第一話
紬の発言から一夜明けた入学式の朝、記念すべき初登校の道を、俺は説教しながら歩いていた。
誰に何を説教しているかって? もちろん、妹に恋愛とは何かについて――だ。
「兄さんは好きな人がいたことあるんですか?」
「いや、ないけど。ないけどさあ」
痛い所を突かれてしまった。恋愛経験ゼロの俺が何を言ったところで、説得力は皆無だった。……妹の恋愛経験も知らないが。
お付き合いをするには手順がある。紬は恋愛指南書を片手に豪語する。
相手を知る。一緒に過ごす。一緒に食事をする。贈り物をする。相手の家族を知る。嫌な部分も受け入れる。これらを学校相手に実行すれば、愛着を得られるはずだ……と。
「とにかくまずは、相手を知ることからです。登校して相手の健康状態を確認しましょう」
「突っ込みどころがいくつかあるが、これは言わせて。……相手を知るって、健康状態の把握じゃないと思うぞ」
紬は「目から鱗です!」とか言っていた。まだ二、三個突っ込む箇所があるけど、どうしよう。
そうこうしているうちに、学校の正門へ到着した。
新天地での高校生活。何かが始まろうとしている。誰だってワクワクする――と、言いたいところだが、紬の相手をしていてすっかり疲れてしまった。こんなんで大丈夫なのか……。
そして、山府に越してきた後悔の念が早くも俺を襲っていた。
四月も二週目になったというのに、桜が咲いていない。それどころか、雪が降っている。
「まさかここまで寒いとは。噂には聞いていたが、春は遠いな……」
桜の入学式どころか、雪の入学式……。
絶対、一生思い出に残る。無理矢理ポジティブに考えてみた。
正門の先には、石造りの本部棟と、そこから左右へ伸びる校舎が並んでいた。奥に見える建物まで学校の敷地だとすれば、学校というより小さな町である。
「兄さん……」
隣を歩く紬が、小さな声で俺を呼んだ。なんだい?
「受付が分かれてます」
紬が指した先に、長机が二つ置かれている。
一方には、『中等部入学生受付』と書かれた札があり、新入生らしき集団と保護者が列を作っていた。もう一方には『高等部入学生受付』と書かれた札が立っている。
そちらには誰も並んでいない。
「空いていて助かるな」
呑気にそんなことを言いながら近付くと、係の教員が俺達を見つけ、立ち上がった。
「相田司君と、相田紬さんですね」
俺達はまだ名乗っていない。
俺と紬は顔を見合わせた。
「どうして分かったんですか?」
「今年、高等部から入学するのはお二人だけですから」
受付の上には、封筒が二通だけ置かれていた。なるほど。行列ができないわけだ。
山府義塾は中高一貫校で、高等部の一年生は八百人。そのほとんどが、同じ敷地にある中等部から進学してくる。
今年、内部進学の欠員募集として、学校は初めて高等部から外部生を募集した。そして、合格したのは俺と紬だけだった。
「外部入学生の第一号と第二号が、兄妹なんですね」
教員は感慨深そうに言った。
「大変珍しいので、既に学校史の担当へ伝わっていますよ」
学校の永い歴史に、俺達の名が刻まれたらしい。やめてくれ。
ふと視線を感じたので周囲を見てみると、高等部校舎へ向かう生徒たちがこちらを見ている。見慣れない顔が二つ並んで、誰も使わない受付に立っているのだ。目立たない方が難しい。
紬が封筒で口元を隠した。
「帰りたいです」
「おい、学校とラブラブパーリーピーポー大作戦はどこ行った」
「そんな陽キャな作戦名、付けてないです」
急に弱気になった紬を引きずり、クラス分けが貼りだされた正面玄関まで移動する。
俺は一年一組、特別進学クラス。紬は一年三組、一般進学クラス。クラスは二十組まであった。とんでもないマンモス校だ。
「それじゃ、ここからは別行動だな。お互い頑張ろう」
すっかり萎縮している紬にエールを送ると、気丈にも力強い言葉が返ってきた。
「早く学校と仲良くなりますね」
……仲良くすべきは学校とではなく、同級生とだ。
紬と分かれ自分の教室に入ると、皆が一斉にこちらを見た。さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返っている。
出席番号は五十音順だった。相田は一番なので、廊下側の一番前の席に腰を下ろす。
注目されるとは思っていたが、まさかここまでとは思わなかった。
結論から言おう。
クラスに四十人。知り合い同士が三十九人。部外者が一人。俺の孤立は、ものの数分で完成した。
誰も俺を無視しているわけではない。ただ、教室の会話はすべて中等部時代の続きから始まっている。
