第三話
翌日の昼休み。
昨日と同じ食堂の窓際席で、大竹さんが三枚の紙をテーブルに並べた。
一枚目には、大きな文字で『部活動設立要綱』と書かれている。
「部活動を作るためには、五名以上の部員と、顧問の先生が必要ですわ」
「もう調べたのか」
「善は急げと申しますもの。朝一番で担当の先生から頂いてまいりました」
大竹さんは得意げに設立要綱を指した。
朝一番。俺が教室で誰にも話しかけられず、一時限目の教科書を意味もなく三回開き直していた頃である。おかげで予習はバッチリだった。俺、偉い。
「現在、設立予定者は三名ですわ」
「やっぱり俺も数に入ってるんだ」
「もちろんです」
基本的人権という言葉を知っているか。平等権、自由権、社会権、参政権、そして請求権だ。
……この場合、何の権利が使えるんだ?
もっと勉強しよう。割と本気でそう思った。
「わたくしの友人に声をかければ、あと二名くらいはご協力いただけますわ」
「その人達は、一緒に活動するんですか?」
紬に尋ねられ、大竹さんが少し考える。
「皆さん、既に入る部活動を決めていらっしゃいますが、兼部でしたら」
「じゃあ、駄目です」
紬はきっぱり断った。
「名前だけでは駄目です。一緒にトポってくれる人がいいです」
沼ってるみたいなニュアンスなのだろうか。大竹さんは、訳が分からないという顔で首をかしげた。大丈夫。俺もよく分かってない。
「とりあえず、人数だけ揃えても意味がないらしい」
「それなら、本当に入りたい人をあと二人、自分達で募集いたしましょう!」
大竹さんは、まだ何も書かれていない設立申請書を見ながら言った。
作る部の名前も、普段何をするのかも、集まる場所も決まっていない。
決まっているのは、トポフィリアとやらの獲得を目指すこと。
そして、俺が逃げられないことだけだった。
放課後。
俺達は空いていた教室で、勧誘に使うポスターを作っていた。
紬が、大きな模造紙の一番上に文字を書く。
『一緒にトポりたい人、募集』
「書き直そう」
「どこが駄目ですか?」
「トポるが、世間一般に通じる言葉だと思うな」
紬は少し考え、その下へ説明を書き加えた。
『山府市内の各所を実地に訪問し、各自のトポフィリア獲得を目指します』
……大学の授業シラバスかな? 履修条件に卒業論文が必要そうだ。
「わかりやすく書きました」
「最初より難しくなってるぞ」
紬は納得がいかないようだった。しかし、このままでは誰も足を止めてくれない。
「『山府を好きになりたい部活です。一緒に創部したい人を募集します』これでいいだろ」
俺が別の模造紙に書くと、大竹さんが首を傾げた。
「『トポりたい』が消えておりますわ」
「意味わかってる? 『トポる』は紬の造語だよ?」
「よくわかりませんが、せっかくなので下に小さく残しましょう」
フレーズが気に入ったらしい。大竹さんは、紬が最初に書いた文字を切り抜き、新しいポスターの下へ貼り付けた。
『一緒にトポりたい人、募集』
結局、消えなかった。
大竹さんが部活動統括担当の先生へ話を通していたおかげで、勧誘が行われている本館一階の一角を借りることができた。長机一台、椅子四脚付きだ。
昨日ほどの人混みではないが、まだ多くの部活動が勧誘を続けている。新入生が通るたび、左右から声が飛んでいた。
その中に俺達も加わった。昨日はあれほど逃げ回っていたのに、現金なものである。
「新しい部活動を作りますわ! 設立部員を募集しております!」
大竹さんの声は、周囲の運動部にも負けていなかった。
最初に足を止めたのは、昨日の剣道部員だ。
「帰宅部はやめて、自分で部を作ることにしたのか」
「やめたわけじゃないです。逃げ道を塞がれたんです」
剣道部員はポスターを読み、少し考え込んだ。
「結局、何をする部活なんだ?」
「山府を好きになる部活です」
「それは、部活なのか?」
ごもっともです。
