第二部二十五話
翌日、六月二日の火曜日。
俺と紬は朝から伊藤先生に話をするため職員室に来ていた。
「……というわけで、私は生徒会長に立候補しようと思います。部室と皆の学校生活を守り、そしてこの学校の未来を切り開きます」
伊藤先生の前で紬が決意表明する。
「…………」
先生は朝から口をあんぐり開け、状況を飲み込めないでいた。
「先生、こうなると紬はとことんまでやる奴です。先生には迷惑しかお掛けしませんが、よろしくお願いします」
俺は紬の挨拶をサポートしてやった。
「……まず立候補するのは分かった。部活も兼部すると」
先生は必要事項を一つ一つ確認していく。
「よろしくお願いしますとのことだが、生徒会長選挙に教職員はノータッチだ。私から支持を得ようが校長から支持を得ようが、サポートはしてやれない」
ふむふむ。以前言っていた学生自治だからか、教員は関わりを持てないと。
「まあ応援はしてやれないが、お前たちが頑張るところは見ていてやる。安心して死んで来い」
……負けるの前提ですか?
「先生、死ぬのは五十嵐先輩陣営です」
紬も負けじと応戦する。
「あら、ずいぶん敵対心が剥き出しなのですね」
聞き慣れた声に振り返ると、そこには五十嵐先輩が立っていた。……いきなり敵将のお出ましだ! 俺は身構えた。
「先輩、ご無沙汰してます。先日の案内はありがとうございました」
紬は呑気にお礼の挨拶をする。……あ、俺もお礼言わないと。
「また何かあったらいつでも頼ってね」
五十嵐先輩もニコリとお礼を受け止めた。……良い人なのか?
「ところで、先日うちの部員が別件で大変お世話になったようで」
「ええ、そっちについては、私も予想外の反応で心配していたの」
「私達でちゃんと、先輩の企みを潰しておいたので、安心してくださいね」
「あらそうなの? じゃあ新しいこと始めないとね」
先輩と紬は言葉を交わす毎に笑みが深まっていた。……この二人、腹に一物を飼っていやがる。
「お前ら朝からうるさい。そういうのは廊下でやれ」
先生が呆れた様子で口を挟んだ。先生ナイス!
「そういえば紬さん、立候補の方法は知っているの?」
一旦落ち着いたところで、先輩は何事もなかったかのように尋ねてきた。
「選挙管理委員に申し出ることは知ってるのですが、肝心の場所と受け付けている時間が分かりません」
「場所は第一会議室で、昼休みと放課後の十七時まで受け付けているわ。期限は六月四日の昼休みまでだから、早めに申し出なね」
先輩は親切に教えてくれる。……友達を傷つけたのは事実だが、どうしても憎めないんだよな……。
「では今日中に手続きを済ませます。教えてくださりありがとうございます」
紬はお礼を言うと、そのまま俺を置いて職員室を出て行ってしまった。……完全に退出するタイミングを逃した俺。
五十嵐先輩を見ると、紬の背中を見ながらずっとニコニコしている。
「紬さんって可愛いわよね。私もあんな妹が欲しかったわ……」
「可愛いには同意しますが、紬は俺の妹です。譲りませんよ」
「あら、あなたはシスコンなのね」
「ええ、シスコンです。世界を代表するお兄ちゃんですから。略してセカニイです」
「セカニイ……。ネーミングセンスはゼロね」
二人でフフフと笑い合っていると、またも伊藤先生が間に入って来た。
「だーかーら! お前らうるせーから廊下でやれって言ってんだろ!」
俺と先輩は二人揃って廊下に追い出された。先生、追い出すなら別々にしてほしかったです。
おかげで暫く、二人で無言の気まずい時間を過ごす羽目になった。
「あの紬さんが私に対抗しようとするなんて、残念だわ」
五十嵐先輩はとても悲しそうに呟く。
「残念なのはこちらの方ですよ。部室を追い出されて、怒らない方がおかしいです」
「あなた達が生徒談話室を不当に占拠していたのは事実でしょう? 創部前からあの部屋にたむろしていたことは知っているわ」
「確かにあの部屋に入り浸っていたのは事実です。でも占拠はしていません」
「では入り浸っていたとき、他に誰か一人でも入って来たかしら」
「それはいませんでしたが、たまたまいなかっただけなのでは?」
「本当にそう思う? あの場には六家が三人いたと報告を受けているわ。報告を受けているっていう事実が、どういうことか分かる? 談話室に行ったけれど、あなた達がいたせいで使用できなかった生徒が生徒会へ訴えて来たのよ」
