紬が勢いよく手を挙げた。……ちょっと落ち着きなさい。
俺を含めた他の四人は動かなかった。
「大竹は?」
「わたくしはトポフィリアが何かまだよく分かっておりません!」
大竹さんはやけに堂々としている。先生は「まあそうだろうな」と切り捨てた。
「室井」
「自分は、山府に強い愛着があります。なので、特に新しく何かを得たいとは思いません」
「雪白」
「特に不足していません」
三人とも山府生まれ、山府育ちだった。
伊藤先生が俺を見る。
「相田兄」
「俺は東京へ帰りたいと思っているので、東京に対するやつならあるみたいです」
改めて並べてみると、山府で新たにトポフィリアを得たいのは紬しかいない。
「五人中一人じゃないか」
伊藤先生の指摘が、職員室に虚しく響いた。
「はい」
紬は手を挙げたまま答えた。
「もう下ろしていいぞ」
「はい……」
紬の手が下がる。
山府研究部は、設立前から活動目的を共有できていなかった。
「トポフィリアを得たいのは、相田妹の目的だ。それをそのまま、五人の活動目的にはできん」
「じゃあ消しますか?」
「……いや、とりあえず残しておけ。トポフィリア自体が悪いわけではない」
先生は設立申請書を机へ戻した。
「ただ、このままじゃ何をする部なのか分からん。五人でやることを決めてから書き直せ」
「それが分かりません」
「胸を張って言うな」
「でも、山府で何かをしてみたいです」
「その『何か』を今まで聞いていたんだ」
「市内の名所を巡りましょう!」
「自分の道場へお越しいただくことも可能です」
大竹さんと室井君が、余白に書かれた候補をもう一度挙げる。
「私は、談話室の外へ出てくれるなら何でもいいわ」
雪白さんまで加わった。
この五人の様子を見ていた伊藤先生は、椅子の背もたれに体を預け、下を向いて考え込んでしまった。……どうしたもんでしょうね。本当に。
短い沈黙が流れた後、先生は顔を上げた。
「よし分かった。だったら、一回やってみろ」
俺達は揃って伊藤先生を見る。
「「「「「何をでしょう?」」」」」
「余白に二つ書いてあるだろ」
伊藤先生は、年間活動計画書を俺達の方へ向けた。
『市内の名所を巡る』
『室井家の道場を訪問する』
昨日、雪白さんが書き残してくれた二つの候補だ。
「どちらか一つ、実際にやってみろ」
「自分の道場でしたら、ご案内できます」
室井君が生き生きと答える。
「外部の人間を入れるのに、家の許可はいらないのか?」
「必要です。父へ相談した後、日程を調整します」
「じゃあ、初回は止めておけ。室井の道場は逃げない」
「承知しました」
ひとまず、初めての活動は、市内の名所巡りをすることになった。
「ええっと、私の予定は……」
伊藤先生は机の上にあった手帳を開き、来週の欄を確認した。
「来週の土曜日なら、午前中は空いてるな。市内を半日、学校を出発して昼までに戻る。五人全員に何かしら役割を持たせろ」
「アキちゃん先生も、ご一緒してくださいますの?」
「私がいなければ許可が出ない。お前達はまだ、部活動ですらないんだぞ」
そうだった。五人集まったことで、すっかり部活動になった気でいた。
現状は、名前だけ決まったただの五人組である。しかも目的は無いに等しい。
「行き先と経路、集合時刻、帰着時刻、役割分担。雨が降った場合の対応も決めて、月曜に持ってこい」
「月曜ですの?」
「月曜だ」
「今日は金曜日ですわ!」
「知ってる」
「二日しかありません!」
「五人いるだろ。分けろ」
大竹さんは、助けを求めるように俺を見てくる。
こっち見んな。
「じゃあ、話は終わりだ。計画ができるまで来るな。行け!」
「また月曜日に参りますわ!」
「次は静かに来い」
最後まで大竹さんの音量を心配しながら、伊藤先生は俺達を追い払った。
職員室を出た俺達は、そのまま本館三階へ向かった。階段を上り、廊下の一番奥まで歩く。
生徒談話室の前まで来たところで、雪白さんが立ち止まった。
「どうしてここへ来るのかしら?」
「活動計画を話し合うためですわ!」
大竹さんが扉を開ける。
「私が入部したのに?」
「おかげで、五人揃って話し合えます!」
「……私が増えただけじゃない」
「六花さんも、早くお入りくださいませ!」
「本当に失敗したわ」
雪白さんは、入部から半日で後悔していた。そんな日もあるよ、人間だもの。
俺達は昨日と同じテーブルを囲んだ。雪白さんも本を開くことなく、俺達と同じ席へ座る。全員が揃ったところで、大竹さんが声を張り上げた。
「では、巡る場所を決めましょう!」
すかさず室井君が、伊藤先生から借りてきた市街地図を広げる。大竹さんの黒子のようだ。
「最初は、山御杜ですわね。それから五重塔、お城、御殿跡、武家屋敷、古い町並みを抜けて――」
地図の上を、大竹さんの指が縦横無尽に走る。