剣道部員は「頑張れ」と言い残して去っていった。優しい。
その後も、何人かの一年生がポスターを見て立ち止まった。そのたびに、「トポる」の意味を説明する。
ある女子生徒は、街の古い建物を見て回るのかと尋ねてきた。
「それだけではありません。古い建物を中心に見て回りたいのでしたら、歴史部のほうが合っていますわ」
大竹さんは親切に、歴史部の活動場所まで教えた。
写真を撮るのかと聞いた男子生徒は、写真部の勧誘場所へ送り出した。
放課後に皆で街のカフェへ行き、お菓子を食べるのかと期待していた女子生徒には、活動内容は少し違うが、料理部の活動日を教えた。
みんな大竹さんにお礼を言って、別の勧誘場所へ向かっていった。
「大竹さん」
「なんですの?」
「他の部に入れるの、やめてくれない?」
当然の苦情である。
「ご希望に合う部活動をご紹介しただけですわ」
「俺達の部に入ってくれる人を探してるんだけど」
「やりたいことがあるのに、わたくしたちの所へ引き留めるわけにはいきませんもの」
正しい。正しいが、このままでは永遠に五人揃わない。
そのうち俺達の机には、各部のチラシが並び始めた。
「うちの部にも、合いそうな子が来たら紹介してくれ」
「こっちも頼む」
「君たち、話を聞くのが上手いね」
次々持ち込まれるチラシを整理していると、さっきの剣道部員が戻ってきた。手には大きな紙を持っている。
『部活動相談受付』
剣道部員はそれを、俺達のポスターの隣へ堂々と貼り出した。
「これで分かりやすくなっただろ」
……小さな親切、大きなお世話。俺達は、とうとう本物の部活動案内所にされた。
その様子を見ていた一年生が、「相談してもいいですか」と机の前へやってくる。
大竹さんは「もちろんですわ」と向かいの椅子を勧めた。……嫌な予感がした。
十分後。
大竹さんの前には、相談者の列ができていた。
紬はノートに希望条件をメモし、大竹さんはそのメモと自分の知識を総動員してお勧めの部活を案内する。俺はその横で、各部のチラシを配りながら列を整理する。……完璧なフォーメーションだ。
「運動は苦手ですが、外で活動したいです」
「地理部はいかがでしょう? 友人から、フィールドワークを行っていると聞いたことがあります」
「地理部です。うちなら野外活動ありますよ。よければ見学に来てください」
横から伸びてきた手が、相談者へチラシを渡す。その手が引っ込むより先に、次の生徒が椅子へ座った。
「週に三日くらいがいいです」
「茶道部が週三日ですわ」
「活動場所はどこですか?」
紬が校内図をこちらへ滑らせる。俺は茶道部の部室を探し、見つけた場所へ指を置いた。すると、今度は弓道場の場所を聞かれる。
なぜ入学したばかりの俺が、校内施設を案内しているのだろう。解せぬ。
「次の方」
紬はもう完全に受付の人だった。
前から相談者、左右からチラシ、後ろから紹介を待つ各部の勧誘役。机の上に新しい束が置かれるたび、俺達のポスターが少しずつ埋もれていく。
チラシの束が崩れた。片手で受け止めると、反対側から合気道部のチラシを渡される。その間にも大竹さんは希望を聞き、紬が該当する部に印をつけ、俺の前には活動場所を尋ねる生徒が増えていく。
気が付けば、誰も俺達のポスターを見ていなかった。俺も見失っていた。
日が傾き始めた頃、ようやく最後の相談者が席を立った。
「皆さん、ご希望に合う部へ向かわれましたわ」
大竹さんは大変満足そうだった。
「三十七名、紹介しました」
紬も、それはそれは満足そうだった。
「俺達の入部希望者は?」
「いませんわ!」
元気よく言うな。
どうしたもんかと申請書の設立部員欄を見ていると、紬もひょっこり覗き込んできた。
設立部員欄には三人分の名前の下に、空欄が二つ残っている。
「難しいです」
「いや、お前ノリノリで案内してただろ」
「頑張りました」