去年の担任。去年の大会。去年の大雪。去年の誰それ。高校編から突然登場した新キャラに、入れる話題はなかった。
その後の入学式とホームルームも、大きな変化がないまま終了した。
自己紹介では拍手をもらった。拍手が終わると、孤立に戻った。
帰り支度を始めたクラスメイトたちは、当然のように昔からの仲間と教室を出ていく。
俺も一人で席を立った。初日なのだから、仕方がない。
……問題は紬だ。
俺でさえこの有様なのだから、あいつは今頃、学校と仲良くなる前に机と一体化しているかもしれない。
待ち合わせをしている正面玄関へ向かう間に、慰めの言葉をいくつか考えた。
大丈夫。友達はそのうちできる。焦る必要はない。まずは学校より人間に話しかけよう。
「兄さん」
玄関へ着くと、紬は既に待っていた。
しかし、一人ではなかった。隣に、見覚えのない女子生徒がいる。
背筋が真っ直ぐに伸び、立っているだけなのに妙な圧がある。同じ制服を着ているはずなのに、なぜか彼女だけ豪華に見えた。
「お待たせ。……そっちの方は?」
「同じクラスの大竹華恋さんです」
「大竹華恋ですわ」
女子生徒は優雅に頭を下げた。そして顔を上げるなり、俺を鋭く見据えた。
「あなたが、この方のお兄様ですのね?」
「そうだけど」
「でしたら、妹さんが校舎を診察しているのを止めてくださいませ」
用意していた慰めの言葉が、全部消えた。
「……診察?」
「本館の壁に耳を当てていましたの」
俺は紬を見た。
「健康状態を確認していました」
「朝言ってたやつ、本当にやったのか」
「はい」
「それで、学校の具合は?」
「冷たかったです」
「そうか。今朝は雪だったからな」
「そのあと壁を軽く叩いて、反応も確認しておりましたわ」
「返事はありませんでした」
「そうか。学校は人見知りなのかもしれないな」
「気が合いそうです」
「兄妹揃って納得しないでくださいませ!」
大竹さんの声が玄関に響いた。
周囲にいた生徒が何事かと振り返る。
紬は気にした様子もなく、首を傾げた。
「ほかに健康状態を確認する方法が思い付きませんでした」
「だからといって、校舎を聴診する方がいらっしゃいますか!」
「聴診器は使っていません」
「問題はそこではありませんわ!」
どうやら紬は、俺の想像より元気に初日を過ごしていたらしい。
大竹さんは一度、大きく深呼吸した。……なんかごめんなさい。
「事情を尋ねたところ、紬さんはこの学校とお付き合いするつもりだとおっしゃいました」
「はい。場所への愛着を得たいので」
「それ自体は大変結構です」
「結構なのか?」
てっきり、そこから否定されるものだと思っていた。だいぶ心の広い人だ。
「山府義塾を好きになりたいとおっしゃる方を、拒む理由がありませんもの」
大竹さんは胸を張った。
「ですが、壁に耳を当てた程度で山府義塾を知ったつもりになられては困ります」
「まだ知ったつもりにはなっていません」
「ならなくて正解ですわ。山府義塾は、壁一枚で分かるほど薄い学校ではありません!」
大竹さんは力強く言い切った。……否定するところ、それで合ってる?
「では、どうすれば学校を知れますか?」
紬が尋ねると、大竹さんは待っていましたとばかりに笑った。
「わたくしがお教えします」
「どうして大竹さんが?」
「この学校の魅力を知らない方が目の前にいるのです。放っておけるはずがありませんわ」
余計なお世話だった。だが紬は、嫌がるどころか真剣に頷いている。
「お願いします」
「お任せください。まずは明日の放課後、校内をご案内します」
「それなら、さっき――」
「ただの校内見学ではありません」
大竹さんが俺の言葉を遮った。面倒事の匂いがするぞ。
「紬さんと山府義塾の、初デートですわ!」
玄関にいた生徒たちが、再びこちらを見た。
初日から、妹が学校とデートすることを知られてしまった。……最悪。
「デートコースは、わたくしが考えます。紬さんを必ず山府義塾に惚れさせてみせますわ」
「……学校側の許可は取らなくていいのか?」
「わたくしが許可します」
「お前は学校の何なんだ……」
「仲人ですわ」
無機物との仲人だと言い切ってしまった。だいぶ危ない人なのかもしれない。
「では、明日の放課後、お兄様も正面玄関へいらしてください」
「え、俺も参加するのか?」
「紬さんの恋愛を応援しているのでしょう?」
「兄さん」
紬が俺を見上げる。どうしたんだい?
「応援してください」
夕飯の席と同じ言葉だった。
ただし今度は、隣に学校との仲人がいる。
「……分かった。行くよ」
「決まりですわね!」
大竹さんは、なんだか楽しそうだった。




