第8話 意外な申し出
「友達!?」
マリア様の言葉に、私は手にしていたコーヒーフレッシュを取り落とす。
それは運悪く液体の中に墜落し、熱々の紅茶が周囲に飛び散った。
「あーあ、やっちゃった……」
なんとも恥ずかしい失態だ。
真っ先に制服へはねていないか確認する。白いブレザーのため、汚れたら目立つのだ。……よかった、無事だ。
「大丈夫?」
マリア様が紙ナプキンを渡してくれる。
テーブルの上を拭きながら、私はなんとか彼女の言葉を呑み込もうとしていた。
あのマリア様が、私と友達になりたいと言っている。
……いや、そんな馬鹿な。
学校一の人気者が、平凡な私と仲良くなりたいなんて――わかった。これはきっと、タチの悪いドッキリだ。
しかし、すぐに思い直す。性格もいいマリア様が、そんなことするわけない。
――ということは、本気?
「でも、どうして? マリア様、いや聖さんにはたくさん友達がいるよね」
マリア様は首を横に振る。
「確かに私のことを慕ってくれる人たちは多いわ。だけど、皆が私に抱いているのは、憧れや尊敬といった感情。それが悪いとは思わないけれど、神様のように崇められていると、時々息が詰まるの」
そう言うと、マリア様は悲しげに目を伏せる。長い睫毛が影を落とした。
「……」
あのマリア様にも悩みがあったのか。
こういう時、なんて声をかけてあげればいいのだろう。
「最近では日常生活にも支障が出て困っているのよね――たとえば、今年は陸上部に二十人の入部希望者が来たのだけれど、約半分がマネージャー志望だったのよ」
「そうなの!?」
さすがにそんなにいらないと思う。
「それって、全員聖さん目当て?」
「ええ。もちろん何人かにはあきらめてもらったのだけれど、それに納得できない子もいるみたいで……」
なるほど…そのせいで、マネージャーに選ばれた双葉さんがあんな目に遭ったりしているのか。それなら先輩として責任を感じてしまうのもわかる。
空になったティーカップを眺めながら、マリア様はため息をつく。
「学校にいると、常に誰かの視線を感じて気が抜けないの。皆の期待を裏切ってはいけない。彼らの理想の『マリア様』を演じなくちゃ、って」
「あ……」
どうして今まで思い至らなかったのだろう。
マリア様、なんて呼ばれて偶像化されているけれど、彼女だってごく普通の女子校生なのだ。四六時中特別扱いされていては疲れてしまう。
「昔から私のことを知っている清隆といるのは楽だけど、このまま彼に甘え続けるわけにはいかないわ。だから、自分を変えるために一歩踏み出してみようかなって思ったの」
……強いな、彼女は。
たとえ悩みを抱えていても、マリア様――いや、マリアは自分を変えようと常に努力している。それが私には眩しく思えた。
「でも、どうして私なの?」
「神崎さん。あなた、私とは小学校も中学校も一緒よね」
「……そういえば」
指摘されて、初めてその事実を思い出した。
実は、中学までの彼女のことはほとんど印象に残っていない。
なぜなら、マリアは元々体が弱く、滅多に学校に来なかったから。
……病弱属性までついているなんて、ますます私よりもお嬢様っぽいじゃないな。
「なんとなく知っている人の方が安心できるのよね。それに、清隆があなたのことをよく話しているから」
「え、市之瀬君が?」
彼は私のことをなんて言っているのだろう。
気になる。すごく気になる。
「清隆って、少し変わっているでしょう? でもあなたは、そんな彼とも仲良くしてくれる親切な人。だから私も仲良くなりたいなあ、って」
「そんな、市之瀬君とはそんな仲じゃ……」
「あら、そうなの?」
「いや……まあ、悪くはないかな」
マリアと市之瀬君の関係を応援している立場としては、肯定しづらい。私は曖昧に言葉を濁した。
とはいえ。
「……」
マリアの、期待と不安に満ちたまなざしが私に向けられている。
気まずい要素はあるものの、私と友達になりたいと言ってくれた事実はとてもうれしかった。
「――わかった。これからよろしくね、マリア」
私はマリアに手を差し出す。
彼女は年相応の、無邪気な笑顔を見せてくれた。




