表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
50/54

第49話 出会い

 それは、小学四年生の時の話。


 掃除の時間に図工室の前を通りがかったところ、中からひっくひっく、と変な声が聞こえてきた。


 おそるおそる中をのぞき込む。

 そこにいたのは、私と同い年くらいの男の子だった。こちらに背を向け、小さな肩を震わせている。


「ねえ、大丈夫?」


 私が声をかけると、男の子は驚いたように飛び上がった。振り向いた彼の顔は、涙と鼻水でびしょ濡れになっている。


「どうして泣いているの? どこか具合でも悪いの?」


 尋ねても、彼は泣きじゃくるばかりだ。


 胸元の名札を確認すると、「四年二組 市之瀬」とあった。見たことのある顔だなとは思っていたが、やはり私と同学年だ。


「どうしよう……先生呼んだ方がいいかな」


「待って!」


 身をひるがえした私の袖を、市之瀬君が掴む。体は小さいのに、思いのほか力が強い。


「それは、ダメ」


 弱々しい、けれども明確な拒絶の意思表示。


 ……困ったな。

 

 このまま放っておくのは気が引けるが、自分に何かできるとは思わない。

 

 視線を落とすと、市之瀬君が何かを握っていることに気がついた。潰されてぐしゃぐしゃになったそれは、画用紙のように見える。


 そういえば、今週は図工の授業で絵を描いた。

 テーマは運動会。つい先日開催されたばかりだった。

 私が題材にしたのは玉入れ。完成した絵は教室の壁に飾られている。


「それ、市之瀬君が描いたの?」


 彼はこくこくと頷く。おそらく、原因はこの絵だろう。


「うまく描けなかったから泣いているの?」


 今度は首を横に振る。


「じゃあ、誰かが市之瀬君の絵にいたずらしたとか?」


 これも首を横に振る。これ以外の可能性は思いつかない。


 相変わらず市之瀬君は泣き止まない。


「ねえ。その絵、私に見せてくれない?」


「っ!!」


 その瞬間、市之瀬君の顔に警戒の色が浮かんだ。画用紙をさらにきつく握りしめると、怯えたように後ずさる。

 

 びっくりした……。


「ごめん。無理とは言わないんだけど」


「……絶対に笑ったりしない?」


 市之瀬君は上目遣いで問いかけてくる。


「うん。約束する」


「……」


 まだ私のことが信用できないのか、市之瀬君は疑いのまなざしで私を見ていた。


「……」


 そのまましばらく見つめ合う。

 やがて、私に敵意がないことを悟ったのだろう。彼はゆっくりと画用紙を広げた。


「――」


 市之瀬君の絵を見た瞬間、私は心を奪われてしまった。


 真っ先に飛び込んできたのは、画用紙いっぱいに広がる鮮やかな色彩だ。


 おそらく、題材はリレーだろう。グラウンドを走る生徒たちの様子が生き生きと描かれていた。彼らの顔は赤、青、黄、などと様々な色で表現されている。


 その他にも、空が金色だったり、観客席が灰色で塗り潰されているなど、固定観念を覆すような色使いばかりだった。

 絵はもっと自由に描いてもいいんだ、と目から鱗が落ちるような気分だ。


 無言で見入っていると、市之瀬君が不安そうに声をかけてくる。


「お前も俺の絵は変だと思うだろう?」


「えっ、思わないよ」


 否定したが、市之瀬君の顔は浮かない。


「気を遣わなくていい。先生も、クラスの人たちも、こんなのおかしいって笑うんだ。人の顔がカラフルなのはおかしい、もっと真面目に描きなさいって」


 今回の絵も描き直しを命じられたそうだ。


「そんな……」


「でも、俺は自分が間違っているとは思わない。だって、あの時は本当にこんな風に見えたんだ。皆が気づいていないだけで、世界はもっと輝いている。それなのに、誰にも理解してもらえない」


 確かに、市之瀬君の絵は普通とは違う。学校では皆と同じであることを求められるから、彼のように普通じゃない人は排斥されてしまう。


 だけど私には、それが正しいことだとは思えなかった。たとえ人と違っていたとしても、優れているものは認められるべきだ。


「私は市之瀬君の絵が好きだよ」


 市之瀬君が息を呑む。彼はゆっくりと顔を上げた。


「本当に……?」


 泣きはらして真っ赤になった目が私を見つめる。

 私は力強く頷いた。


「うん。だって、すごいもん。カラフルで綺麗だし、この発想は私じゃ絶対思いつかない。だからもっと見たいな」


 ダメだ、私の語彙では感動をうまく表現できない。ちゃんと伝わっているだろうか。


 市之瀬君はいつの間にか泣き止んでいる。熱に浮かされたかのようにぼんやりとしていた。


「大丈夫?」


「……そんな風に言われたの、初めてだ」


 まるで宝物に触れるように、市之瀬君は画用紙を胸に抱えた。


 よかった、喜んでもらえたようだ。


「ありがとう、神崎。お前のおかげで自信がついたよ」


 元気を取り戻した市之瀬君は、どこかやんちゃそうな印象を受けた。


「俺の絵を好きだと言ってくれる人がいるんだ。だから俺は、これからも自分が感じたままに絵を描いていく――神崎は記念すべきファン第一号、ってやつだな」


 初めて見た市之瀬君の笑みは、太陽のように明るかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