第46話 市之瀬君への想い
放課後。
巴君と桃ちゃんに誘われて、駅前のコーヒーショップへ来た。登校拒否中はあまり外出しなかったので、ここに来るのは久しぶりだ。
「冬の新作、気になっていたんですよねー」
私の隣に座る桃ちゃんは、角度を変えながら何枚もドリンクの写真を撮っている。新商品のストロベリーフラペチーノだ。
「いつまで撮ってんだよ。溶けるだろ」
私の向かい側の席では、巴君が理解できない、といった表情で撮影風景を眺めていた。
彼の手元にあるのはブラックコーヒー。おそらくSNSなんて絶対にやらないタイプだ。
ちなみに、私が注文したのは紅茶。コーヒーが売りの店なのに、どうしても紅茶を選んでしまう。
「これでよし、と。後はSNSにアップして」
「芸能人でもあるまいし、いちいち公開する意味なんてあるのか?」
「は? うるせぇな、文句あんのかよ」
「はいはい。周囲に迷惑がかかるからやめようね」
うーん、いつもの光景。懐かしい。
しかし、私には一つ気になったことがある。
「二人とも、部活行かなくていいの?」
巴君は肩をすくめた。
「この前、足を痛めたんです」
おいおい。絶対喧嘩のせいだろう。
「桃ちゃんは?」
「他のマネージャーから嫌がらせを受けまして」
「えっ、また?」
そうなんですよぉ、と桃ちゃんは頬を膨らませる。
「ちょっとマリア様とお話しただけなのに、抜け駆けだなんて言われて。重要な連絡が私にだけ回ってこなかったんですよ。ひどくないですか?」
「それはひどいね」
「まあ、すぐにマリア様にチクってやりましたけどね。ざまあみろ、って感じです」
「……おぅ」
転んでもただでは起きない子だなあ。
「それで、今日の本題なんすけど」
「うん?」
なぜだろう。場の空気が一瞬にして変わったような。
「学校を休む前、センパイに何があったんですか? 不審者の件だけじゃないですよね、たぶん」
――それを尋ねるために私を連れ出したの?
二人は射るような視線を私に向ける。心を見透かされたくなくて、私は顔をそらした。
「な、何のことかな」
「とぼけないでくださいよ。あの時のセンパイ、明らかに様子がおかしかったじゃないですか。何か悩んでいたんでしょう?」
「それは……そのぅ」
「もしかして、市之瀬が怪我したことと関係あります?」
巴君が目を細める。
図星を突かれ、私は視線を泳がせた。
市之瀬君のことは私個人の問題である。それに、いい年して仲直りができないことを後輩に知られるのは、なんだか恥ずかしかった。
しかし、私のつたない演技力では二人をごまかすことはできないようだ。
桃ちゃんが私の手をぎゅっと握りしめる。
「何があったのか聞かせてくれませんか? 散々皆を心配させておいて、黙ったままというのはないでしょう?」
「ぐっ」
うるうるとした瞳で見つめられると、反論できなくなる。
テーブルの向こう側では巴君もうんうん、と頷いていた。この二人の意見が合うなんて珍しい。
「うぅ……」
確かに、二人を心配させたのは事実だ。一方的に距離を取ったことへの罪悪感もある。それで放っておいてくれ、というのはあまりにも身勝手だろう。
観念した私は、市之瀬君との間に起きた出来事を二人にも話すことにした。
「実は――」
◇◇◇
「あやまらなくていいんじゃないですか」
開口一番、巴君は冷めた目で告げてくる。どことなく不機嫌そうだ。
……うん、知ってた。
「ったく、情けない男っすね。センパイを怖い目に遭わせた挙句、罪悪感まで抱かせるなんて」
「情けないって……市之瀬君は私を守ってくれたんだよ」
数カ月前の壁ドン事件といい、彼は市之瀬君のことをやけに敵視している。
「というか、なんで最初からおれを頼ってくれなかったんですか。おれならそんなヘマ、絶対にしないです。センパイを襲ったやつもボッコボコにしてやったのに」
「穏便に済ませたかったからかな」
彼に任せていたらタカポンは今頃、病院送りどころか墓送りになっていただろう。
巴君が私に向けて微笑む。その瞳には、ほの暗い歓喜の色が隠されている。
「安心してください。あの男がいなくなってもおれがいます。これからはおれが守りますから」
「いや、遠慮しようかな」
こういうのはきっぱりと拒絶するに限る。
しかし、意外なところから援護射撃がきた。
「わたしも、あやまらなくていいと思います」
「桃ちゃん」
「だって、相手は男じゃないですか」
「桃ちゃん!?」
