第50話 告白②
あの時のことはよく覚えている。
市之瀬君はあんなにすごい絵を描いているのに、誰にも理解されない。それが残念だった。
だから、彼に自信を持ってほしかった。
「小学生の頃、俺の絵を好きだと言ってくれたのはお前だけだった。もっと見たいと言われてうれしかった。俺が絵を続けることができたのは、神崎のおかげだ」
お前の言葉に救われたんだ――そう言って市之瀬君は照れたように笑う。
――私、市之瀬君の役に立てたんだ。
胸がいっぱいになって、熱いものが込み上げてくる。
自分の言葉が誰かの人生に大きな影響を与えていただなんて、今まで想像したこともなかった。
「それだけじゃない。マリアから聞いたが、神崎は困っていた一年生を助けたんだよな。よくお前と一緒にいる二人、あいつらのことだろう?」
「あ……そ、それは」
私の体から急速に熱が引いていく。
「いじめに遭っていた子と、元不良だったか。自分の危険も省みずに手を差し伸べるなんて、神崎は勇敢だよな」
「あまり危ないことはしないでほしいけどな」と言いつつも、市之瀬君が私に向けるまなざしには尊敬の色が浮かんでいる。
そんな彼を直視できなくて、私は足元に視線を落とした。聞こえるかどうかわからないくらいの声量で、言い訳がましく呟く。
「あの子たちを助けたのは、純粋な親切心からじゃないよ」
私はただ、市之瀬君に優しい子だと思われたかっただけだ。そのために普段しないようなおせっかいを焼いた。
もちろん、彼らを放っておけないと感じたのは事実だ。だけど、下心丸出しの行為なんて褒められるようなことじゃない。
「謙遜するなよ。神崎のおかげであの二人は救われたんだ。だって、あんなにもお前に懐いているじゃないか」
市之瀬君が褒めてくれるたび、私はどんどん後ろめたい気分になっていく。
彼はさらに追い打ちをかけてきた。
「それだけじゃない。神崎はいつも、嫌な顔一つせずにノートを見せてくれる。中身も綺麗だ。先生の手伝いもよくしているよな。あ、あとは日直じゃないのに黒板を消すのもえらいと思う。それから――」
ちょっと待って、そんな細かいところまで見られていたの!?
ノートの件はお互い様だと思う。私だって休む日があるから。教師に提出することもあるし、人に見せることを考えたら汚い字では書けない。
原先生に頼まれてプリントなどを運んだりしているのは、単純に断れなかったからだ。
黒板だって誰かがやらないといけないし……。
「でもそれを言ったら、マリアだって同じことをすると思う」
「ああもう、いい加減マリアから離れてくれないか!」
市之瀬君が苛立ったように叫ぶ。
「マリアのことは関係ない。俺は、『お前が』好きなんだ!」
「……っ」
頭を殴られたような衝撃が私を襲った。
――市之瀬君は本気だ。
涙がにじむ。
体中の血が、沸騰したように熱くなる。
……これ、夢じゃないよね?
