第5話 市之瀬君観察記録その2
別の日。
朝のホームルームが終わった途端、市之瀬君から声をかけられた。
「神崎。悪いけど教科書見せてくれないか」
市之瀬君は意外とおっちょこちょいだ。
芸術面では様々な才能を見せてくれる彼だが、苦手(=興味が持てない)分野だとぽんこつ気味である。
今言うということは、1時間目の話だろう。
「いいよ。現代文だよね?」
「ああ。あとは化学と日本史、英語、それから数学Ⅰ……」
「多くない!?」
ほとんどすべてじゃないか。
「明日の時間割と間違えて持ってきたんだ」
「そんなことある?」
市之瀬君は恥ずかしそうに頭をかいている。
まあ困った時はお互い様だし、断る理由もないか。
机をくっつけると、いつも以上に市之瀬君との距離が近くなる。
授業中、私はこっそり彼の横顔を観察した。
透明感のある白い肌。憂いを帯びた長い睫毛。首を動かすたびに揺れる、柔らかそうな髪。
変わった性格のせいで皆には気づかれていないが、市之瀬君はマリアと並んでも遜色ないほどの美形だった。
彼は口をきゅっと引き結び、熱心に教師の話に頷いている。ただしノートは真っ白だ。
(へえ、市之瀬君はノート取らないタイプなのか)
授業終了後、市之瀬君は私に頭を下げた。
「神崎、悪いけどノート貸してくれないか」
私はずっこけた。
……さっき見せた真剣な表情は何だったんだ。
市之瀬君は申し訳なさそうに手を合わせる。
「実は、先生のネクタイの柄を夢中になって眺めていたら、いつの間にか授業が終わっていて……」
「な、なるほど?」
確かに変わった模様ではあった。幾何学模様ってやつかな。
でも、一時間ずっと眺めているだなんて。
市之瀬君の集中力を間近で体感し、少し感動してしまった。
◇◇◇
午後一番の授業は眠くなる。特に数学はつらい。
数学の担当は、うちのクラスの担任・原先生だ。
金に近い茶髪が特徴的で、教師にあるまじきチャラさから、皆にはチャラ先と呼ばれている。こう見えて頭はいいらしい。
原先生のだらだらとした解説は、余計に皆の眠気を誘う。
しかし、今日の私はいつも以上に目が冴えていた。
「……」
私の視線はどうしても市之瀬君に吸い寄せられてしまう。朝からずっとこの状態なのに、全然慣れない。
市之瀬君は、今度は真面目に授業を受けているらしい。
数学はかなり苦手らしく、時折シャーペンを持つ手を止めては顔をしかめている。
(あ、今お腹鳴ったな)
どうやらお昼ご飯を食べていないらしい。
市之瀬君は普段、昼休みになると美術室にこもって絵を描いている。
夢中になれるものがあるのはうらやましいけれど、健康も同じくらい大事だと思う。
「じゃあこの問題を――市之瀬、わかるか?」
名指しされた瞬間、市之瀬君はげ、と小さくうめいた。出席番号一番で端っこの席というのもあり、彼が授業で指名される確率は高い。
「あー、その……」
わからないのをごまかすように、市之瀬君はへらへらとした笑みを浮かべる。助けを求めるような視線を向けられ、私は慌てて該当の問題を確認する。
――なんてこと。
絶望的な気持ちになる。授業に集中していなかったせいで全然わからない。
私が静かに首を振ると、市之瀬君はあきらめて「わかりません」と答えた。
原先生は苦笑いを浮かべつつ頭をかく。
「何だとぉ? ここはちゃんと予習しておけ、って言ったじゃん」
え、そんなの聞いてないよ。
先生が黒板に書いた模範解答を、私と市之瀬君は必死にノートへ写した。
……こういう時、さっと答えを教えてあげられたらかっこいいのになあ。
今年はもう少し真面目に勉強しよう、と私は決意した。




