第二部十一話
五月三十日、土曜日
東京では、早ければ明日にでも梅雨入りしそうだという空模様らしい。打って変わって、ここ会津県山府市は、雲一つない快晴だった。
日本列島って大きいんだな。そんな阿呆な感想しか思い浮かばない今日この頃。我々トポ部は二回目の、創部してからは初めての校外活動に挑もうとしていた。
事前に描いたメンタルマップは、伊藤先生の指示で部室に置いてきている。持ち歩くと、結果が変わる可能性があるらしい。
集合時間の五分前、俺達兄妹が校門に着くと、既に全員揃っていた。もちろん、室井君は不在だが。
前回は三段重のおにぎりを持参していた大竹さんだが、今回は先生から持ってくるなと念を押されていたため、手ぶらである。なんとも寂しそうな顔をしている。……こっそり持ってきても良かったんですよ?
今回初参加の渡部君、湯田さん、星君は、心なしかソワソワしていた。
「こんなに大人数で山府を歩くのは初めてなので、少し緊張しますね」
湯田さんがほんわかと話しかけてくる。
「今日は先輩に案内してもらうだけだから、緊張しなくても平気だよ」
前回のように発表があるわけでもないし、気楽なもんだ。……この時はまだ、そう思っていた。
「おーし、全員揃ってるなー。さっさと行って、さっさと帰るぞー」
相変わらず可愛らしい車から降りて来た伊藤先生は、身も蓋もないことを言った。
教育というのは、生徒のやる気を引き出すのが重要だと思うのですよ。ぷんぷん。
出発時間になったので、案内役の五十嵐先輩を先頭にゾロゾロと移動を開始する。
「司君と紬ちゃんは外部入学だけど、前は東京に住んでいたんだよね」
美人の五十嵐先輩に名前で呼ばれてしまった。オラ、ドキがムネムネするゾ。
「はい。なので、山府にはあまり詳しくありません」
今日も紬さんは積極的だ。妹の成長を実感できて、お兄ちゃん嬉しいなー。
「せっかくだし、学校周辺も一緒に案内してあげよっか。簡単な解説だけど」
「いいんですか?」
「うん。私、生徒会に入る前は地理部だったんだ。だからこういうの好きなの」
地理部だったということは、当然、地元のことにも詳しいのだろう。お言葉に甘えることにして、先輩のガイド付きお散歩がスタートした。
「まず山府市がある会津県についてなんだけど、会津県は北の会津地方と南の山府地方に分けられていて、山府地方は山府郡と伊山郡の二つを合わせた地域を言うの。この山府地方って言うのは山御杜が分布する地域でもあって、伊山郡は山府のことを調べるなら切っても切り離せない存在だから、覚えておいて」
いきなり県の話から始まった。学校周辺の案内をしてくれるんじゃないのか?
チラッと紬を見ると、目をキラキラ輝かせて説明に聞き入っている。可愛いが、怖い。
「山府地方は江戸時代に山府藩が治めていた地域で、北の会津地方は会津藩の領地だったの。廃藩置県でそれぞれ別の県になったんだけど、結局は合併させられて、今の会津県になったのよね。そのときに、どちら側に県庁を置くかで揉めに揉めて、結局、会津側に置かれることになった。そのときの対立が今も残っていて、山府地方の人は会津より自分たちが上だって思っているし、会津の人たちは山府なんて自分たちに従属した連中だと思っている」
あーなるほど、山府義塾と会津義塾の抗争はそれが由来なのか。大竹さんが「会津ぶちのめす」とか言ってたの、懐かしいなー。
「山府藩領内は二十郷に分かれていて、駒止峠を境に東部と西部に分けられるの。東部の十三郷が山府郡で、西部の七郷が伊山郡ね。山府郡を内山府、伊山郡を外山府とも呼ぶわ。山府義塾には、この山府地方全域から生徒が集っているの」
……あの、学校周辺の案内は……?
「で、その二十郷の中心になるのが、これから行く山府地区という場所なの。ここはかつて山府郷と呼ばれていて、山御杜の鳥居前町として発展したところなのね。有名な山府五社のうち、四社がこの山府郷に集中していて、江戸時代以前から参拝客で凄く賑わっていたそうよ。この山府地区も、山側、上側、下側、向側に分けられていて、それぞれ特徴がある。ちなみに城下町は山府郷じゃなくて、その隣の上山郷ってところにあるの。正確には、『城下』だから『郷』ではないのだけれど、当時の為政者が、城下も上山郷に含めていたのよね」
分かった。この先輩、紬タイプなんだ。自分の知識をアウトプットしないと気が済まないタイプ。あんまり説明が長いと、終わる頃には俺、お爺ちゃんになっちゃうよ。ほれ見てみろ、紬さんがお仲間を見つけたとばかりに興奮しているじゃろう。こういうのを、類は友を呼ぶというのじゃ。
その後も、先輩のマニアックでディープな山府談義は続いた。あまりにも長いので、俺は半分くらい聞き流した。
空はどこまでも続く青一色。晴れて良かったなー。あれ、空が青い理由ってなんでだっけ? レイリー散乱だっけ? ミー散乱だっけ?
