第二部二十六話
昼休み。紬と大竹さんが連れ立って一組に来た。渡部君は大竹さんを見ると、小声で何やら話しかけている。
「大竹さん、今日は相田君達と雪白さんだけにして、他は別々に食べようって連絡したよね……」
「わたくしは六花さんと紬さんのお友達です。そこに同席して何の不都合がございますの?」
「不都合はないけど情緒はあるんだよ。空気を読め!」
「わたくしはお兄様を認めておりませんので、無理な相談ですわ。あ、ゴミ……オホンッ、お兄様! 本日はよろしくお願い致しますわ!」
……全部聞こえてるからな大竹。 ……まあいい。早いとこ紬の立候補届を出すぞ。
「じゃあ、第一会議室に行こう」
俺達は選挙管理委員会が事務局を構える、第一会議室へ向かった。
第一会議室は教室二つを繋げたほどの広さで、長机がロの字に並べられていた。入り口付近に『生徒会長立候補受付』の看板があり、その横では当番の生徒が談笑しながらお昼ご飯を食べていた。
「失礼します。一年三組の相田紬と申します。生徒会長に立候補したいのですが……」
「はい、ご苦労様です。こちらが立候補届の用紙です。必要事項を記入し、もう一度ここへ持って来てください。締め切りは六月四日の昼休み終了時までです」
「今ここで記入してもよろしいですか?」
「構いませんよ」
紬は確認を取ると、その場で用紙を書き始めた。俺は暇だったので、立候補の状況を聞いてみた。
「立候補って今のところ何人くらい集まってるんですか?」
「相田さんが今書いてる届けを出せば、その時点で二名ですね」
「ということは五十嵐先輩しかまだ立候補していないんですね」
「ええ。この学校の生徒会長は荷が重いですから……」
気のせいか、選挙管理委員は後ろの大竹さんと雪白さんをチラッと見た気がする。
「兄さん、大変です」
俺が選挙管理委員の視線を追っていると、紬が話しかけて来た。
「推薦人が必要です。どうしましょう。兄さんやりますか?」
「推薦人って、引き受けると何かやることあるのか?」
「推薦人には選挙当日、立会演説のときに全校生徒の前で推薦理由を述べてもらいます」
選挙管理委員が説明してくれた。
「……それって文章の提出じゃ駄目ですか?」
「駄目ですね」
「紬、大変だ。お兄ちゃんはシャイガイなんだ。全校生徒の前で演説なんて無理だ」
「でしたら、わたくしが推薦人になりましょう。お兄様なんかよりよっぽど役に立ちますわ」
ここで大竹さんがしゃしゃり出てくる。どんだけ自分に自信があるんだ。
「華恋やめなさい。紬の推薦人だもの、紬をよく知る人物の方が良いわ。司君がやるのが良いと思う」
雪白さんが俺を追い詰める。
「兄さん、お願いします。私には、兄さんの強力な援護が必要です。ここに名前を書いてください」
……む、そこまで言われると、セカニイとしては断れないじゃないか。……可愛いって、ずるい。
「分かった。お兄ちゃん、紬のために頑張るな。セカニイ、発進します!」
「ふざけてないで早く書きなさい」
……後ろから雪白さんに怒られてしまった。
俺達は無事に立候補の届け出を済ませることができた。これで紬は晴れて生徒会長候補だ。この時から選挙戦は始まっている。一分一秒も無駄にできない。
俺達は気持ちを新たに、第一会議室を後にした。
まずは何から始めようか。演説? 握手会? チェキ撮影?
「まずはポスター作りですわね! 番長を目指すのですから、以前の番長コスプレで写真を撮りましょう」
ここに無駄に張り切ってる馬鹿がいる。おかげで冷静になれた。
「「まずは公約作りでしょ」」
雪白さんと声が被った。
「選挙当日は、決められた演説以外の選挙活動はできない規則よ。選挙活動に使えるのは、今日を含めてあと三日しかないわ。ポスター作りより、演説で何を語るかを優先して決めた方がいい。その土台になる公約を作るのが先決でしょう」
雪白さんの言う通りだ。
「いえ……番長ポスター、良いかもしれません」
……紬さん?
「私たちはスタートダッシュで大きく後れを取っています。短期決戦で勝負を決めるためには、如何に私という存在を全校生徒へ印象付けるかが大切です。インパクトのあるポスターは使えます」
「撮影して印刷して校内に貼って……。無駄に時間が取られると思うのだけれど」
「私達には頼れる仲間が八人もいます。公約作りと並行して、撮影と印刷を今日中に手分けして終わらせましょう。明日は開門と同時に登校し、朝からポスター貼りと校門での辻立ちです。今日は準備に徹して、明日と明後日の二日間で一気に追い上げましょう」
「では早速、演劇部へ行きましょう! お兄様、わたくしと紬さんはこれで失礼しますわ! 写真はわたくしが撮影しておきますわねぇぇ……」
そう言うと、大竹さんは紬を連れて、嵐のように去って行ってしまった。
その場に残される雪白さんと俺。沈黙が廊下の空気を支配する。
「行ってしまったわね……」
「行っちゃったねー。……お昼、どうする?」
「中庭で食べるのでしょう?」
こうして俺と雪白さんは、二人でランチデートすることになった。
中庭には誰もいなかった。普段なら数人、ベンチに座ってお昼を食べているのだが、今日は日差しが強い。皆、中でご飯を食べているのだろう。
俺と雪白さんはベンチに並んで腰掛けた。テーブル席が良かったが、あっちは日向で暑そうだ。このベンチはちょうど校舎の陰になっていた。
「日陰があって良かったね。六月とはいえさすがにこの日差しだと、日焼けしちゃう……」
雪白さんの白い肌を守るのも、ジェントルマンの務めなのだ。
「そうね……」
いつものことながら口数が少ないが、今日はいつもに増して元気がないような気がした。
どうしたの? 話、聞こうか?
