第45話 壁ドン(2回目)
久しぶりの学校に懐かしさが込み上げてくる。
同時にとても緊張していた。
学校に行くということは、市之瀬君に会うということ。私は逃げずに彼と向き合わなければならない。
昇降口の前で何度も深呼吸をする。
今日こそ市之瀬君にあやまる、今日こそ市之瀬君に――
「……っ!」
背後からヒュッと息を短く吸う音が聞こえて、私は振り返る。
「あ」
そんな、早速本人が現れるなんて! ど、どうしよう。まだ心の準備が……!
市之瀬君の方も、私に声をかけるようか迷っているらしい。何か言いたげに口をもごもごと動かしている。
「い、市之瀬君」
「なあ、神崎」
「……」
「……」
タイミングがかぶった。気まずい沈黙が訪れる。
「ええっと、その――」
気を取り直して、話題を切り出そうとする。
だが、そこに乱入者が現れた。
「センパイ!!」
昨日ぶりの巴君だ。あの後染めたのか、髪の毛は黒に戻っていた。
「約束通り来てくれたんですね! よかったー。センパイのいない学校生活なんて、つまんないっすからね」
「ま、まあね」
巴君が、私の肩に自分の手を回してくる。まるで市之瀬君に見せつけているかのようだ。
「……」
あぁ、市之瀬君が驚愕の表情で私を見ている! 誤解なのに!
こんな状況では謝罪なんてできそうにない。
「と、巴君。重いから離れてほしいなあ」
「嫌です」
うぅ……昨日のこともあるので邪険にしづらい。
結局、初日の朝は謝罪の機会を逃してしまった。
◇◇◇
私が学校に復帰してから一週間が経過した。
マリアや桃ちゃん、巴君とは元通りの関係を取り戻せたと思う。しかし、市之瀬君にはいまだに謝罪できていない。
愚かなことに、人間とは、一度機会を逃してしまうと決意が揺らぐ生き物らしい。
ちゃんとあやまろう、という気持ちはあるのだ。
だけど、目が合った時に気まずそうに顔をそらされると、膨らみかけていた勇気がしぼんでしまうのだ。
――しっかりしろ、私。今日こそ市之瀬君にあやまるんだ。
話しかけるなら、なるべく周囲に人がいない時がいいよね。今日は美術部の活動は休みのはずだから、放課後まで待って……。
考え事をしながら階段を下りていると、うっかり足を踏み外してしまった。
「うわぁっ」
咄嗟に手すりを掴もうとしたが、間に合わない。衝撃を覚悟して目をつぶる。
だが、そんな私を力強く抱きとめる者がいた。そのまま踊り場まで引き上げてもらう。
「大丈夫? 怪我はないかしら」
救世主の正体はマリアだった。
踊り場の窓から差し込む陽光が、まるで後光のように彼女を照らしている。少女漫画のメインヒーローみたいなムーブだ。
「う、うん。ありがとう」
私は頷くので精一杯だった。心臓がドキドキしているのは、危機一髪の状態を回避したから、という理由だけではないだろう。
「……」
マリアはなぜか、私の顔をじっと見つめていた。
能面のような無表情に、だんだんと不安な気持ちになってくる。
「な、何? どうしたの」
彼女は何も答えない。
「え、もしかして怒っている?」
直観的にそう感じた。でも、理由がわからない。
マリアの発する圧から逃れるように私は後ずさる。私が一歩下がるたび、彼女も一歩距離を詰めてきた。
とうとう背中が壁に当たる。もう逃げ場がない。
――なんか前にもあったな、こんなこと。
彼女は私に向けて右手を伸ばし――私の顔すれすれ、校舎の壁に思いっきり叩きつけた。
壁ドン! まさかの二回目!
「ねえ、いろは。一つ聞いてもいいかしら?」
マリアの、怖いくらい整った美貌が眼前に迫る。
「な、ななななんでしょう」
私の声はみっともなく震えていた。不安と緊張で動悸が激しくなる。
感情を押し殺した、抑揚の乏しい声でマリアは私に問いかけた。
「正直に聞かせて。あなた、清隆のことをどう思っているの?」
……なるほど、そういうことか。
つまり、マリアは怒っているのだ。私が市之瀬君を傷つけて、いつまでもあやまらないから。だから彼の代わりに文句を言おうとしている。
あれ? ということは私、今からシメられるってこと!?
