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第十一話

 翌日の火曜日。

 俺は紬が玄関から出てくるのを待って、一緒に登校した。

 昨日から何となく気まずい。あの後も一緒に帰ったが、会話はなかった。

 紬は紬で思うところがあるのだろう。昔から俺に無茶ぶりするくせに、俺の感情に敏感だった。そんな紬に余計な負担をかけないよう頑張っていたが、このざまだ。

 世界のお兄ちゃん、こんな私を笑ってください。

 教室に入ると、雪白さんは相変わらず一人で本を読んでいた。

 どこまでもブレない人だ。そのブレなさが、今はありがたい。

 俺は教科書を鞄から出すと、机の中へ入れた。

 黒板の上には、『文武不岐』と書かれた額が、教室を見下ろしている。

 文(勉学)と武(武芸)は根底で繋がっており、切り離して考えるものではない――という意味らしい。

 その校是のもと、この学校では必ず部活に所属しないといけない。しかし、具体的な期限は言われていない。

 ならばいっそ、勉学に励むのも良い。

 このクラスは特別進学クラスというだけあって、他のクラスより授業の進みが速い。

 将来の夢も行きたい大学も特に決まっていないが、やることがないなら勉強しよう。


 放課後を知らせるチャイムが鳴ると、俺は教科書を鞄へ入れた。

 教室では、クラスメイトたちが部活動の話をしている。練習場所や集合時間を確かめながら、何人かずつ連れ立って出ていく。

 俺も席を立った。

 昇降口へ向かう途中、三階へ続く階段が目に入る。

 この階段を上がり、その先の廊下を一番奥まで進めば、生徒談話室がある。

 上の階から大竹さんらしき声が聞こえた。あの声量なら、一階まで届いても不思議ではない。

 足が階段の方へ向きかけたが、その場で止まり、昇降口へ向き直った。

 もう部員ではない。

 行く理由もない。

 靴を履き替え、正門を出る。

 紬を待たずに一人で帰るのは、山府へ来てから初めてだった。

 これでいいんだ。

 やりたくない活動を続ける必要はないし、部長を押し付けられる心配もない。放課後をどう使おうが、俺の自由だ。

 家までの道のりを、一人で黙々と歩く。これで安心できるはずだった。

 それなのに、家へ着いて鞄を下ろすと、何かを置き忘れてきたような気がした。

 念のため鞄の中を確認した。教科書も筆箱も入っている。

 忘れ物はなかった。

 なかったはずなのに、その感覚だけは消えなかった。


 水曜日の朝。

 教室へ入ると、雪白さんは既に一番後ろの席で本を読んでいた。

 昨日、俺が談話室へ行かなかったことは知っているはずだ。

 目を合わせないまま自分の席へ座り、一時限目の教科書を机の中へ入れる。

 鞄を閉じたところで、机の横に人が立った。

 雪白さんだった。

「今日も、談話室には来ないの?」

 活動の連絡でも、伊藤先生からの伝言でもなかった。

 雪白さんは、ただ俺に尋ねた。

「行かないよ。もう部員じゃないから」

「そう」

 それで話は終わると思った。

 しかし雪白さんは、自分の席へ戻らなかった。

「あなたが来ないと困るわ」

 困る。

 その言葉を聞いた瞬間、一昨日の設立申請書が頭に浮かんだ。

 設立部員は四人。申請には、あと一人必要だった。

「五人いないと、申請できないから?」

 雪白さんは答えなかった。

 その沈黙を、俺は肯定だと受け取った。

「だったら、別の人を探せばいいだろ」

 思っていたより、強い声が出た。

「雪白さんは、俺たちを談話室から追い出すために入ったんだろ。俺が来なくなったなら、むしろ都合がいいじゃないか」

 雪白さんは、驚いた顔をして本を抱え直す。

 それでも俺は止まらなかった。

「今さら俺がいなくても、困らないだろ」

 一昨日、誰にも責められなかったこと。

 昨日、一人で帰ったあと、何かを忘れたように感じたこと。

 自分でもどうすればいいのか分からないものまで、言葉と一緒に出ていく。

「雪白さんは山府で生まれて、ずっとここで暮らしてきた。山府に昔からの思い出がいくつもある」

 声がさらに大きくなった。

「東京を出なくちゃいけなかった俺の気持ちなんて、雪白さんには分からないだろ」

 教室の話し声が消えていた。

 何人ものクラスメイトが、こちらを見ている。

 気づいたときには、もう遅かった。

「俺は部には戻らない。だから、もう放っておいてくれ」

 雪白さんは何も言い返さなかった。

 しばらく俺を見たあと、小さく答えた。

「そう」

 それだけ言って、自分の席へ戻っていく。

 教室の空気が重い。

 誰も俺に声をかけない。俺も、誰の顔も見られなかった。


 一時限目の授業が始まった。

 先生の声は聞こえている。しかし、何を説明しているのか全く頭に入らなかった。

 さっきのやり取りばかりが浮かんでくる。

 雪白さんは、五人必要だとは一言も言っていない。

 部へ戻ってほしいとも言わなかった。

 ただ、俺が来ないと困ると言った。俺はその意味を勝手に決めつけてしまった。

 確かに雪白さんは、俺たちを談話室から追い出すために入部した。

 だが、五人集まっても部室がもらえるとは限らないと知ったあとも、入部届を取り返さなかった。

 野外活動計画をまとめ、毎日誰よりも早く談話室へ来て、土曜日には五社を一緒に歩いた。

 一昨日の報告書にも、変化はなかったと言いながら、用紙の下まで書いていた。

 それなのに俺は、最初に入部した理由だけを引っ張り出した。

 それに、雪白さんは東京を悪く言っていない。俺の気持ちを否定したこともない。

 俺が勝手に自分の気持ちを持ち出して、勝手に並べ立て、勝手に吐き出した。

 分からないだろうと決めつけて、雪白さんの話を聞こうともしなかった。

 しかも、クラス全員がいる前で怒鳴った。

 完全に八つ当たりだ。

 昼休みになったら、雪白さんに謝ろう。

 言い訳はしない。まず、「ごめん」と言う。話はそれからだ。


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