……そんな生徒がいたのか? 誰も来なかったし、中を覗きすらされなかったが……。
「一人でも入りにくいという生徒がいた以上、それは占拠といって差し支えないのでは?」
……ぐぬぬ、強い……。だが、入りにくいと感じる人がいたら、俺たちは使ってはいけないのか? 俺達だって普通の生徒だし、談話室を使う権利だってある。
「あなたはまだ、六家という存在が学校に与える影響を分かっていない。山府の普通の生徒ならね、六家がいただけで萎縮するのよ。周囲を萎縮させて得た便宜を、与えられた権利だと思わないで」
廊下に五十嵐先輩の声だけが響いた。反論する前に言い切られてしまった。
「続きはまた、紬さんがいるときにやりましょう。それでは、ごきげんよう」
五十嵐先輩は丁寧にお辞儀をすると、颯爽と歩いて行ってしまった。
重々しい気分で教室に戻ると、珍しく雪白さんが話しかけてきた。
「随分ギリギリに来たわね」
「ああ、ちょっと職員室に用事があって……」
「そう」
それで会話は終了するかと思ったが、雪白さんはまだその場を動かない。
「あの、雪白さん? どうされました?」
「き、昨日のことなんだけど……」
昨日? ああ、雪白さんが皆の前で二回泣いたことか。普段見られない、貴重な瞬間だったな……。きっと恥ずかしくて秘密にしてほしいんだな。
「安心して! 雪白さんが二回泣いたことは、秘密にするから!」
俺はちゃーんと、約束してあげた。俺ってばなんて気遣いの出来るイイ男なのだろう……。
満足げに雪白さんを見ると、顔を真っ赤にしてこちらを盛大に睨んでいた。
「あなた、ほんっとうに、デリカシーがないわね……」
雪白さんに言われた瞬間、周囲の囁き声が聞こえて来た。
『雪白さんが泣いた……』
『え、相田君が泣かせたの?』
『うわ、相田サイテー』
『しかも二回もって……何やったらそんなんなるんだよ』
『え、あの二人付き合ってるんかな……だとしたら俺ショックだわー。相田許せねー』
……どうやら俺は、意図せずにまた、教室の嫌われ者になってしまったらしい……。一部妬みも混ざっているが。
「あ、あの……。皆にばらしてしまってごめんなさい……」
俺が雪白さんに謝罪し縮こまっていると、苦笑気味の渡部君が近づいてきた。
「やあご両人! 昨日の部活は大変だったね! ありがとうね!」
渡部君はわざと大きな声で言う。
『あー部活の話か』
『え、部活って何? 雪白さんと渡部君って部活やってたっけ?』
『あれだよほら、談話室の』
『あー談話室の! え、じゃあもう学校から次の活動場所与えられたってこと?』
『さすが特権階級』
『ってことは雪白さんと相田は二人っきりじゃなかったんだな。ならよし』
『でも部活で泣くってなんだよ。やっぱ相田、許せねー』
渡部君の健闘虚しく、やはり俺は嫌われているようだ……。そして一つだけ、聞き捨てならない単語があった。
……特権階級。
「僕のフォローもあまり意味がなかったようだ。相田君、さすがにあの言い方は良くないよ」
……渡部君にも怒られてしまった。雪白さんもこちらを睨んだままだ。
二人に挟まれて小さくなっていると、雪白さんが吹き出した。
「もうっ。そんなに小さくなってたら怒るに怒れないじゃない」
……もう許してくれるの?
「まあ相田君にデリカシーがないのは今に始まったことじゃないしね」
渡部君も口調が柔らかくなった。
「せっかく集まったし、今日のお昼の相談でもする? 場所も決めてないし」
「あ、そのことなんだけど、紬の立候補の届け出を済ませないといけないんだよね。もう選挙戦をしている時間も殆どないし、急がないと」
「そうだね。じゃあ今日の昼休みは各々で食べようか」
「えっ」
「え?」
渡部君が提案した瞬間、雪白さんが固まった。なんだかとても寂しそうな顔をしている。
「あっ、あー、じゃあ今日は僕だけ遠慮しようかな。雪白さんは、せっかくだし相田君たちと食べなよ。今日は晴れてるし、中庭なんか良いんじゃないかな。あそこなら四人くらいで座れるテーブルもあるし!」
そういうと渡部君はそそくさと立ち去った。
「えっと、それじゃ雪白さん。今日のお昼は一緒に食べようか。立候補の届け出も一緒に来てくれるかな……」
雪白さんをお昼に誘うと、コクンと小さく頷いた。




