第44話 ミジンコ②
『いろは先輩、具合は大丈夫ですか? わたし、ずっと心配してたんですよー』
その夜、私は久しぶりに桃ちゃんと電話した。
自分から距離を取ったくせに必要な時だけ頼るなんて、我ながら都合のいい話だと思う。
しかし、巴君本人には尋ねづらかったのだ。同学年の桃ちゃんなら何か知っているかもしれない。
少しの世間話の後、それとなく巴君のことに触れる。その途端、桃ちゃんの声が一オクターブ低くなった。
『ああ、あいつですか? あんの野郎、せっかくマリア様に目をかけてもらっているのに、部活に来なくなっちゃったんですよ』
……ああ、やっぱり。
私は肩を落とした。
『ここ一週間くらいは学校にも来てないみたいです。E組の担任も心配していました。不良に逆戻りですかね? ったく、これだから野蛮な男は』
『そ、そう。教えてくれてありがとう』
これは一度、巴君本人を捕まえて話を聞いた方がいいかも。
◇◇◇
翌朝。
私は電柱にもたれかかり、昨日巴君が出てきた脇道を見張っていた。
腕を組み、ひたすら人の出入りに目を光らせる。非効率的なやり方なのはわかっているが、他に彼が行きそうな場所に心当たりがないのだ。
思えば、私は巴君のことを何も知らない。よく一緒にいたはずなのに、好きなテレビ番組や休日の過ごし方はおろか、誕生日すら答えられないのだ。
巴君だけでなく、桃ちゃんのことも自信がない。……私って、こんなに薄情な人間だったっけ。
だが相手のことをよく知らなくても、巴君を心配しているという気持ちは本物だ。
ひたすら彼が現れるのを待つ。今日が駄目ならまた明日来るつもりだった。
……それにしても寒い。
十一月になるとだいぶ気温も下がってくる。上着を用意するべきだったな。
二時間ほど経過しただろうか。
視界の端に明るい色を捉えた。
私が見張っていた場所よりも一本先の道。集中力を切らしていたせいで反応が遅れてしまった。
後ろ姿に目を凝らす。
見覚えのあるブレザーと、校則違反の頭髪。
間違いない、巴君だ。
慌てて追いかけるが、彼の足は速い。その背中はどんどん遠くなっていく。
「巴君!」
声をかけると、彼はビクッと体を震わせて足を止めた。
「……センパイ?」
巴君がゆっくりと振り返る。
彼の瞳はギラギラと攻撃的な光を放っていて、飢えた獣のように見えた。
「今更何しに来たんすか」
地面に視線を落とし、ぶっきらぼうに吐き捨てる巴君。また喧嘩でもしているのだろうか、その顔はあざだらけだ。
おまけに目の下には隈ができているし、顔色も悪い。
……これは相当すさんだ生活を送っているのかもしれない。まるで、出会った時の彼に戻ってしまったかのようだ。
「巴君が学校に来てないって聞いたから、心配になって捜していたんだよ。ねえ、怪我は大丈夫? 絆創膏いる?」
「うるせぇ!」
空気を震わせ、鼓膜を破らんばかりの怒声。
かつて女子の集団に囲まれて怒鳴られたことがあったが、それとは全然迫力が違う。殴られるんじゃないか、と思わず身構えてしまった。
「優等生面するなよ。あんた、本当はおれのことなんて心配していないだろ? 『不良にも優しい自分』に酔っているんだ」
「そんなこと思ってないよ!」
「信じられるか。あんたの言葉なんて、もう聞きたくない」
否定したが、巴君は聞く耳を持たない。
彼は怨念のこもったまなざしで私を睨みつける。
「だってあんた、おれのこと無視したじゃん」
「うっ……」
返答に詰まる。
確かに私は、今まで親しかった人たちと一方的に距離を取った。それが無視していることになる、と言われたら否定できない。
「ええっと、その……」
「双葉とは連絡取ったんだろ? おれのことなら直接おれに聞けばいいのに。結局あんたは、おれのことなんて全く信用してないんだ」
「……」
桃ちゃんは私との電話の後、巴君に連絡したらしい。私が巴君以外の人とは普通に連絡を取っている、その事実が余計に彼を怒らせたのだ。
「あんたが最近悩んでいるのは知っていた。だからおれは、力になってやりたいと思っていた……でも、あんたは何も話してくれない。それどころか、おれと距離を取ろうと……おれのことが嫌いになったんだろう? それならそうとはっきり言えよ!」
巴君の悲痛な叫びが私の胸に突き刺さる。よく見ると彼は涙目になっていた。
――巴君が再びグレてしまったのは私のせいだ。
昨日の夜、皆からの連絡を改めて確認した。
その中でも、一番メッセージの量が多かったのが巴君。彼は私のことを心配してくれたのに、私ときたら……やっぱり私はミジンコ以下かもしれない。
巴君は投げやりな口調で続ける。
「まあ、双葉や聖先輩、市之瀬にだって黙っていたんだからなぁ。それならなおさら、おれなんかにはどうすることもできねえよ――あんたはずっと、一人で悩んでいればいいんだ!!」
突き放す言葉とは対照的に、彼の瞳からは、こらえきれなくなった雫があふれ出す。
ど、どうしよう。こういう時はなんて声をかけるのが正解だろうか。
私はおろおろと周囲を見渡す。時折現れる通行人が、チラチラと視線を寄越しつつも素通りしていく。
巴君はぽろぽろと涙を流しながら私を睨みつけている。
単に怒りをぶつけるだけでなく、何かを訴えかけているようだ。でも、その「何か」がわからない。
ここは安井に助けを求めるべきか?
