第二部十二話
どれくらい時間が経っただろう。気が付くと、隣に雪白さんが歩いていた。
「さっきから暗い顔をしてるけど、大丈夫?」
横からひょこりと、こちらを覗き込んでくる。いつもあまり見せない仕草に、胸の奥で何かが小さく跳ねた。
俺は咄嗟に声が出ず、口をパクパクさせてしまった。
「何その顔。変なの」
雪白さんは、ふふっと小さく笑った。
「いやあ、ちょっとやらかしまして……」
「そう」
反応は、それだけだった。けれどもなぜか、沈んでいた心が少しだけ浮き立った。
「雪白さんはこんな後ろまで下がって来て、どうしたの?」
「あなたに私の地元を紹介しようと思って」
一瞬、意味が分からなかった。今現在、五十嵐先輩から紹介されている最中である。
「この前、あなたが東京を紹介してくれたから、今度は私がと思ったのだけれど……」
雪白さんは遠慮がちに、少しだけ上目遣いでこちらを見てきた。しまった。皆まで言わせてしまった。でも、凄く嬉しい。
「ありがとう。凄く嬉しい」
思わずそのまま声に出てしまった。
「そう」
相変わらず返事は端的だが、声が少し上ずっていた。
「それで、何を紹介してくれるの?」
「そうね……。例えばあそこの本屋は、山府市内でも品揃えが豊富なの。私もよく行くわ」
雪白さんが指差した先には、三階建ての古い商業ビルがあった。「御杜書店」と書かれた看板が出ている。
「あのビル丸々、本屋なの」
「へえ、そうなんだ」
「反応が薄いわね。県内でも大きいことで有名なお店なんだけど」
そうなのか……。東京の大型書店をいくつも知っているので、特に大きい店だと思わなかった。でも確かに、地方都市にある本屋なら、かなり大きい部類なのだろう。
雪白さんを見ると、思った反応と違ったのか、少し不満そうにしている。
俺は慌てて話題を変えた。
「何の本を買うの?」
「参考書や小説、新書、あと漫画ね」
「え、雪白さんって漫画読むの?」
これは意外である。いつも小難しい本を読んでいるから全くイメージになかった。
「失礼ね。普通に読むわ」
また不機嫌になってしまった。姫の機嫌は舵取りが難しい。
「どんな漫画を読むの?」
「小学校のときからずっと、『神様、お任せします』という作品を読んでいるの。私の人生のバイブルよ」
なんだろう、雪白さんはいつになく饒舌になっている。ジャンルでなく作品名を挙げてくるあたり、よっぽど好きなのだろう。そしてその作品、母、相田佐紀の作品です……。俺も紬もガッツリ制作に関わっています。
「知ってはいるけど読んだことないんだよね。どんなところが面白いの?」
俺はわざと嘘をついた。他意はない……ことにしておこう。
「そうね……設定、キャラの個性、ストーリー、絵、背景、詳しく話すと一日では終わらないわ。今は止めておきましょう」
どんだけ好きなんだよ。そんなに語ってもらえるなんて、制作スタッフ冥利に尽きる。
「なんで人生のバイブルなの?」
もっと……もっと教えて! 好きな理由!
「そうね……。私が辛いと思ったとき、悲しいと思ったとき、一番私の心に寄り添ってくれた作品だからかしら。あまり詳しくは言えないけど、とにかく私の琴線に触れたの」
……これは照れる。その設定の原案とか、背景の仕上げとか、俺の仕事だよ。あれー、なんか急にドキドキしてきたなー。
「そういえば、作者の相田先生ってあなたと同じ苗字よね。この前、お母様の職業が漫画家って言ってたけど……。もしかして?」
あれー、なんか急に違う意味でドキドキしてきたなー。迂闊に職業を話すんじゃなかったなー。
雪白さんはじっとこちらを見ている。いつもの睨みでなく、期待に満ちた眼差しだ。
あー駄目だ。そんな目で見られたら抗えない! 助けて! 紬さーん!
俺は前を見た。
…………部員が誰もいなかった。
え、嘘でしょ。なんで誰もいない?
俺は辺りを見渡したが、他の部員の姿はどこにも見当たらない。
「雪白さんやばい、皆とはぐれたかも」
「ええ、そのようね」
雪白さんは何でもないかの如く答えた。
「えらい冷静だな」
「私の地元なんだから、そんなに慌てなくても平気よ」
「いや、このままだと、また伊藤先生に怒られる……。とにかく、引率者の先生に連絡しないと」
スマホを取り出した俺は、あることに気が付いた。
「雪白さんごめん。そういや俺、先生の連絡先知らないや」
「私も知らないわ」
「……とりあえず、紬に電話してみるか」
プルルルル、プルルルル、プルルルル
「……出ない。……あいつ、先輩の説明に夢中になっているな」
「私も華恋にかけてるけど、出ないわ」
「他に連絡先知っている人いる?」
「……いないわ」
なんてこった。あとは俺が渡部君に電話するしか方法がない。しかし、さっきのこともあるし、連絡しにくいな……。
だが、トポ部初の校外活動で行方不明になったとなると、今後、校外活動の許可が下りなくなるかもしれない。
俺は腹をくくって、渡部君に電話した。
「はいはーい。どうしたの?」
存外、明るい声で渡部君が電話に出た。
「渡部君ごめん、雪白さんと最後尾を歩いていたら皆とはぐれた。申し訳ないんだけど、先生に伝えてくれるかな」
電話口の向こうで、渡部君のクツクツという笑い声が聞こえてくる。……もう怒ってないのか?
「君たち本当に面白いことするね。待ってて、今伝えるから」
そう言うと、電話の向こうで先生へ報告する声が聞こえる。
「二人とも無事なら、待ってるのも迎えに行くのも面倒だから、そのまま二人で予定のコースを歩いて来いってさ。学校に着いたら解散して良いって」
「まじか。……先生適当過ぎない?」
「んじゃ、二人でデート楽しんできてね」
そう言い残して、渡部君は電話を切った。……デート……。
「今の、聞こえてた?」
「ええ。……それじゃ、デートしましょうか」
雪白さんは何でもないことのようにそう言って、歩き出した。




