第二部五話
部室へ戻ると、なかなか白熱した議論が交わされていた。みんな頑張れー。
俺は湯田さんの淹れてくれた緑茶をすすった。いつの間にか紅茶の他にもラインナップが増えている。あ、そういえば伊藤先生にイーフー・トゥアンの本を借りるのを忘れていた。ネット通販で買えるだろうか。家に帰ったら調べてみよう。
そんなことを呑気に考えていたが、一向に議論が収まる気配が見えない。何をそんなに真剣に議論しているのか、聞き耳を立ててみることにした。
「ですから、場所と記憶が結びついているのは明白なので、ここは皆さんの幼少期からの思い出に頼るしかないのです。私達兄妹には山府での記憶がありません」
「記憶っていうけど、思い出だけが記憶を形成しているわけではないわ。五感を通した体験が記憶になることもある。例えばサウンドスケープという言葉があって、視覚的なランドスケープに対して、音の風景として場所の記憶と結びついている場合が多い。無理に他人の思い出をほじくり返さなくても、十分活動として成り立ちます」
「わたくしは断然、こしあん派です。粒あんだと食感が気になってノイズになってしまいますわ」
「華恋、君はお子様だね。豆の食感が残る粒あんだからこそ、味だけに頼らずに素材を楽しむことができる、日本料理の神髄じゃないか。本当に分かってない」
「味も五感の一つね。例えば、母の味と呼ばれる、家庭ごとに異なる味付けが記憶に定着して、その味を思い出すたびに、その味を味わった場所へ行ったような感覚になる。これも立派なトポフィリアと言えるのではないかしら」
「そんなこと言ったら私のトポフィリアはハンバーガーチェーンになってしまいます。けど実際は東京で食べた味も山府で食べるハンバーガーも差がありません。山府でハンバーガーを食べるたびに東京を思い出すなんてことあるわけないじゃないですか」
「国内だけで考えるから駄目なのよ。海外留学して毎日ハンバーガーを食べていたとして、帰国してから日本のハンバーガーを食べてみなさい。全然違うから。そこで湧き上がる懐かしさこそ、トポフィリアと言っても過言でないわ」
「国ごとの味付けの違いを持ち出してトポフィリアと関連付けるのは暴論です。六花さんのトポフィリアは随分と大きいんですね。スケールが大きくなると部活動の範疇に収まりませんよ」
「ものの例えでしょう。そうやってなんでも極端に考えるから、ヤンキーになるなんて馬鹿なことをするようになるのよ」
「ヤンキーを馬鹿にしましたね。地元の工務店で働くヤンキーは地元のイツメンで仕事を回し、年収も東京の一般サラリーマンの倍近いと聞きました。決して馬鹿にできる存在ではないのです」
「イツメンで仕事回している以上、そこに経済的な発展性は皆無よ。新規で案件を取るからこそ、より広い繋がりが生まれて、そこから新しい知見を得ることができるの。イツメンが崩壊した時のリスクヘッジもできていないし、会社経営としてはナンセンス過ぎるわ」
「はい、六花さんも極端に決めつけてますね。イツメンで仕事を回すとは言いましたが、新規案件を取らないとは言ってません。結局、六花さんも売り言葉に買い言葉なだけじゃないですか」
……目が回ってきた。いや、この場合は耳が休まらないか? こいつらが何の議論してるかも謎だし、湯田さんはニコニコお茶をすすってるし、室井君は借りてきた猫のように大人しいし……。ここらで一旦止めるか。
俺は両手を上げ、バンザイの姿勢をとる。
「あのー皆さん。部長が帰還しましたよー。ボクのお話を聞いてちょんまげー」
俺は敢えてわざと古いギャグを繰り出した。どうだ。これで皆、俺に釘付けさ……。
「……紬、私、あなたに言い過ぎたわ。あれと比べたら、極端でも理論があるだけマシだった。ごめんなさい」
「いえ、こちらも、六花さんの指摘を冷静に受け止めていませんでした。あれと比べたら、きちんとした考えがある指摘はとても素晴らしいです」
「時彦さん、今日はこの辺で勘弁して差し上げます」
「華恋こそ、次はおにぎりについて熱く語ろうか」
…………俺、頑張ってるよね? バンザイの姿勢のまま同意を求めようと振り返ると、渡部君は声を押し殺して笑っていた。室井君は……なんか凄く目を輝かせている。俺のギャグがそんなに良かったか。だがしかし、俺が欲しいのは羨望でなく労いだ。湯田さんを見ると、こちらへニコリと微笑みバンザイした。
「驚き桃の木山椒の木ー」
…………ええ子や。雪白さんは見習うべきだ。絶対に。
全員が落ち着いたところで、テスト明け以降の活動について話し合うことにした。
「紬が言う通り、俺達兄妹は山府での記憶がほとんどないから、正直何が活動のネタになるか分かっていない。でも雪白さんの言い分ももっともで、活動するたびに自分の黒歴史を披露させられては堪ったもんじゃない」
俺は創部前の野外調査で、雪白さんが大いに恥ずかしがっていたことを思い出しながら発言した。
「なのでまずは簡単に、それぞれ部活に入る前の放課後を紹介し合うのはどうだろう。その人が普段見ている景色が、後々に思い出に変わり、やがてトポフィリアへとつながることもある。それに、普段当たり前に思っていたことも、他の人が見たら珍しかったりもする。そういった小さな発見から少しずつ活動を広げていくのが良いと思うんだ」
皆の反応を確認すると、なぜか全員黙って聞き入っていた。何か反応してくれないと怖いんだけど。
「とりあえず、普段放課後に何をしていたか教えてほしいな……。その内容から、トポフィリア研究に使えそうなことを選んでみよう。じゃあ室井君から時計回りで言ってってください。どうぞ」
室井君を指名すると、ビシっと背筋を伸ばして考え込む。……考えるときくらい楽な姿勢で良いんだよ?
