第6話 癖つよ後輩ちゃん
ある日のこと。
一人の女子生徒が私の教室を訪ねてきた。
「あ、あの神崎先輩」
私の目の前に立った彼女は、両手を背中に隠し、恥ずかしそうにうつむいている。
一瞬誰だかわからなかったが、ネクタイの色を見てピンときた。
「あなた、もしかしてこの間の……」
下級生水ぶっかけ事件から約一週間。
彼女のことは密かに気にしていた。
「はい。1年A組の双葉桃といいます」
こくこく、と小動物のような動きで双葉さんは頷く。彼女の動きに合わせて、癖のないボブカットの黒髪がサラサラと揺れた。
おそらく、私のことは原先生から聞いたのだろう。
私はあらためて双葉さんの顔を確認する。
あの時は水に濡れていたせいでよくわからなかったが、彼女はかなりの美少女だった。
くりっとした瞳。雪のように白い肌。まるでお人形さんのような顔立ちである。
おまけに、小柄で華奢。
ふわふわとした、いかにも女の子らしい雰囲気。
マリア様とは系統が違うが、彼女もモテそうだ。
「あの時は大変だったね。しばらく休んでいたって聞いたけど、もう大丈夫なの?」
「はい。ちょっと風邪ひいちゃったんですけど、ようやく治りました――それで、そのぅ」
双葉さんは、背中に隠していたお菓子の袋を私に差し出す。中にはクッキーが入っていた。
「えっ! これ、もしかして手作り?」
衝撃の事実に気がつき、つい大きな声を出してしまう。
星やハート、お花――様々な形に切り抜かれたクッキーは、お店で売られているものと見間違うほどに綺麗だった。ラッピングも丁寧。
どうやら、彼女は相当器用らしい。
「これは助けていただいたお礼です。本当にありがとうございました」
「そんな、私は結局何もできなかったのに」
私がしたことといえば、彼女に声をかけただけ。保健室に連れて行ったのは原先生だし、いじめを止めることもできない。
だから、お礼を言われるようなことは何もしていないのだ。
しかし、双葉さんは首を横に振る。
「あの時、先輩に声をかけていただいてほっとしました。高校に入学したばかりなのにあんな目に遭って、世界のすべてがわたしの敵になった気がしていたんです――でも、そうじゃないってわかったから」
「双葉さん……」
「わたしの気持ち、受け取ってくれますか?」
小柄な双葉さんは、大きな目を潤ませて私を見上げる。その瞳に見つめられたら、断ることなんてできそうになかった。
「……うん。わかった」
私の行動も無駄じゃなかった。
そう思うと、少しうれしい。
けれども、同時にひどく申し訳ない気持ちにもなった。
普段の私だったら、厄介事には決して首を突っ込まない。今回の件だって、教師に報告したとは思うが、いじめられている子に声をかけたりはしなかったはずだ。
だけどあの時、市之瀬君の顔がちらついた。
もしかしたら彼が見ているかもしれない、そう思ったから体が動いた――つまり私は偽善者なのだ。
ちょうどその時、市之瀬君が教室に入ってきた。
「神崎、おはよう!」
「あ、おはよう」
「ああ」
双葉さんに気を取られていたせいか、反射的に挨拶を返してしまった。
相変わらず、市之瀬君の顔を見るだけで緊張してしまう。
「どうしたんだ、その子。神崎の知り合いか?」
「うん。ちょっとね」
「へえ。あ、俺、神崎の隣の席の市之瀬。よろしくな」
人見知りしない市之瀬君は、初対面の双葉さんにも元気よく声をかける。
だが、次の瞬間。チッ、と舌打ちの音が聞こえてきた。
「男が話しかけてくるんじゃねぇ」
「え」
かわいい女の子から飛び出したとは思えない重低音に、市之瀬君の笑顔が固まる。
彼を見る双葉さんの目は、まるで汚物でも見ているかのように冷ややかだった。
「ふ、双葉さん……?」
私の視線に気がつくと、彼女はコロッと表情を変えた。人懐っこさを感じさせる、愛らしい笑み。
……本当に同一人物だろうか。
「それでは失礼しまぁす」
双葉さんはちょこん、と一礼してから去っていった。
「……」
「……」
残された私は、市之瀬君と顔を見合わせる。
……なかなか癖の強い子かもしれない。
◇◇◇
しかし、この話にはさらに続きがあった。
同じ日の休み時間。
「神崎さん、いる?」
ぼんやりと考えごとをしていた私は、ワンテンポ遅れて顔を上げる。
「俺が呼んでもなかなか反応しないくせに」と、市之瀬君からは非難がましい視線を向けられたが、よく考えたらこのクラスに神崎は一人しかいないのだ。
深く考えずに教室の入口へと視線を向け、
「へっ?」
思わず間の抜けた声を上げてしまった。
「えっ……マリア様? えぇ?」
――なんと、学校一の人気者、マリア様が私を訪ねてきたのだ。
「神崎さん」
私はピシッと姿勢を正す。
「は、はい! なんでしょう!?」
「……」
一瞬、マリア様が目を伏せる。困ったような、悲しそうな表情に見えたが、気のせいだろうか。
すぐに彼女はいつもの優雅さを取り戻す。
「金曜日の放課後、空いているかしら。二人きりでお話がしたいのだけれど」
なんですって!?
驚きのあまり、私はイスから腰を浮かせかける。
そんなの、断るなんて選択肢は存在しない。
「ももももちろん大丈夫です!! 喜んでっ!!」
いくらなんでもテンパりすぎだ。
そんな私の姿を馬鹿にするでもなく、マリア様はうれしそうに顔をほころばせる。
彼女は制服のポケットからスマホを取り出した。
「ありがとう。それじゃあ、詳細はLIMEでやり取りしましょう」
スマートに連絡先を交換すると、マリア様は颯爽と去っていった。
……ああ、後ろ姿まで美しい。
「……」
私は呆然と、トークアプリLIMEの画面を眺める。
友だちリストに追加された「聖マリア」の文字。
いまだに夢でも見ているような心地だった。クラスメイトからの、嫉妬丸出しの刺々しい視線にも気づけないくらいに。
――それにしても、あのマリア様が私を呼び出すなんて。いったいどんな用件だろう。