紬は「むふーっ」と誇らしげに胸を張る。かわいい。
……もう今日はこの辺が限界だ。片付けるために机の上に広がったチラシをまとめていると、紬が廊下の向こうへ視線を向けた。
一人の男子生徒が、勧誘用の掲示板の前に立っている。
最初に目に入ったのは、その身長だった。周囲の生徒より頭一つ分は高い。短く整えられた髪。真っ直ぐな背筋。制服の上からでも、肩や腕が鍛えられているのが分かる。
気付けば、もうほとんどの運動部は勧誘を終えていた。それでも、片づけ中の部員たちは何故か彼を気にしている。
視線は向ける。しかし、誰も声をかけない。
「あの人」
紬が男子生徒を見たまま、申請書の空欄を指した。
「やめなさい、人を空欄の形で見るのは」
紬は申請書と募集用のポスターを持ち、男子生徒の方へ歩いていく。
「あ、紬、ちょっと待て」
止める前に、声をかけてしまった。
「部活動は決まっていますか?」
男子生徒が振り返る。
近くで見ると、さらに大きかった。紬と並ぶと、人間の縮尺が合っていないように見える。
「まだ決めておりません」
低く、よく通る声だった。
「では、私たちと新しい部を作りましょう」
部の説明を飛ばし、いきなり創設へ誘った。
「紬さん!」
後ろから大竹さんの声が飛んでくる。大竹さんは机を回り込み、急いでこちらへやってきた。
「武尊さんではありませんか」
「大竹さん」
男子生徒は、大竹さんへ丁寧に頭を下げた。
「知り合い?」
「幼馴染みたいなものですわ。こちら、室井武尊さんです。同じ一年生ですわ」
紹介された室井君が、今度は俺と紬へ頭を下げる。
「室井武尊と申します」
「相田司です。こっちは紬」
「相田紬です」
同級生同士の自己紹介というより、取引先との顔合わせみたいだった。名刺交換でも始まりそうな勢いだ。あいにく、名刺は持っていない。
「部活動を探していらっしゃるのですか?」
大竹さんが尋ねると、室井君はただでさえ真っ直ぐな背筋をさらに伸ばした。
「はい。しかし、放課後は自宅で稽古があります。毎日参加することはできません」
「稽古って、何の?」
「天山流です」
俺が質問すると、当然知っているものとして短く答えられた。
天山流が何かは知らない。ただ少なくとも、この体格を作ったのが書道ということはないだろう。
「武道ですわ」
華道の家元が巨大食虫植物と格闘している妄想をしていたところ、大竹さんが小声で教えてくれた。なるほど、そっちか。
「所属する以上、部員としての責任を果たしたいと考えております。そのため、日程の合わない部に籍だけを置くことはできません」
見た目だけでなく、考え方まで一分の隙もなく真っ直ぐだった。
大竹さんの表情が急に明るくなる。
「それでしたら、わたくしたちの部活動は、毎日参加する必要がありませんわ!」
「おい、その設定、今決めただろ」
勝手な設定は困るよー。まだ何するかも分からないのにー。
「活動計画は、これからわたくしたちで作るのでしょう?」
「それはそうだけど」
部員に合わせて作るのなら、間違ってはいない。
「まだ何も決まっていない部だから、室井君が参加できる方法も含めて、これから決められるよ」
俺は必死に取り繕った。求人広告でよく見る「オープニングスタッフ募集中」のノリだ。
室井君は、もう一度ポスターを見る。
『山府を好きになりたい部活です。一緒に創部したい人を募集します』
今日、その文字を見て考え込んだ人は何人もいた。何をする部活なのか全く伝わって来ない。
室井君は、しばらく見た後、深く頭を下げた。
「一度、家で相談させてください」
「もちろんですわ」
大竹さんは、設立申請書と一緒に受け取っていた入部届を一枚渡す。室井君は両手で受け取り、丁寧に折りたたんだ。
「それでは、失礼いたします」
室井君は俺達一人ひとりに頭を下げ、隙のない動作で廊下を歩いていく。あれがラストサムライ……なのか?