山府市内は名所だらけだった。さすが世界文化遺産。計画を立てる側からすれば、候補が多すぎて迷惑だった。
「華恋さん」
「なんですの?」
「昼までに戻れません」
紬が地図の端を指す。
大竹さんの指は、いつの間にか学校からずいぶん離れたところまで進んでいた。
「では、どこを減らしましょう?」
大竹さんが地図を見ながら悩み始める。
「行くなら一か所でいいでしょう」
雪白さんがポツリと言った。
「せっかく外へ出ますのに、一か所だけですか?」
「午前中には戻れるわ」
初回だし、無理に何か所も行く必要はないか。俺がそう言おうとしたとき、紬が地図を指差した。
「これは、何ですか?」
地図の中央に、五つの神社を結ぶ線が引かれていた。
線の横には、『山御杜 山府五社 お山参り』と書かれている。
「お山参りですわ!」
大竹さんが身を乗り出す。
「山府の中心街にある五つのお社を、順番に巡るのです。山府では昔から行われていますわ」
「山へ登るんですか?」
「登りません。名前にお山とありますが、全て市街地にある神社です」
室井君が地図の縮尺を確認する。
「この範囲でしたら、徒歩でも午前中に回れます」
「五か所あります」
紬は、五つの印を順番に指した。
「私達も五人です。一人一か所、調べられます」
雪白さんが顔をしかめた。
「私は嫌よ」
「では決まりですわ!」
大竹さんが、五つの神社をまとめて指で囲んだ。
「わたくしが、全てご案内いたします!」
「一人一か所でしょう。そもそもあなた、山御杜のこと詳しく知らないでしょう」
雪白さんが、大竹さんの指を地図から退ける。
「ですが、紬さんとお兄様は山府へ来たばかりですわ」
「だから調べるのよ」
「では、六花さんも一か所です」
紬がすかさず言った。
「……私までやるの?」
「五人全員が役割を持つという指示なので」
そういえば先生がそう言ってたな。
「私は、華恋に全部やらせるなと言っただけよ」
「六花さんも五人の中に入っています」
「……そんな顔で見られても、嫌なものは嫌よ」
どんな顔だ。紬はさっきからずっと無表情だ。
しょうがない。ここはスーパーゼネラリストお兄ちゃん部長の出番だな。
俺は堂々と、くじ引きで担当する場所を決める案を出した。
雪白さんに睨まれた。……怖い。
「公平に一人一社を担当して、事前に調べる。当日は担当者が当該地の案内を行うということで、どうだろうか」
「賛成です」
紬が即答する。
「お待ちください! わたくしには、ぜひ紬さんへご案内したいお社が――」
「くじ引きね」
雪白さんも即答した。
大竹さんの暴走を防ぐときだけ、この二人は話が早い。
「兄さん。くじの作成をお願いします」
「俺が作るの?」
「部長でしょう?」
「まだ候補だよ?」
「では、部長候補としてお願いします」
候補の二文字に、何の救いもなかった。
俺はノートの端を五枚に切り、それぞれに一から五までの数字を書く。折り畳んで、両手の中で混ぜた。
「できたよ」
「兄さんは最後に引いてください」
せっかく作ったのに、ぞんざいな扱いだ。これは抗議のデモが必要だな。
俺がシュプレヒコールを考えていると、雪白さんが俺の手からくじを取り上げ、五枚とも開き始めた。
「……何してるの?」
「一から五まで、ちゃんとあるか確認しているの」
「そこまで疑う?」
「私、昨日のこと、忘れてないから」
俺は何も言えなかった。ごめんなさい。あなたのおっしゃる通りです。
雪白さんは五枚を折り直し、紬へ渡した。
「混ぜ直して」
「はい」
「俺が作った意味は?」
「紙を切ったでしょう」
部長候補は早くも、部員からの信頼が揺らいでいる。
「では、一番から順に、本社、式社、内社、古社、末社ね」
雪白さんが、地図に書かれた五つの社へ番号を振っていく。
「もう決めてしまいますの?」
大竹さんが呑気に雪白さんの手元を見て呟く。
「先に決めておかないと、引いた後で交換を言い出す人がいるもの」
「いったい誰のことですの?」
誰も答えなかった。ただし、視線は一か所へ集まっている。
「わ、わたくしを疑っていますわね!」
日頃の行いである。………………あっ、俺もか。
紬がくじを混ぜ、テーブルの中央へ置いた。五人で順番に引いていく。
抽選の結果、一番の本社は紬、二番の式社は雪白さん、三番の内社は室井君、四番の古社は俺、五番の末社は大竹さんに決まった。
その後は雪白さんが仕切ってくれたので、まとめるのが早かった。
地図を見ながら順路と集合時刻、帰着時刻を決め、雨天時や緊急時の対応も詰める。担当する社は各自で調べ、案内は一人五分とする。
雪白さんは計画書を物凄い速さで清書し、代表(仮)の俺は、その横に自分の名前を書いた。
大役である。
心なしか皆、初めての野外活動を前に浮き足立っていた。




