第二部十六話
昼休み。雪白さんに部室の鍵を預け、渡部君と二人で室井君の教室へ向かった。
室井君は教室の入り口の扉に向かって、床に正座していた。
……なにしてんの?
「殿、司殿、お待ちしておりました」
室井君は額をゆっくり床につけ、深々と座礼をする。……なんだか今にも切腹しそうな勢いだ。……刃物ナシ! 介錯ナシ! 安全ヨシ!
「む、室井君。とりあえず、手を洗おう。これからお昼を食べるのに、それじゃ汚いでしょ……」
「お気遣い、痛み入ります」
気遣いっていうか、まあ……うん。
「武尊、武道館脇に移動するから、早くして」
渡部君がいつもの貼り付けた笑顔で注文する。
「ハッ承知いたしましたっ」
室井君は素早く行動を開始した。
手を洗ったのを確認した後、三人で武道館脇まで移動する。六月に入ると、いくら山府と言えども少し暑い。もうすっかり初夏である。
武道館脇は誰もいなかった。以前、室井君に友達だと言ってもらった思い出の場所だ。
三人で縁石に腰を下ろすと、弁当を広げた。
「それで、武尊はなんで休んでたんだ?」
渡部君が煮物を食べながら質問する。……煮物って汁が多いから弁当に向かないのに、渡部君の弁当は綺麗に盛り付けられていた。
「それが……。とある人に、学校のためにトポ部を辞めて、武道系の部活に入るべきだと強く言われまして……」
「え、それだけで休んでいたの?」
俺は思わず口を挟んでしまった。……室井君の弁当は俺の三人前分くらいの大きさだな。おかずはシンプルに唐揚げと卵焼き、そしてこれでもかというほどの米、米、米!
「自分としては、トポ部を辞めたくないのです。しかし、ずっと武道部を断り続けていた手前、トポ部に残るのは完全に自分の身勝手な行動で……。しかし、やはりトポ部は抜けたくない。でも武道部に入らないと学校のためにならない。自分ではどうして良いかわからず、ずっと悩んでいました。」
うーん。やはりどうしても、そんなことで? という考えが浮かんできてしまう。部活動なんだから、好きなのをやればいいと思うのだが……。
「武尊は武道家として誇りがあるから、武道を裏切れないんだよね。だから中学の頃から、何とかして武道系の部活に所属しようとしていたんだけど、武道部同士で武尊の取り合いになっちゃって……。だから今まで、トラブル防止のために部活を全部断っていた。それなのにトポ部が搔っ攫って行ったものだから、今の武道系部活内でちょっとした騒ぎになっているんだ」
え……そんなの初めて知った。
「騒ぎにって、室井君を奪還するとかそういう?」
「いや、トポ部を潰してしまおうっていう話にまでなってる」
「はい。なので、自分が武道系の部活に行けば、丸く収まると考えたのですが……。やはり自分は、トポ部を抜けたくない。それに、武道系の部活も一つに選びきれない。それでまた武道部が揉めていて……」
マジか。そんなことになっているとは……。というか、なんで渡部君はそんな事情を知っているんだ?
「今のところトポ部は、室井君が欠席している以外に実害がないんだけど、なんで渡部君は知ってるの?」
「そりゃ、伊藤先生と協力してその勢力を止めているのが僕だからさ」
はい? なんじゃそりゃ。なんで部長の俺に知らせない?
「あの、なんで俺に教えてくれなかったの?」
「伊藤先生が気を遣ったんだよ。相田君たちは山府に来たばかりで、こういったトラブルに慣れていない。楽しく学校生活を送るなら、いらない情報だしね」
そうなのか。つまり渡部君と伊藤先生で、俺と紬の防波堤になってくれていたのか。
「ならどうして俺を疑っていたのさ」
当然の疑問である。
「武尊が休んでる理由と、トポ部に対する騒ぎは別のものだと考えていたんだ」
「殿は司殿を疑っていたのですか……」
室井君がしょんぼり項垂れる。仕えるべき主君が友を疑っていたのだ。そりゃあショックだろう。
「まあその疑いは今朝晴れたんだけどね。ちゃんと謝ってもらったし、俺は気にしてないよ」
多少強がりもあるが、そんなことでネチネチいう男ではないのだ。
「それで、武尊の悩みを大きくした、肝心の人物って誰?」
そうだ。室井君はとある人物に強く言われたと言っていた。やはり武道系の部活の人間が言ったのか。トポ部を潰そうとする連中だ。さぞ陰湿に怒鳴り散らしたに違いない。
俺が怒りの妄想を爆発させていると、室井君がゆっくり口を開いた。
「五十嵐先輩です」
「……えっと、俺の知ってる人?」
「以前、伊藤先生の机の前で自己紹介した、あの五十嵐先輩です」
物凄く意外な人物が原因だった。五十嵐先輩って、あの清廉潔白で、マニアック女王のあの先輩だよな。……あの人が?
