第二部三十五話
朝から降っていた雨は、いつの間にか豪雨となっていた。空が厚い雲で覆われ、辺りは昼間だというのに暗かった。講堂の舞台袖から見る校庭は、地面が雨によって激しく弾けていた。
ステージ上の紬を見ると、会場に向かって深々と一礼をしていた。
「みなさんは、『トポフィリア』という言葉を知っていますか?」
紬はいきなり、訳の分からない問いかけから演説を始めた。
「『トポフィリア』とは、人間が特定の場所や環境に対して抱く、格別な愛着や情緒的な結びつき、つまり『場所への愛』を意味する概念のことです。私は入学当初、この学校でトポフィリアを探していました。この学校を好きになろうとしたのです。その思いが高じて、部活動まで作りました。」
紬は声を抑え気味に話していた。静かな会場に、紬のゆったりした声が鳴る。
「しかし、その思いはすぐに消えました。私が部活動の設立に動いていた頃です。この学校ではトポフィリアは得られない。そう判断しました。それから私たちの部活の目的は、学校の外でトポフィリアを得ることになりました。何故だか分かりますか?」
ここで小さく深呼吸した。何かを言うつもりだ。
「この学校の生徒は、どいつもこいつも受動的すぎるんですよ。誰も彼も、能動的に何かを成し遂げようとしない。これだけ人数のいる学校にもかかわらず、今年、新設に動いた部活動は私達だけでした。あとは皆、既存部に入って満足する。その既存部も、会津に勝つことを目的として満足する。武道部は全国大会で頑張っているようですが、それも所詮は国内大会。その上の国際大会なんて眼中にない。文化部もそうです。どの部も真面目に活動していますが、自ら道を切り開くことをしない。国際科学オリンピックに出場した部活はどれくらいありますか? 普通はこのくらいの学力のある学校なら、一つや二つ、出ていてもおかしくない。なのに国内予選すら出ていない。やっているのは会津に勝つという内輪ネタだけ。私からすれば、この学校は全く魅力がありません。私の言いたいことが分かりますか? この学校の生徒は、能力があるのに目標が内向きで、既存の枠を広げようとしていないと言っています。挙句の果てに言うことといえば、『六家が悪い』『六家がだらしない』『六家を適切な場所へ配置する』です。みなさんなんかより六家の六人の方が、毎日よっぽど能動的に活動しています。山府の未来を見据え、自分が果たすべき役割を見据え、そして自ら行動に移す。私はそんな六家の皆さんを尊敬しています。反対に、他の山府義塾の皆さんを見下しています」
紬の声は次第に大きくなっていく。そして大きくなるにつれ、断定口調が増えた。
「なぜ私がこんなことを言えるのか。それは私が外から来た人間だからです。会津との確執なんて知りません。六家の権力なんて知りません。知っているのは、この学校の生徒はずっと内向きに活動しているということだけです。皆さん、そろそろ外に出ましょうよ! 会津なんて倒して当たり前なんですよ。なぜならこの学校は日本一になるポテンシャルがあるのですから。会山戦で全種目勝利? そんなの朝飯前です。そんなちんけなものより、もっとでっかい目標を見ましょうよ! 私は東京のいろいろな名門校を知っている。その私が、皆さんなら本来できるはずだと言っている!」
紬は叫んでいた。紬が叫ぶたびに聴衆のボルテージが上がる。
「私はやりますよ! 皆さんを確実に日本一に導きます! みなさんはどうするんですか? やらないんですか? 山府を日本一にしたくないんですか? 何度も言いますが、私はやりますよ! これまで、様々なことを成し遂げて来たのです! この学校を日本一にすることも、必ず成し遂げます! 皆さんはどうするんですか? 動きますよね!? この学校、この山府、日本一にしますよね!? 日本一にしたかったら……この私に生徒会長をやらせなさい!!」
紬が叫ぶと同時に、聴衆が叫びながら一斉に立ち上がった。
「やってやらー!!」
「見とけやコラァー!! 目にもの見せてくれるわ!!」
「覚悟しとけ外部生!!」
「そこまで言うなら責任とれやー!!」
会場はどんどん喧騒に包まれていく。最後は山府コールが響いていた。校歌を歌っている生徒までいる。
紬が降壇しても鳴りやまない山府コール。先程の先輩より数段熱狂的だ。
紬は満足気な顔をしていた。
「これが革命の序章です」
「末恐ろしい子だ……」
俺は思わず、恐れ戦いた。
五十嵐先輩を見ると、会場の様子を見て呆然と立ち尽くしていた。馬場先輩はなぜかスクワットをしている。……テンションが抑えられないんだな……。
「これより投票へ移ります。会場の皆さんは、各クラスでの投票となります。選挙管理委員会の誘導に従って速やかに移動してください。投票後は各クラスで待機となります。混乱を避けるため、私語厳禁でのご移動をお願いします」
これで出来ることは全て終わった。後は静かに結果を待つだけだ。
「先輩方、お疲れ様でした。俺達はこれで失礼しますね」
「……」
五十嵐先輩はまだ放心している。
「相田すまん、今こんなだから、挨拶は勘弁してやってくれ」
馬場先輩が気を遣ってくれた。
「では失礼します」
講堂の舞台袖を出た。紬と二人で廊下を歩く。あの熱狂の後なので、群衆に見付からないよう、かなり遠回りをして教室へ帰ることにした。
「それにしても、いきなりトポフィリアを語りだした時はどこへ向かうんだとヒヤヒヤしたぞ」
「兄さんこそ、いきなり小説の話をするなんて、もっと他に私の魅力は無かったんですか?」
「魅力があり過ぎて、一般の人にも分かるようにしたらああなったんだ。なんなら今から紬の魅力を千個並べ始めてもいいけど……」
「今日中に終わらなそうなので遠慮します」
俺達は他愛もない話をしながら歩いた。
窓から見える中庭の向こうでは、教室へ移動する群衆が見える。
「兄さん……」
紬が袖を小さく引っ張ってきた。……どうしたんだい?
「演説のとき、私を守ってくれてありがとうございます。……あの罵詈雑言の数々、辛かったですよね……」
「なんだ、そんなことか。………………とっても怖かった」
「そうですよね。よしよし。兄さんは凄いです。よしよし」
紬が一生懸命背伸びをして、頭を撫でてくれる。……可愛いし優しいし愛おしいしもう俺の妹最強すぎて死にそうどうしようやばい。
「紬、ありがとう……。お兄ちゃんは今日、死んでも良い」
「はいはい。……そんなことより、これからどうするかですよ。もし生徒会長になったら、あの様子だと部活へは顔出し出来ないかもしれません」
「もしそうなったら、皆で役員やろうか」
俺は何気なく提案した。だって紬が凄く寂しそうなんだもん。
「役員の任命権は生徒会長にあるし、部活もそのままにしておけば、生徒会室と部室で居場所が二つになる」
「それは職権乱用が過ぎますね」
紬は小さく笑った。