俺はもう、完全に先輩の話を聞いていなかった。
「……で、このお城っていうのが国宝になっていて、天守と本丸御殿が江戸時代当時のまま丸々残っている、国内でも貴重な存在なの。渡部君のご先祖様が住んでいた場所ね」
……ん? 今、凄いこと言わなかったか?
後ろを見ると、渡部君は最後尾にいた。星君と並んで歩いている。話を聞きに行きたいが、星君が邪魔だな。あいつうるせーからな……。
「……それで、その藩主の渡部家に仕える筆頭家老だったのが、室井君の家のご先祖様」
室井君の名前が出てきてドキリとした。そういえば以前、室井君は渡部君のことを殿と呼んでいた。そういうことだったのか。
これは直接、渡部君から話を聞いてみたい。俺は先輩の山府談義を抜け、列の後ろへと移動した。
「やあ司くん! 男子一人だけで寂しくなったのかい? 俺? 俺はもちろん、寂しかったさ」
やっぱり星君はうるさかった。
「俺は常々思うんだ。どうして人間て、無駄に争うんだろって。でも司君のようなチャーミングな人がいれば、世界平和って案外近いと思わないかい?」
こいつうぜー。薄っぺらいことを薄っぺらく言ってさらに薄くしたペラッペラの言葉しか喋んないじゃん。
「時彦、こちらに興味深いものがあります。一緒に見てもらえませんか?」
見かねた湯田さんが、星君を呼んでやんわりと連れて行ってくれた。なんて素晴らしい方なんだ。
星君は「もう、せっかく司君と友情を深めていたのに」とか言いながら、まんざらでもない様子で前へはけた。
渡部君はそんな星君を見ながら、苦笑している。
「相田君、気を悪くしないであげてくれ。彼は口調が軽いだけで、根は真面目で良い奴なんだ」
それは何となくわかる。彼の俺に対する言動は一貫して「友情を深めたい」なのだ。やかましいが、悪い気はしない。……やかましいが。
「大丈夫だよ。星君が良い人だってのはちゃんと分かってる」
「なら良かったよ」
渡部君は安心したように前を向きなおした。普段の貼り付けた笑顔と変わらない表情だが、口元にはいつもより笑みがこぼれている。
「そういえばさっき聞いたんだけど、渡部君って藩主の子孫だったの?」
何気なく聞いたつもりだった。
「……それ、誰から聞いた……?」
耳を疑いたくなるほど、怒気を孕んだ声が返ってきた。
「え、あの、その、五十嵐先輩がさっきお城の解説をしているときに……」
思わず狼狽えてしまった。えっと……何かまずいことを聞いてしまったのだろうか……。
「そっか……。まあ隠してることでもないし構わないけど、あまり詮索しないでくれると助かるかな」
渡部君は貼り付けた笑顔のまま、いつもの口調に戻った。だが、先ほどの笑みは無くなっていた。
「その……余計なこと聞いてごめん」
「いや、大丈夫。この話はこれで終わりね」
そういうと渡部君は、前にいる星君へ話しかけに行ってしまった。
それからのことは、あまり覚えていない。
自分は何か悪いことを渡部君にしてしまったのか。なぜあんなに拒否されたのか。以前話題になった六家と関係があるのか。このまま渡部君と気まずくなってしまうのか。そうすると、昔からの友人だった室井君や星君も渡部君の味方になるよな……。
一度マイナスな感情になると、とことんマイナスになってしまう。あの怒気を孕んだ声は、暫く頭から離れそうになかった。
いつの間にか、最後尾を一人で歩いていた。
ああ、この感じ、懐かしいな。ついこの前までクラスではこんな感じだった。
誰にも話しかけてもらえず、誰にも話しかけることもできず。
まさか部員が増えてから、この孤独をもう一度味わうとは思わなかったな……。
前を歩く部員たちが、とても遠い存在に思えてきた。このまま、こっそりフェードアウトしてしまおうか……。
そんな考えばかりが浮かんでくる。友人失格なばかりでなく、部長としても失格だった。