私がスマホを取り出そうとすると、巴君はカッと目を見開いた。
「こういう時は黙って抱きしめろよ、ばか!!」
「えぇ!?」
それが正解なんだ!?
「ん」
巴君が両手を広げる。
え、本当にやるの……?
「……」
「はいっ、今すぐやらせていただきます!」
巴君のプレッシャーに負けた私は、ぎこちなく彼の背中に腕を回す。
うぅ……恥ずかしい。親以外の人間に抱きつくなんて初めての経験だ。しかも相手は異性である。
巴君の体は思っていた以上に大きくて、ごつごつとしている。けれども、ぎゅっと私にしがみつく動作は、小さな子どもみたいだった。
私は、巴君の広い背中をポンポンと優しく叩く。
しばらくそうしていると、次第に彼の体の震えも落ち着いてきた。
「これでいいかな?」
「……あと、あやまってください」
言われて初めて、自分が謝罪していないことに気がついた。
そうだよね、一番大事なことだよね。
「ええっと、その……無視してごめんなさい」
巴君が鼻をすする。
「二度としないと約束してくれるなら、許します」
「うん」
「これからはLIMEも返してくれますか?」
「ちゃんと返信する」
「学校にも来ますよね?」
「明日から行くよ」
「おれと付き合ってくれますか」
「う――ごめんね、それは無理かな」
危なっ! うっかり頷きそうになった。
「チッ、ダメか」
先程まで泣きべそをかいていたのが嘘みたいに巴君はけろっとしている。
「お嬢様ー」
その時、遠くから安井の声が聞こえてきた。
今日出かけることは伝えていたが、帰りが遅いため迎えに来たのだろう。
「そろそろお昼ご飯の時間ですよ――おや?」
抱き合っていた私と巴君を見て、安井は目を丸くした。
「おやおやおやー? なるほど、わたくしはお邪魔だったようですね」
安井は口元を手で覆い隠すと、にやけながら後退していく。
「待って安井、誤解だから」
「遠慮することはありませんよ。まったく、お嬢様も隅に置けないお方ですねぇ」
「誤解だって言っているでしょうが!」
私は慌てて巴君から離れようとしたが、がっちりとホールドされ、身動きが取れない。
「そんな、おれのことは遊びだったって言うんですか!? ひどい……」
「巴君も便乗しない! 泣き真似なのバレているから、それ」
「えー。センパイ、ノリ悪いっす」
結局、そのまま三人でお昼を食べに行くことになった。昨日も食べたのに、またラーメン。飽きるんだけど!
隣の席から巴君の様子を窺う。仲直りしたからか、彼はだいぶ元気を取り戻したようだ。
「……」
――市之瀬君にもちゃんとあやまらないとな。
そのためにも、明日からはきちんと学校に行かなければ。
こうして、私の短い登校拒否は終わりを告げた。
◇◇◇
「ところでその髪の色、何? 蛍光グリーン? なんてリアルで見るの初めてだよ」
「あ、これですか? 漫画の主人公の真似っす。ほら、前にセンパイが貸してくれた」
そこも私のせいだったの!?