「司君、昨日のことなんだけど……」
弁当に箸を付けたとき、雪白さんはおもむろに今朝と同じ話題を出してきた。……どうしたんだろう?
「私たちに巻き込まれて理不尽な目に遭わせてしまって、ごめんなさい」
突然の謝罪。俺は戸惑ってしまった。
「本来なら部室が取り上げられるなんて、六家に関わっていなければあり得ない話だわ。せっかく紬と司君が二人で創って来た活動なのに、台無しにしてしまった。それを謝りたくて……」
それは違う。そもそも俺は巻き込まれたなんて思っていないし、部活だって皆で創ったものだ。
俺は言い返そうとして雪白さんを見た。雪白さんは、怖々とした表情でこちらを見ていた。目には涙が浮かんでいた。そして、手が震えていた。
「……理不尽な目に遭っているのは、雪白さんの方じゃないか。名家に生まれたというだけで、周囲から好奇の目を向けられ、やっとの思いで逃げた先でも名家という理由で追い出されて……。俺は、雪白さんが傷付いていることを知っている。人知れず泣いていることだって知った。知ってしまったら、関わらずにはいられない」
そうなのだ。この子はずっと、理不尽な目に遭っているのだ。その度に、目には涙を浮かべ、恐怖で手が震え、そして……仲良くしたい相手から遠ざかる。
「俺は雪白さんに笑っていて欲しい。それに部活だって、俺と紬が創ったんじゃない。きっかけはそうかもしれないけど、雪白さんや大竹さん、室井君と五人で創った居場所じゃないか。今は八人になったけど、俺はこの部活が八人の居場所になれば良いって本気で思ってる。俺にとってあの部室は大切な場所だ。その大切な場所を奪われたんだ。俺だって立派な当事者だ」
思わず強めの口調でまくし立ててしまった。雪白さんは少しだけ鼻をすすると、直ぐに俯いてしまった。俯いたまま、小さな声を絞り出す。
「司君、ありがとう。私も、あの場所は大切な場所。一緒に大切だって言ってくれて嬉しい」
お礼を言われてしまった。雪白さんがお礼を言うのってなかなか無いよな。これはかなり貴重なんじゃないか? ……ボイスレコーダーが欲しい。
雪白さんはもう一度顔を上げた。思わず目が合う。
「……昨日、私たち六家の話をいろいろ聞かされて、戸惑っていると思うの。だけど、私も、華恋も、湯田さんも、室井君も、渡部君も、星君も、皆この山府でそれぞれの役割を全うしようと努力している。私は……きっと皆も、その役割を果たすことを理不尽だって思ったことは一度もないわ。誇りを持ってこの街に尽くしている」
中庭に風が吹いた。もうじき夏が来ることを思わせるような、草木の香りの混じった風だった。雪白さんは髪をなびかせて、こちらを真っ直ぐ見ていた。
「だから、この街を、山府を嫌いにならないで欲しい。あなたは高校を卒業したら東京に戻るかもしれない。東京でなくても、他の街へ行ってしまうわ。……だけど私たちは、ずっと山府にいる。私たちがいる山府を、嫌いにならないで……」
その言葉を聞いたとき、俺の胸の中で、何かが弾けた。山府は無理矢理連れてこられた場所。ずっとそう思っていた。だけど今、はっきりと何かが変わった。それが何なのかは分からない。分からないが……山府に対する認識だけでないことは確かだった。
雪白さん達がいる山府。
この先の人生なんて分からない。自分が東京に戻るのか、他の街に行くのか、そんなの俺にも分からない。だけど、将来の自分がどこか知らない街にいるとき、雪白さん達は山府にいる。
かつて住んでいた場所に、仲間がいる。どれだけ遠くにいようと、そのことが変わらないというのは、とっても素敵なことだと思った。
「あっ」
「どうしたの?」
「俺、凄いことに気付いちゃった」
雪白さんの願いに答える前に、気が付いてしまった。
「凄いこと?」
「うん」
「……教えてよ」
「駄目。秘密」
だって恥ずかしいもん。
晴れ渡った六月の空の下、俺の胸はずっと弾んでいた。視線の先に、山府の山々が見えた。俺の弾んだ心を優しく包みこむように、今日も山府の街を、静かに見下ろしていた。