「自分は放課後、授業が終わると家に帰って稽古をしていました」
「ほう。それで?」
「終わりです」
「えっ……何か他にないの? 曜日によって修行する場所が違うとか」
「稽古を行う場所は変わりません。内容も、毎日決まった内容です」
「そうなんだ。……ありがとう」
いきなり雲行きが怪しくなってきた。
「じゃあ次、大竹さん」
「はい! わたくしは週に二日ほど、補習を受けておりました。それ以外の日は部活動の見学を行っていましたわ!」
「ほう。どの部活を見学していたんだ?」
「全部ですわ!」
「はい?」
「ですので、山府義塾にある百二十六の部活動全部です」
「華恋は男子部の部活にも見学に行ってたわよね」
「ええ! 全ての部活を制覇するのが目標でしたので!」
こいつ、迷惑極まりないことこの上ないな。スタンプラリー感覚で部活動見学してたのか。どおりでやたらと他の部に詳しいわけだ。……てか部活多すぎない? 話が広がっても面倒だし次に行こう。
「では雪白さん、お願いします」
「私は授業が終わったら、この談話室で本を読んでいたわ。迎えが来たら帰宅。以上よ」
……全く発展性の欠片もない。つまらんな。
「今、何か失礼なこと考えていたでしょう」
「いえ、全く、そんなことは、ゴザイマセンヨ」
俺は紬にアイコンタクトで助けを求めた。紬は軽く頷くとスッと立ち上がり、重要事項を告知するかのように発表を始めた。
「私達兄妹は、放課後は主に母の仕事の手伝いをしていました。部活はやっていませんでした。しかし、それでも日々充実しており、特に兄さんなんか――」
「ストップストップ。もっと簡潔でいいから」
こいつは勢いに任せて何を喋りだすか分からん。不穏な要素は早めに止めるに限る。
「兄さんは現場を仕切るチーフ的な役割を担っていました。こう見えて兄さんは凄いんです。尊敬してます」
ありがとうねぇ紬ちゅあん。お兄ちゃんうれぴー! さっき俺のこと「あれ」呼ばわりしてたの忘れてねーからな……。
「御母堂は何の仕事をしているのですか?」
室井君がやけに畏まった言葉で聞いてくる。
「ああ、母さんは漫画家なんだ。俺達はその手伝い」
部室に驚きの声が広がった。あ、ちょっとマズったかも。今まで、母が漫画家だと言ってろくなことが無かった。すると大竹さんがズバっと手を上げる。
「はい! でしたら、なぜ漫画研究部へ入部なさらなかったのですか?」
「いや、紬と大竹さんが無理矢理この部活に巻き込んだんだろ。俺だって見学くらい行きたかったわ」
忘れたとは言わせない。あの怒涛の日々を……。これ以上、母について質問されるのも面倒なので、次へ行こう。
「じゃあ星君、どうぞ」
星君は何やら湯田さんとアイコンタクトをとっている。どうした?
「俺と小夜は家庭の事情で、放課後は家の用事を行うことが多かったな。基本的に小夜とペアになって行動するんだけど、パートナーとしてできることは全部やった。ああ、素晴らしき青春の日々! 小夜、これからもヨロシクね!」
「はい。家の用事のときだけ、よろしくお願いしますね」
湯田さんはニコニコしながらバッサリ言った。……星君、ドンマイ。残念イケメン、ここに極まれり。
しかしここまで、帰宅、見学、家庭の用事と、部活として何か発展性のある話題がほとんどない。最後に渡部君が残っているが大丈夫だろうか?
渡部君を見ると、「まかせて」とウインクしながら立ち上がった。
「僕の放課後は、授業が終わったら帰宅。その後は家の用事をこなすことが多かった。特に人に話せることは何もないね」
あーもー全滅じゃん。さっきのウインクは何だったんだ。
「とりあえず、僕たちでは了見が狭いのは分かりきっているんだから、先生に相談すれば良いんじゃないかな」
なるほど。そういえば前もそれで動いた実績がある。この後相談してみるか。
「じゃあこの後、職員室でどうするか相談するから、今日はもう解散で良いかな。この部室もテスト期間中は談話室に戻るから、使用するなら真面目に勉強しようね」
手短に注意事項を伝え、帰宅する準備を始めた。




