第51話 衝撃の事実
体育館の壁にもたれかかり、駐車場をぼんやりと眺める。
安井からの連絡には、道が混雑しているのでいつもより到着が遅れる、とあった。
「……」
隣に立つ市之瀬君の横顔をこっそりと眺める。
――今日から私たちは恋人同士、なんだよね。
なんだか実感が湧かない。いまだこれは夢なんじゃないかって思う。
私の視線に気づいた市之瀬君が、首をかしげる。
「どうかしたか?」
彼が私に向けるまなざしは、今まで以上に優しい。
「ううん、なんでもない」
恥ずかしくなった私は、市之瀬君が視界に入らないようにうつむく。
私だけに向けられた、彼の笑顔。
それがうれしくて、でも同時に、幸せすぎて恐ろしい。
「なあ、神崎」
「な、何?」
地面とにらめっこしたまま返答する。
どうしよう、愛想ないやつだって思われたかな。
だけど寛大な市之瀬君は、そんな私のことも温かく見守ってくれているようだ。
「せっかく恋人になったんだから、下の名前で呼んでもいいか?」
「名前!? む、むむむ無理!!」
反射的に拒否ってしまった。
いや、だって、ねえ。
そばにいるだけでドキドキしているのに、名前呼びなんてされたらどうなってしまうのだろう。
市之瀬君はしゅんとした様子で目を伏せた。
「ダメか? 距離が縮まった感じがしていいと思ったんだが……」
うぅ、そんな顔をされたら断れない。
「……いいよ、呼んでも」
「そうか! ありがとう」
途端に市之瀬君の顔がぱぁっと輝く。ほんと、表情豊かだよなあ。
「それじゃあ遠慮なく――いろは」
「……っ!!」
あまりの衝撃に、くらっときた。
なんという破壊力だ。
「どうだ?」
「し、心臓が破裂しそうです」
「そうか――いろは、大好きだよ」
「うわあぁぁぁ!?」
まさかの追い打ち。
カッと熱くなった頬を両手で押さえる。
そんな私を見て、市之瀬君は微笑ましそうに目を細めた。
「やっぱりお前はかわいいな」
「か、かわいい!?」
私の声はかわいげなく裏返る。
そんなことを言うのは、両親と市之瀬君くらいだ。
「誰だって、好きな子の笑顔は輝いて見えるだろう?」
ふと、市之瀬君が描いた私の肖像画を思い出す。
去年は天使で、今年は少女漫画風ヒロイン。
市之瀬君の目がおかしくなったのでは、と疑っていたが、もしかすると彼は本当に、私がそういう風に見えていたのかもしれない。
……なんだか恥ずかしくなってきた。
市之瀬君はデレデレと目尻を下げる。
「お前はかわいい。誰が何と言おうと、世界で一番だ。もっと自信を持て!」
「きゃー!?」
私の羞恥心が限界を突破した。両手で顔を覆い地面にしゃがみ込む。火傷しそうなほど頬が熱い。
「どうしたいろは、顔が赤いぞ」
「誰のせいだと思ってるの!?」
「事実を言っただけなのにな」
市之瀬君は納得いかない様子で首をひねる。
天然たらしというのは、この世で一番恐ろしい生き物だ。
「ところでいろは。俺のことも名前で呼んくれないか」
「うぇっ!?」
そして私たちは、先程と同じようなやり取りをもう一度繰り広げることになる。
……傍から見たらただのバカップルかもしれない。
◇◇◇
「うっ……うぅ……よがっだでずねえお嬢様」
狭い車内に、安井のすすり上げるような声が響き渡った。
ハンカチを顔に押し当て、安井は肩を震わせる。
しかし、騙されてはいけない。よく見ると、彼の目からは一滴も涙が出ていなかった。
「いいからそういうの」
「あ、そうですか」
安井は一瞬でスンとした表情になる。
私が迎えの車に乗り込んだ途端、「何かいいことありましたか?」と彼に尋ねられた。市之瀬君――もとい清隆君に告白された、と伝えたところ、こんな茶番が始まったのだ。
「どうでしたか、お嬢様。素晴らしい泣きの演技だったでしょう?」
「向いてないよ」
相変わらずふざけた男だ。
発車の際にサイドミラーをのぞくと、清隆君が私に手を振っていた。はにかんだような笑顔がかわいらしい。私も小さく手を振り返した。
学校の敷地から出ると、再びじわじわと照れが襲いかかってくる。熱くなった頬を冷まそうと思い、窓を少しだけ開けた。
「……ようやく市之瀬君の恋が実ったんですねぇ」
「ん?」
感慨深そうな安井の呟きに、私は違和感を覚えた。
「清隆君が私を好きだってこと、安井は知ってたの?」
すると、今度は安井が目を丸くする。
「むしろお嬢様は全く気づいていなかったんですか? 彼はあんなにも好き好きオーラを出していたというのに! ああ、なんてかわいそうな市之瀬少年……!」
「ちゃんと前見て。ハンドル握って」
表面上は冷静を装っていたが、私は内心動揺していた。
懸命に記憶を掘り起こしてみる。
たとえば、体育祭で清隆君を応援した時のこと。
巴君と鉢合わせするたびに火花を散らしていたこと。
言われてみれば、思い当たる節はいくつもあった。
どうして気づかなかったんだろう。
混乱する私に、安井はさらに追い打ちをかけてくる。
「おそらく、気づいていなかったのはお嬢様だけですよ」
「そうなの!?」
皆知っていたってこと!?
確かに、清隆君を応援していたマリアや、彼を露骨に敵視していた巴君は、当然気づいていたはずだ。
この間の会話からすると、桃ちゃんも知っていたのだろう。
……もしかして私、鈍いのかな?
ガクリとうなだれた私に、安井は笑いをこらえながら声をかけてくる。
「お嬢様はかつて、市之瀬君のことをおもしれー男だとおっしゃっていましたよね――ご自分では気づいていらっしゃらないかもしれませんが、お嬢様も十分非凡で、おもしれーお方ですよ」
「えぇ……?」
……おもしれー女、か。
実際に言われると微妙な響きである。喜んでいいのか、それとも怒るべきなのか。
「いやあ、なかなか進展しないお二人を見るのはもどかしかったですよー。明らかに両思いなのに、全くくっつく気配がないんですから。今時の子って、ずいぶん草食系ですよねぇ」
――どうやら私は、いつの間にか観察する側からされる側になっていたらしい。