市之瀬君を見る。
彼は今までに見たことがない、こわばった表情をしていた。口をぎゅっと引き結び、瞳は不安げに揺れている。
――ああ、現実だ。
であれば、私も覚悟を決めなければ。
お腹に力を入れる。ぐっ、と足を踏ん張り、市之瀬君を真正面から見据えた。
「私、私は……」
声が震える。うまく言葉が出てこない。
思いを告げることがこんなにも緊張するだなんて。
市之瀬君は、静かに私の返事を待っている。
「私は……私も、市之瀬君のことが好き、です」
やっとのことで自分の気持ちを伝える。
――そうだ。私はずっと、市之瀬君のことが好きだった。
だって、市之瀬君は優しい。笑顔が素敵だし、いつと私のことを気にかけてくれる。
そもそも、毎日挨拶してくれるだけでかなり好印象なのだ。
だけど私は、自分の想いを心の奥底に隠し、見て見ぬふりをした。
市之瀬君とマリアの観察を始めたのも、自分を納得させるためだった。
マリアは美人で、勉強も運動もできる完璧な女の子。だから私なんて勝てっこない、と最初からあきらめていたのだ。
そして、お似合いの二人を応援する、という形で自分の気持ちをごまかしていた。
「……」
市之瀬君は、眉一つ動かさずに私の返答を聞いていた。だが、しばらくして、へなへなと地面に崩れ落ちる。
「市之瀬君!?」
市之瀬君の元に駆け寄ると、彼はふにゃふにゃとした笑みを私に向けた。ほっとして気が抜けてしまったようだ。
「俺、ずっと不安だったんだ。マリアにはどんどんアタックしていけって言われたが、神崎が俺のことを避けているのは気づいていた……そのくせ俺のことよく見ているし。俺はお前の気持ちがわからなかった」
「それは、うん……ごめん」
市之瀬君から見たら普通に不審者だな、私。
……それにしても、日頃から彼を見ていたのがバレていたとは。穴があったら入りたい。
「俺が怪我してから神崎の様子がおかしくなって、これはもう完全に嫌われたと思った。かっこ悪いところ見せたからかな、なんて落ち込みもした」
「それは違うよ! あれはただ、私が」
市之瀬君はわかっている、と言いたげに首を横に振った。
「神崎が罪悪感を抱いているのは知っていた。でも、俺は本当に気にしていないんだ。好きな子を守れたんだから、後悔することなんて何一つない」
「……うん。あの時はごめんね」
ようやく、遅すぎる謝罪の言葉を告げられた。市之瀬君にひどいことを言ってしまってから、もう一カ月以上も経過している。
「あれはさすがに傷ついたなあ」
「ごめん……」
ここで何か閃いたのか、市之瀬君は口の端をいたずらっぽく吊り上げた。
「なあ神崎。さっきの言葉、もう一度言ってくれないか」
「えっ」
さっきの言葉というと……まさか、告白のセリフ!? えっ、無理無理! たった一回でも心臓が爆発しそうだったのに!
「言ってくれたら、あの時のことは許してやるよ」
「ぐぬぬ……」
だけど、これは市之瀬君の優しさだろう。私が気に病まないよう、軽いノリで今までのことを水に流そうとしているのだ。
彼の心遣いを無下にはできない。
「市之瀬君のことが……す、好き」
「もう一回」
「好き」
「もう一回」
いったい何回言わせる気!? 恥ずかしくて死にそうだ。
市之瀬君は目を閉じて喜びを嚙みしめていたが、突然起き上がる。かと思うと、屋上の柵のところまで全速力で駆けて行った。
「ちょっと、市之瀬君!?」
彼は手すりを掴んで身を乗り出すと、
「いやっほーう!!」
グランドに向かって大声で叫んだ。地球の反対側まで届きそうな、渾身の叫び。
……びっくりした、一瞬飛び降りるんじゃないかと思った。
「い、市之瀬君? 何しているの……?」
市之瀬君は満面の笑みで振り返る。その瞳は、宝物を見つけた幼い子どものように輝いていた。
「この喜びを全世界に届けたくてな!」
「うん、なるほど。恥ずかしいからやめてね」
「なんで?」
市之瀬君はそのまま、両手を大きく広げて空を見上げた。
彼の体が、太陽の光を浴びて金色に染まる。
「ああ……世界がこんなにも輝いて見えるとは!」
吐息交じりの、感極まった声。
全身で感情を爆発させる彼の姿を見て、私はもう、何も言えなくなってしまった。
こんなにも喜んでもらえるなんて、私は幸せ者だ。
「あなたたたち、ここで何をしているの!?」
突然屋上の扉が開け放たれ、教師が顔をのぞかせる。
私と市之瀬君は顔を見合わせた。
『あ』
――そうだ、屋上は立ち入り禁止だった。
この後、私たちはこってり絞られた。