さらに過激派が現れた。
「男って馬鹿でうるさいし、乱暴だし、ヤることしか頭にない生き物ですよ? そんなのに先輩が気を遣う必要なんてないですよ」
「おい」
巴君が、一緒にするな、と言わんばかりの視線を桃ちゃんに向ける。彼女はそれを無視して続けた。
「わたしの話を聞いてください――小さい頃、わたしは同級生の男子から頻繁に嫌がらせを受けていました。髪の毛を引っ張られたり、靴の中に虫を入れられたり、スカートをめくられたり。よく泣かされたものです」
「うわぁ……ひどいね、それ」
聞いているだけでも気分が悪くなってくる。
「でもその子はわたしのことが好きで、気を引きたくて意地悪していた、って言うんです。それを知った周りの大人たちも、許してやれって。好意があれば何をしても許されるんですかね」
桃ちゃんは愛らしい顔に嫌悪感を露にする。
「まあ、最近は女もクソだなあって思い始めてますけど」
「同じ部活の子?」
これまでに受けてきた仕打ちを思い出したのか、桃ちゃんは憎々しげな表情で頷く。
「それだけじゃないんですよぉ。男に色目を使っているとか、人の彼氏奪っただとか、身に覚えのない言いがかりをつけられるんです。ったく、ばっかみたい。あんなゴミどもにモテてもうれしくないっつーの」
「桃ちゃん……」
彼女は相当ストレスを溜めているようだ。
確かに、桃ちゃんはかわいい。小柄で色白、くりっとした大きな目はお人形さんのようだ。
でも、好かれたくない人にまでモテてしまう。
そのせいで幼稚な男子から意地悪をされたり、嫉妬した女子からいじめられる。その積み重ねで男嫌いになったとしても、仕方のないことかもしれない。
「だけどいろは先輩。わたし、マリア様だけじゃなくて、あなたにも憧れているんです」
「え!?」
予想外の言葉に、私は目を丸くする。
桃ちゃんが私に向けるまなざしには、尊敬と信頼の感情が込められていた。
「わたしを助けてくれた時の先輩は、まるでヒーローのようでした。勇敢でかっこよくて、思わず見とれてしまったんです」
ヒーロー? 私が?
「しかもいろは先輩は、かっこいいだけじゃなくて優しいです。周囲から浮きがちなわたしと仲良くしてくれるのが、本当にうれしくて」
桃ちゃんの瞳はキラキラと輝いている。
彼女が抱くイメージはあまりにも私の自己認識と乖離していて、なんだかむずがゆい。
「だから先輩には、男のせいで苦労してほしくないんです――その男は本当に先輩を幸せにできるんですか? あなたにそんな思いつめた顔をさせるなんて、ろくでもない男じゃないですか?」
「桃ちゃん」
握られたままだった桃ちゃんの手を、私は優しく握り返した。
「心配してくれてありがとう。でも、市之瀬君はそんな人じゃないよ」
桃ちゃんの大きな目が、こぼれそうなほどに開かれる。ゴクリと唾を呑む音が聞こえてきた。
「市之瀬君はちょっと変わっているけれど、明るくて、何事にも全力で取り組む素敵な人だよ。自分が怪我をしても、私が無事でよかったと笑ってくれる、優しい男の子なの」
「……」
「それにね、私と桃ちゃんが出会えたのは、ある意味では市之瀬君のおかげなんだ」
これまでの私なら、面倒事には首を突っ込もうとしなかっただろう。
しかし、市之瀬君と隣の席になって、彼が私をよく見ていることに気がついた。だから私は、彼に褒められたくて人助けをしたのだ。
つまり、市之瀬君が私を変えた、ということになる。
桃ちゃんが男嫌いなのはわかるが、すべての男性が等しくダメなやつだとは思ってほしくない。
「……そう、ですか」
悔しそうに唇を噛むと、桃ちゃんはうつむく。そのまま黙り込んでしまった。
すぐに受け入れるのは難しいかもしれない。でも市之瀬君と接してみれば、桃ちゃんだって彼の良さをわかってくれると思う。
「……」
「……」
――あれ、なんか空気重くない?
桃ちゃんだけでなく、巴君の様子もおかしい。彼は何かに耐えるように、膝の上で拳を握りしめている。
「あ、あの。私、ゴミ捨ててくるね」
いたたまれなくなった私は、皆の分のゴミも集めて席を立つ。
容器を選別していると、背中越しに二人の会話が聞こえてきた。
「へっ、ざまあ。振られてんじゃねえか」
「あぁ? そっちこそ、この負け犬め」
「んだと!」
……なんだ。二人とも元気なくなったから心配していたけど、揉める気力があるなら大丈夫か。
さて、これ以上二人の口論がヒートアップする前に戻らないと。




