第二部二十八話
六月三日、水曜日
午前八時。この時間帯が、山府義塾の通学時間のピークだ。生徒達は必ず校門を通る。そこに、一人の小さな女の子が立って挨拶をしていた。
制服を着崩さずに身に着けた少女は、しきりに名前を叫んでいた。
「生徒会長に立候補した、高等部一年三組、相田紬です。よろしくお願いします」
いつも通りの登校風景に、いつもと違う行動が紛れると、大変目立つ。その少女は案の定、多くの生徒から奇異の目を向けられていた。
奇異の目を向けられる理由は他にもあった。
少女の後ろに、山府六家の子息令嬢が勢揃いしていた。
六家と言えば、山府発祥の日本でも指折りの名家である。その名家が勢揃いする姿は、多くの生徒にとって初めて見る光景であった。
その光景は、まるで少女が六家を後ろに控えさせているようにも見えた。
その日の異変は他にもあった。
昇降口前に置かれた選挙用掲示板が、番長姿の人物を写したポスターで埋め尽くされていた。
そこには毛筆風のフォントで大きく、こう書かれていた。
『おう、待たせたな。俺が相田紬だ!』
巨大な掲示板一面、この文字と番長で埋め尽くされている。異様な光景だ。
よく見ると下に小さく、こんなことも書かれていた。
『六家は相田紬さんを応援しています。相田さんに清き一票を』
……これは……さっき挨拶していた子の立候補ポスター?
掲示板の前にできた人だかりからは、こんな声が聞こえてきた。
「何これ、番長?」
「ウケる、番長じゃん。これさっき挨拶してた子だよね」
「誰も待ってねーよ」
「ん? なんか小さく六家のこと書いてある……」
「え、何? 六家全員この子に付いたの?」
「やば……」
その日は教室も、例の少女の話題で持ちきりだった。
「あの子、今年入って来た外部入学生らしいよ」
「なんで六家じゃなくてあの子が立候補してんだ?」
「渡部君は出ないの? 私、てっきり渡部君が出るんだと思ってた」
「それにしても、なぜ番長……?」
「昇降口の掲示板だけで百枚近く貼られてたよな」
「あれって選挙規則的に大丈夫なの?」
「そういえばもう一人、立候補者いなかったっけ?」
「あー二年の人な」
「あの番長だらけの掲示板のど真ん中に貼ってあったよね、二年の人のポスター」
「ああ、あれは笑ったわ。番長に囲まれるって……。思わず写真撮っちゃったよ」
「えー、うちも撮ればよかった。昼休みにもう一回見に行こう」
「番長の名前なんだっけ、……相田紬ちゃん?」
昼休み、今度こそ写真を撮ろうと多くの生徒が昇降口の掲示板に向かった。
しかし、あれだけあった大量の番長ポスターは、忽然と姿を消していた。
あるのは二年生の立候補者ポスター一枚のみ。
「えーつまんなー」
「誰か写真持ってないの?」
「それメッセージで送ってよ」
「もう面倒だから、SNSにアップしちゃえば?」
「これで皆、今朝のヤバいの見れるっしょ」
こうして、番長掲示板は瞬く間に山府義塾生の間で拡散されていった。
「お、お兄様、大変ですわ!」
放課後、全校生徒が昇降口からはけるのを待ってから学校を出た俺達八人は、今日も相田家へ向かっていた。
その道中、大竹さんが歩きスマホをしながら叫ぶ。……危ないよ?
「何が大変なんだよ」
「紬さんのポスター画像が瞬く間に拡散されてますの! これは大丈夫ですの?」
「まあ番長姿だし、写真だけ見たら誰も紬だって分かんないだろうから大丈夫でしょ。それに、今のところ内輪ノリみたいだし」
「名前書いてあるけど大丈夫なの?」
雪白さんも物凄く心配している。
「平気です。元々、名前自体は全国区で有名だったので、今更騒がれても何とも思いません」
「全国区で有名って、昔何かやってたの?」
「去年、小説の新人賞を受賞したんです。それでニュースになってました。史上最年少受賞とか言ってましたので、その界隈では有名かと」
紬がさらっと衝撃事実を公表した。みんな口をポカンと開けている。
「……紬さんって、実は凄いお人だったのですね……」
大竹さんがショックを受けていた。無理もない。大竹さんだから。
「凄いかどうかは分かりませんが、山府に来てから一度も言及されたことが無いので、その程度のものですよ」
「いや、普通に凄いから。なんでそんな他人事なのよ……」
雪白さん、この子はこういう子なのです。
「それにしても、こうも見事に全校生徒の印象に残すとは。掲示板ジャック、凄い作戦だったね。相田君も何か心得があるのかい?」
「いや、母さんの仕事を手伝ってたら自然にね……。漫画は拡散されてナンボの世界だから、こういう戦略はいろいろ見てきてる」
「なるほどねー。出して終わりじゃないってのが面白いね。掲示板ジャックというインパクトのある出し方をして、その後一旦情報を引くことで、逆に関心を集める。普通の人じゃなかなか思いつかないよ」
珍しく渡部君がべた褒めしてくる。この人が褒めると怖いと思うのは何故だろう。
「でも怖いのは、今日の放課後になっても五十嵐先輩陣営が何の動きも見せていないことだ。明日はいろいろ用心した方が良いかもしれない」
作戦の成功を喜ぶのも束の間、すぐ先輩の動きを警戒するあたり、渡部君は選挙慣れしている。
「そうだね。こっちの作戦も、本番は明日だから。今日は遅くまで手伝ってもらうけど、皆大丈夫?」
「今更ですわ! 今日はお母様とお夕飯の支度を行います。楽しみにしていてください」
「自分は昨日のうちに、今日の分の稽古も済ませておきました」
「か、華恋、もしよかったら、私も一緒に準備したい……」
「もちろんですわ! 六花さんも一緒にお夕飯を作りましょう!」
「でしたら私もご一緒してよろしいですか? 私も楽しくお料理したいです」
「小夜さんまで行くなら、私も今日は母さんを手伝います」
いや紬はそっち行っちゃ駄目だろ。それにしても女子の手料理か……。こういうの、イイネ!
心なしか男子どもは皆ソワソワしている。
「俺、気付いちゃったんだけどさ、これって女子の手作り料理ってことだよな……。俺今日、手料理食えるの? ねえ俺さ、司君の家に行ったらさ、一回玄関から入り直していい? 『ただいま』って言うから、女子全員で『おかえりなさい』って言ってほしい。……そのあと手料理出てくるんだよね?」
バカ! そういうの口に出すな! ドン引かれるぞ!
「わかりましたわ。やって差し上げます」
あれ? やけに優しいな……。
「『お帰り下さい』って言えばよろしいのですよね」
「……」
星君は黙った。否。男子全員、粛々と帰り道を歩いた。




