2話
それから数日後、魔導昇格試験に向けた共同研究は着々と進んでいた。
ミモザが組み立てた緻密な魔力循環の回路図に、レオノールドの圧倒的な魔力を流し込む。二人の息は完璧に合っており、実験室で生み出される試作魔導具の輝きは、指導教官すら目を見張るほどの精度を誇っていた。
しかし、二人の距離が縮まれば縮まるほど、周囲の冷酷な悪意もまた濃さを増していった。
◇
「あら、ミモザ。またあの人と一緒にいるの?」
放課後、女子更衣室で着替えをしていたミモザの元へ、クロエが取り巻きの令嬢たちを連れて現れた。
クロエは腕を組み、不機嫌さを露わにしながらミモザを睨みつける。
「前回も言ったはずよ。あなたのような平民上がりの貧乏貴族が、グランヴェルグ公爵家の令息に近づくなんて身の程知らずもいいところだわ」
「クロエ……何度も言わせないで。これは学園から指定された課外研究なの。私の一存でやめられるものではないわ」
「ふん、どうだか。本当はレオノールド様を誘惑して、玉の輿でも狙っているのでしょう? みっともないわね」
取り巻きの令嬢たちがクスクスと品のない笑い声をあげる。
ミモザは唇をかみ締め、反論を飲み込んだ。ここで口論になれば、クロエの父であるダンバース公爵の権力を使って、本当に奨学生推薦を取り消されかねないからだ。
「まあいいわ。……あなたがどれだけ悪あがきをしても、無駄だということを思い知らせてあげるから」
クロエは意味深な捨て台詞を残すと、取り巻きを連れて去っていった。
一人残されたミモザは、胸のざわつきを抑えることができなかった。
◇
同じ頃、男子訓練場の控室でも、不穏な空気が漂っていた。
レオノールドが翌日の実習で使用する魔導触媒の手入れをしていると、ジュリアンがずかずかと踏み込んできた。
「レオ! まだあの女と研究を続けているのか!?」
「……ジュリアン。何度も同じことを聞くな。明日はいよいよ昇格試験の予備実験だ。邪魔をしないでくれ」
ジュリアンは机を強く叩き、悔しげに顔を歪めた。
「邪魔をしているのはあっちだろ! お前は分かっていないんだ! ヴァルハイドの家がどれだけ困窮しているか知っているのか? あいつはお前の威光を利用して、自分の実家の借金を帳消しにしようとしているんだぞ!」
「根拠のない噂を信じるな。彼女の実家は質素だが、誇り高く誠実な家柄だ。彼女自身も、誰より努力して奨学生の座を勝ち取った」
「ちがう! お前は騙されているんだ! お前はいつもそうだ、冷酷なフリをして人を見る目がない! 幼馴染の俺が守ってやらなきゃ、お前はいつか利用されて破滅するんだぞ!」
ジュリアンの言葉には、親友としての心配ではなく、狂信的な独占欲と自己満足が透けて見えていた。
幼い頃から、何をやっても完璧なレオノールド。ジュリアンはその隣に立つことで己のプライドを保ってきたのだ。レオノールドが自分以外の「特別な存在」を作ることを、ジュリアンの自尊心が許さなかった。
「もういい、ジュリアン。これ以上ミモザを侮辱するなら、幼馴染であっても容赦しない」
レオノールドが静かに、しかし絶対的な威圧感を込めて吐き捨てると、ジュリアンは言葉を失い、恐怖で一歩後退った。
「……くそっ。後悔しても知らないからな!」
ジュリアンは捨て台詞を残し、逃げるように控室を飛び出していった。
◇
その日の夜、学園の旧校舎の一室で、密かに二つの影が交差していた。
「……来たわね、ジュリアン様」
暗闇の中で待っていたのは、クロエだった。
ジュリアンは忌々しそうに舌打ちをしながら、彼女の前に立つ。
「ダンバース嬢。お前の言う通りだったよ。レオの奴、あの女に完全に毒されている。俺の言葉すら聞こうとしない」
「でしょう? あの女は大人しい顔をして、男をたぶらかすのが得意なのよ。このままでは、レオノールド様はあの女の思い通りになってしまうわ。……それで、計画の準備はできているの?」
クロエの問いに、ジュリアンはポケットから小さなガラス瓶を取り出した。
中には、禍々しい紫色の液体が満たされている。
「ああ。魔力回路を一時的に暴走させる『腐触の触媒』だ。これを明日の予備実験で使うミモザの魔導具に仕込む」
「いい考えね。実験中に魔導具が暴走すれば、彼女は危険な危険物を持ち込んだ罪に問われる。奨学生の資格剥奪どころか、学園を追放されるわ」
「レオも、自分の命を危険に晒した女を二度と信じなくなるはずだ。……あの女さえいなくなれば、レオはまた俺の元に戻ってくる」
二人は暗闇の中で、醜い歪んだ笑みを交わし合った。
お互いに「自分こそがレオノールドに相応しい」「自分こそがレオノールドの理解者だ」という傲慢な欲望のために、一人の少女を陥れようとしていた。
◇
翌日。昇格試験に向けた予備実験の時間がやってきた。
大実験室には、多くの生徒や指導教官が集まっている。
ミモザとレオノールドは、中央の実験台で入念な最終チェックを行っていた。
「ミモザ、顔色が悪いぞ。緊張しているのか?」
レオノールドが心配そうに覗き込んでくる。
ミモザは力なく微笑み、首を振った。
「ううん、大丈夫。……ただ、少し嫌な胸騒ぎがして」
「大丈夫だ。お前の作製した回路は完璧だ。俺の魔力も完全に同調させている。何があっても俺が守る」
「レオ……」
力強い言葉に、ミモザの心が温かいもので満たされる。
二人は互いに頷き合い、試作魔導具『星導の涙』の起動実験を開始した。
ミモザが魔力回路に微弱な光を灯し、レオノールドがその光に包まれるように自身の魔力を注入していく。
青と銀の美しい光が交差し、実験室中に神秘的な輝きが広がった。教官たちからも感嘆の声が漏れる。
(すごい……! これなら、絶対に昇格試験に合格できる……!)