私はお腹にぐっ、と力を入れ、大きく息を吸い込んだ。
「す……」
「す?」
「すみませんでした――!!」
「!?」
渾身の謝罪に、マリアは驚いた様子で私から距離を取る。
「ちょっと、いろは?」
「ごめんなさいごめなさい!」
ひたすら頭を下げる。
ただでさえお母さんの件で、皆から白い目で見られているのだ。人気者のマリアに嫌われてしまったら、私の平穏な学校生活は今度こそ終わりを迎えてしまう。何としても許してもらうしかない。
だが、マリアは額に手を当てると、煩わしそうにため息をつく。
どうしよう!
絶望的な気持ちになり、私は胸の前で手を組んだ。これではまるで、懺悔の儀式だ。
「ちゃんと市之瀬君にはあやまりますから、どうかお許しください……!」
「いろは? お願いだから私の話を聞いて」
マリアは両手に腰を当てて私を睨みつける。有無を言わせない迫力に、私は口を閉じた。
「誤解しないでほしいのだけれど、私はあなたを責めているわけではないの」
「……あれ、そうなの?」
「ええ。私はただ、あなたの気持ちを確認したかっただけ」
私はゆっくりと顔を上げる。おそるおそる確認したマリアの顔は、思っていたよりも穏やかだった。むしろ、こちらを心配しているように見える。
「いろは。清隆と喧嘩したそうね」
「そんな、喧嘩だなんて! あれは私が一方的にひどいことを言っちゃっただけなの」
マリアの目がスッと細められる。うぅ、本当に怒っていないのだろうか。
「まだ仲直りしていないのよね。……いろははもう、清隆のことが嫌いになった?」
「そんなことない!」
私は勢いよく首を横に振った。
「向こうが私を嫌いになったとしても、私が市之瀬君を嫌いになるなんて、絶対にないから! むしろその逆というか」
「逆、というと」
「あ、別に変な意味じゃないからね!」
マリアが再び無言で私を見つめる。
き、気まずい。やはり、他人の彼氏に対して今の言い方はよくなかったかも。
だが――
「ああ、よかった!」
マリアが微笑む。緊張がほぐれたような、柔らかい笑み。
張り詰めていてた場の空気も一気に明るくなった。
「安心したわ。『もう市之瀬君とは絶交するから!』なんて言われたらどうしようかと」
マリアはほっとしたように胸をなでおろしている。
「ど、どういうこと……?」
さっぱりついていけない。
「つまり私は、二人を仲直りさせようと思っておせっかいを焼いていたの」
なるほど……?
じゃあ本当に、私に対して怒っていたわけじゃなかったんだ。
「清隆ってば、あれでも結構ショックを受けているのよ」
「市之瀬君が?」
クスリ、とマリアは笑う。
「そうなのよ。あなたと喧嘩した日、清隆が私の家に来て、『神崎に嫌われたかもしれない』なんて泣きついてきたの。それはもう、真っ青な顔で」
「うっ」
市之瀬君はそんなに落ち込んでいたのか……。
「普段うるさいくらい元気な清隆が、あそこまで落ち込んでいるんだもの。ちょっと心配になっちゃって。急ぐ必要はないけれど、後でちゃんと仲直りしてね」
「うん……」
遠くからチャイムの音が聞こえてくる。そろそろ教室に戻らなければ。
マリアと別れ階段を下りていると、「ちょっと待って」と背中に声をかけられた。
「清隆もいろはのことを嫌いになったりしないわ。だって彼はいつも、私にあなたのことばかり聞かせてくるもの」
「……はい?」
市之瀬君が!? 私の話を!?
「あ、これ本人には内緒にしてね? バレたら怒られちゃうわ」
口に人差し指を当てていたずらっぽく微笑むと、今度こそマリアは去っていった。
「……」
後には困惑した私だけが取り残される。
市之瀬君ったら、彼女の前で他の女子の話をするなんて。
でも、マリアの態度に敵意は感じない……ええっと。それってつまり、どういうこと!?




