第十三話
放課後。
帰り支度をしていると、机の横へ大きな影が落ちた。
一瞬、雪白さんかと思って顔を上げると、室井君が真っ直ぐな姿勢で立っている。
「司殿。男同士で、お話ししたいことがあります」
「……ずいぶん物騒な前置きだな」
「女性の皆様がいる前では、お話ししづらかった内容です」
「そ、そうか。でも俺、物騒なの苦手なんだけど……」
「争うつもりはありません」
そこは安心した。武道家の室井君と勝負なんてしたら、ひとたまりもない。
室井君に連れられ、武道館の脇まで移動する。
校舎からは少し離れており、近くに人はいない。建物の中から、竹刀のぶつかる音と掛け声だけが聞こえてきた。
男同士の話をする場所として、少々圧が強い。
「それで……話って?」
尋ねると、室井君は俺の正面へ立った。
「司殿が山府研究部を離れた理由について、伺いたいと思いました」
「活動報告に書いた通りだよ。山府を好きになるどころか、東京へ帰りたくなった」
「その理由までは、伺っておりません」
確かに、一行しか書かなかった。
「戻るよう説得するため?」
「いいえ、違います」
室井君は即答した。
「司殿が戻るかどうかは、司殿が決めることです。ただ、自分は何も知らないままです。それが、良くないように思いました」
相変わらず、真っ直ぐに真面目だった。俺はどこから話せばいいのか考える。
「土曜日、五社を回っただろ」
「はい」
「雪白さんは式社で転んだことがあって、大竹さんは末社の鶏に追いかけられたことがある。室井君は、内社の祭礼に昔から参加してる」
「……はい」
「みんな、行った場所に昔の話があった。でも俺には、何もなかった」
俺が知っている山府は、引っ越してきてからのものだけだ。
「本社も、式社も、内社も、古社も、末社も、俺にとっては土曜日が最初だった。みんなと同じ場所を歩いているのに、俺だけ……いや、紬もだけど、俺達には、その前がないんだ」
室井君は何も言わずに聞いていた。
「その日の夜、撮った写真を見たんだ。……山府で撮った写真に俺が写っていたのは、最後の集合写真だけだった」
「司殿が撮影していたためではありませんか?」
「うん。そうだよ」
そこは、単純な話だった。
「でも、偶然見た東京の写真には、何枚もの写真に俺が写ってた」
前の家。通学路。駅前の店。中学校の教室。思い出すだけで、写真の続きを見ているように景色が浮かんだ。
「土曜日は楽しかった。……だから、東京でも同じように誰かと歩いたり、ご飯を食べたりしてたことを思い出した。山府で楽しい思いをしたせいで、東京に置いてきたものまで、はっきり見えたんだと思う」
話し終えると、武道館から聞こえる掛け声が急に大きく感じられた。
室井君はしばらく黙っていた。やがて、ゆっくりゆっくり、自分の考えを話してくれる。
「自分は、山府を離れたことがありません。ですから、司殿のお気持ちは分かりません。分かったふりもできません」
「……うん」
「しかし、自分の気持ちなら分かります」
室井君は、いつものように背筋を伸ばし、一度言葉を切った。
「昨日、司殿は談話室へいらっしゃいませんでした」
「もう部員じゃないから」
「はい。四人でも話し合いはできました。ですが、司殿がいないことを、自分は寂しいと思いました」
室井君の口から出た言葉とは思えず、すぐには返事ができなかった。
「活動へ戻っていただきたい、という話ではありません。戻る必要もありません。司殿が納得できないまま活動を続けるべきではないと、自分も思います」
「じゃあ、何が言いたいんだ?」
「部を辞めることと、自分たちの友人でなくなることは、同じではないはずです」
室井君は、俺から目を逸らさなかった。
「ですから、友人であることまで、辞めないでいただきたいです」
……あまりにも真っ直ぐで、冗談にする余地もなかった。
「……俺たち、いつから友達になったんだ?」
我ながら、ずいぶんと子供じみた返しだ。
しかし室井君は、真剣に考え始めた。腕を組み、視線を少し下げる。
「少なくとも、土曜日には友人だと思っておりました」
末社で撮った集合写真が浮かんだ。つい数週間前まで、存在も知らなかった人達と、五人で並んでいる。その中には室井君がいて、俺もいた。
「……そうか」
それしか言えなかった。
友達でないとは、どうしても言えなかった。