ミモザが希望に胸を膨らませた、その瞬間だった。
カチリ、と異様な音が魔導具の内部から響いた。
「……え?」
次の瞬間、青く澄んでいた光が、濁った赤黒い色へと一変した。
魔導具の表面に亀裂が走り、内部から不気味な圧力が膨れ上がっていく。
「なっ……魔力回路が逆流している!? なぜだ!」
教官が叫ぶ。
「ミモザ、離れろ!」
レオノールドが咄嗟にミモザを抱き寄せ、自身の身体で庇い立てした。
ドカンッ!!!
激しい爆発音とともに、黒煙が実験室を満たした。
レオノールドの強力な防御魔法のおかげで二人には怪我はなかったものの、実験台は粉々に砕け散り、試作魔導具は無惨な煤の塊となっていた。
「ゴホッ……ゴホッ! レオ、大丈夫!?」
「ああ、問題ない。お前は怪我はないか!?」
「私は大丈夫……でも、どうして……? 回路の計算は何度も確認したはずなのに……!」
ミモザが蒼白な顔で震えていると、煙の向こうから歩み寄ってくる人物がいた。
クロエとジュリアン、そして憤怒の表情を浮かべた学園長だった。
「恐ろしい……! 一歩間違えれば、レオノールド様が大怪我をされるところでしたわ!」
クロエが大袈裟に悲鳴を上げ、ミモザを指差した。
「学園長先生! 彼女です! ミモザ・ヴァルハイドが、功名心から禁忌とされる危険な高圧触媒を勝手に使用したのですわ!」
「な、なんですって……!? 私そんなもの使っていません!」
ミモザが叫ぶが、ジュリアンが追い討ちをかけるように言った。
「嘘をつくな! 俺は見ただぞ! 昨日の放課後、お前が闇市場で取引される腐触の触媒を鞄に入れていたのを!」
「そんな……見覚えもありません! 嘘です!」
「静粛に!」
学園長の厳格な声が響き渡った。
学園長は落ちていた魔導具の破片を魔法で検分し、重い面持ちで溜め息をついた。
「……確かに、この破片からは禁忌とされる『腐触の触媒』の痕跡が検出された。ミモザ・ヴァルハイド。危険物の持ち込みおよび、同級生を重大な危機に晒した罪により――」
「待ってください!」
声を張り上げたのは、レオノールドだった。
彼はミモザを背中に庇い、学園長を強い瞳で見つめた。
「ミモザがそのようなことをするはずがありません。彼女の理論は誰よりも緻密で、安全性を最優先にしていました。何者かが意図的に罠を仕掛けた可能性があります!」
「レオノールド様! なぜそこまでその女を庇うのですか!?」
クロエが焦ったように声を上げる。
「彼女はあなたを騙しているのですわ! あなたを傷つけようとしたのですよ!」
「黙れ、ダンバース嬢。俺が信じているのは彼女の技術と人柄だ。根拠のない妄言に惑わされるつもりはない」
レオノールドの毅然とした態度に、ジュリアンは顔を歪めた。
「レオ! なんでだよ! なんで俺の言うことを信じないで、そんな女を信じるんだよ!!」
「ジュリアン、お前こそなぜそこまで彼女を陥れようとする? 幼馴染だからこそ、今の異様な執着は見過ごせない」
「くっ……!」
現場は騒然となり、収まりがつかない状態となった。
学園長は深く眉間にしわを寄せ、裁定を下した。
「……双方が主張を譲らぬ以上、真相の究明が必要だ。しかし、痕跡が出た以上、ミモザ・ヴァルハイド。お前を明後日の最終昇格試験まで謹慎処分とする。また、試験までに無実を証明できぬ場合、奨学生資格の取り消しおよび退学処分とする」
「学園長!」
レオノールドが抗議しようとしたが、ミモザは静かに彼の袖を引っ張った。
「……わかりました。謹慎に従います」
「ミモザ!?」
「大丈夫です、レオ。私はやっていません。だから……絶対に諦めません」
顔色を失いながらも、ミモザの瞳には小さな信念の火が灯っていた。
しかし、残された時間はわずか二日。
謹慎を命じられ、寮の一室に閉じ込められたミモザに、逆転の術はあるのだろうか。
物陰で暗い満足感に満ちた笑みを浮かべるクロエとジュリアンを、レオノールドは冷徹な眼差しで見つめていた。