「やっぱりね。僕はそうじゃないかって思ってたよ」
なんと。渡部君は先輩を疑っていたらしい。
「え、ごめん。俺は先輩が、室井君をそこまで追い詰める人に見えないんだけど、渡部君は何で疑っていたの?」
「相田君、僕の先祖の話を聞いてきたとき、五十嵐先輩に説明されたって言ってたよね。それって、渡部家の他に室井家の話も同時にされたんじゃない?」
「ああ。室井家は渡部家に仕えていた筆頭家老だって……」
「それ、わざと言ってるよ」
……えっと、どういうこと?
「あの先輩は、武尊を武道部に引き入れるため、武尊に接触した。そして、武尊を縛るトポ部の代表に、武尊が如何に山府にとって大切な人間かを印象付けるため、わざと話題に出した」
「……偶然じゃない?」
「じゃあ確かめてみよう。武尊は先輩から何を言われたの?」
渡部君が促すと、室井君は姿勢を正した。
「世界に冠たる室井家の正統後継者が、武道部の問題から逃げてトポフィリア研究部に所属しているのは大変遺憾だと言われました。あなたがその選択をすると、この学校の品位が下がるとも……」
「世界に冠たるって、随分大袈裟に言うね……」
俺が呆れたようにいうと、渡部君も室井君も、真顔でこちらを見てくる。
「大袈裟じゃないよ、相田君」
渡部君は重々しく口を開いた。
「あまり詳しくは説明したくないんだけど、世界に冠たるは決して大袈裟な表現じゃない」
渡部君は室井君を見ると、説明していいかと確認を取る。室井君は少し迷った後、承諾した。
「武尊はね、去年のU-15武道世界大会で、優勝してるんだ。それも、主要九競技と呼ばれる種目全てで。分かり易く言うと、世界九冠なんだ」
……俺は言葉が出なかった。
「……で、でも、室井家の話をしたとき、先輩は筆頭家老としか言ってなかったよ?」
やっとの思いで絞り出した声は、一番聞きたいことを避けてしまう。
「それはね、マインドコントロールの常套手段だよ」
渡部君の口から、何やら恐ろしい単語が出てきた。
「最初は関係が薄い所の説明をする。その後、徐々に核心に近い情報を出していって外堀を埋める。気付いた時にはどこにも逃げ場がない状態になる。マインドコントロールの仕組みはそういうものだ」
「えっと、つまりどういうこと?」
「相田君がトポ部の部長として、武尊を武道部へ差し出さなければならないと思い込むように仕向けようとしたってこと。家の歴史の一端を出したのは、その始まり」
……それが事実なら、かなり恐ろしいことに巻き込まれようとしていたのではないか。
ここで俺は、物凄く重大なことに気が付いた。
「つ、紬が危ない! あいつ、ずっと先輩の説明を聞いていた。もうマインドコントロールされていたらどうしよう!」
「相田君落ち着いて。先輩はプロの詐欺師じゃないんだから、マインドコントロールっていってもそんなにすぐには効果は出ない。というか、僕の言い方も悪かった。マインドコントロールって言ったけど、先輩は単純に、相田兄妹を自分の味方に引き入れたかったんだと思う」
「そ、そうか。なら良かった……」
俺は物凄く安心した。紬はのめり込むと周りが見えなくなる。マインドコントロールにハマりやすい性格ともいえる。これからは、注意していった方が良いな。
「それにしても、学校の品位が下がるとまで言われるのは納得がいかないな……」
渡部君が難しい顔をして考え込んだ。
「恐らく、会津の四名家を意識した発言だと思われます。向こうは勉強に生徒会に部活にと、八面六臂の大活躍だそうですから」
「なるほどね。こちらの六家が不甲斐ないって言いたいんだね。まったく。つくづく見ている世界が小さい」
渡部君と室井君は、何やら二人して知らない話を始めた。
「とどのつまり、僕ら六家を学校の実績として使いたいんだろう。これまで何もしてくれなかったくせに、随分都合の良い……」
「殿、あまり怒りを溜め込まないでください。我々はこれまで、個々でこれらの問題に対峙してきました。しかし今は違います。今は、司殿が六家を集めてくださいました。きっとこれは、天啓に違いありません。自分はそう思ったから、再び学校に来れたのです。時間はかかってしまいましたが、今こそこの問題に立ち向かうべきなのです」
「ふふっ、武尊は何だか変わったね。これも相田君のおかげなのかな? 雪白さんと言い、この前から大活躍だね相田君」
何やら二人が感心した様子でこちらを見る。しかし俺は、何のことやらさっぱり分からない。六家が集まったのもただの偶然だ。
「あの、さっきから六家の話をしているのは何となく分かるんだけど、俺はいったい何を期待されているの?」
思い切って質問してみた。二人はクスクス笑っている。なんだよ、俺だけ仲間外れかよ。
「相田君は難しいことは考えず、そのままで良いってことだよ。武尊も戻って来たし、警戒すべき人物もわかった。今日の部活で皆に共有して、警戒をしよう。武尊も、ここまで来たならやりたいことをやろう。トポ部に残りたいなら、僕が全力で守るよ」
「殿……」
何やら二人の世界に行ってしまった。昼休みも終わりそうだし、そろそろ戻ろう。
俺達は弁当を片付け、それぞれの教室に帰った。




